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時間という概念は、人類が星の動きから導き出した人類だけの非常に小さな考え方である。


『宇宙の外には「何もない世界」がある』、と、「ある」と言っている地点で矛盾してくる。

科学で、本当の意味で「何もない」状態を説明するのはとても難しいような気がする。

気体もなければ光もない。
想いもなければ引力もない。


何もない状態を「真っ白」と思うか「真っ黒」と思うか、それは人それぞれだ。


地球という割と珍しく思われがちな小さな星で進化した人間の目には、たまたま太陽のない宇宙は暗く見えているが、違う星の違う環境で進化した何かには、もしかしたら地球人が感じる光ではなく、想いが放つ光を感じる目であったり、悪意が放つ闇を嗅ぎ分ける鼻を持っていたりするのかもしれない。

とりわけ知能を持った生物はいろいろと決めすぎる。

形も色も匂いも感触も、味や食感にいたるまで、あらゆる周りのことに対して、過去の記憶と結び付けながら固定概念で決めつけようとする。

そしてそれは目には見えない思想や宗教観にまで及ぶ。



時間と距離は、地球人が社会的生活を営んで行くためのルールを決める基準をよく手助けする。
共通認識として説明がしやすいからだ。



科学がいくら進歩したとはいえ、人類がまだ全く説明ができないものの一つが「宇宙の外」だ。

周りの星の動きやいろいろな放射線・宇宙線を計測し、なんとなく「こうなんじゃないかなぁ」と言うことしか言えないのである。

誰も行ったことがないのだから仕方がない。
証明しようがない。


可能性物質が実在するならば、想いや思念が物質化することもあるのかもしれない。

宇宙が、僕らの存在そのものが、誰かが見ている壮大な夢の中の出来事だとしたら、分からないことを分からないままにしておいても、さほど気にはならなくなるのかもしれない。

ただ、誰かの夢の中の創造物だとしても、一生懸命生きようとすることはできるはずだ。


今日の晩御飯は何か、誰と付き合うのか、夢か現実か、宇宙はどこまで続いているのか、自分が決めればいい。

そして決めたら思いっきり楽しんで一生懸命生きればいい。


「ソラオの世界」はそんな事をザワザワと考えずにはいられなくなる物語。


今日も稽古を思いっきり楽しんできたいと思います。