『浅い眠り』
どこもかしこも真っ白と冷たいスチールの銀色。
痛いくらいに清潔感が漂っている。
蛍光灯の光を反射してあちらこちらで金属が眩しい。
そこへ、薄い水色の上下を着せられた男が1人、若い女の看護士に連れられてやってきた。
1人でトコトコ歩いているところを見れば、五体満足であることは一目瞭然だ。
男たちは目的の場所が分かっていたのだろう、四角い縦長の窓がそれぞれついている大きく重厚な自動扉の前まで来て立ち止まり、扉に軽く触れた。
扉はプシューと短い音を立て想像より少し早いスピードで静かに開いた。
部屋の中央やや前の方には、一見マッサージチェアにも電気椅子にも見える、何か普通ではない装置がついている背もたれの大きめな椅子が一つ、重々しく設置されていた。
周りには手術で使う器具が乗ったワゴンが幾つかあるが、部屋の奥の方はどうなっているか分からない。
部屋はそれくらい薄暗く、入り口のガラス窓から差し込む廊下の蛍光灯の明かりの方が随分明るく思えた。
男は促されるまでもなく、いつの間にかその椅子に落ち着いていた。
これから何が始まるのか、すっかり理解できているようだった。
「じゃあ、いきますよぉ。」
甲高くも低くもなく、それほど大きな声でもない少し艶のある明るい調子で、その若い看護士は注射器を手にし、男の左側に来て屈んだ。
まるで、小学校の予防接種でもしているかのような態度だ。
「最初だけチクッとしますからねぇ。」
そう言うと、なんの躊躇もなく、男の左上腕に注射針を垂直に突き刺した。
男は少し反応したが、抵抗する気配は全くなく、自分の腕に突き立てられたそれをじっと見つめていた。
「は~い、楽にして下さ~い。直ぐに楽になりますからねぇ。」
男は何も言わず少し微笑むと、自分の呼吸を確かめるように扉と床の境目辺りに目をやった。
ピリピリと、まず両手の指先が痺れてきた。
試しに右腕を持ち上げグーパーをしてみる。
思うように動かない。
みるみるうちに手の平から血の気が失せていく。
「(来るかな…。)」
心の中で男は呟いた。
ジワリ、と、熱いのか冷たいのか判らないものが体を支配していく。
呼吸をしているのかもしていないのかもよくわからない。
なのに意識だけは確実にはっきりと状況を把握し続けている。
ふと目を上げると、扉の向こうに次の男たちが2人、興味深そうにこちらを覗き込んでいるのが見えた。
1人は同い年くらいの知っている男だ。
「ねえ、お願いがあるんだけど。」
痺れていく体にも拘わらず、男の喋り声は全く日常そのものだった。
だが気付けば、痺れて体が硬直し始めた男は椅子から前のめりに倒れ込み、右側面を下にして床に突っ伏していた。
声を掛けられた顔見知りの男がプシューと自動扉を開けて入ってきて男の前に立った。
「なに?なんでも言って。」
顔見知りのその男は笑顔で快活に応えた。
楽しそうだ。
「悪いんだけど、俺のロッカーに携帯があるから、取ってきてくれないかな。」
「いいよ。」
スッと意識が遠退きそうになり、また覚醒したとき、顔見知りの男は取ってきた携帯を左手に持ち傍らにしゃがんで顔を覗き込んでいた。
目だけ彼の方に向けて、男は普通に会話した。
「あのさ、ちょっと死ぬとこ写メってもらっていい?」
「いいよぉ。」
「でさぁ、死んだあとのヤツも写メって後で見せてもらっていい?」
「うん、分かったぁ。」
そう言うと、彼は男を撮り続けた。
パシャァ、パシャァ、と軽率な音が数回部屋に響く。
誰もそれを止めることなく少し離れた所から見ている。
「あ、もうすぐ死ぬよ俺。ほら、分かる?ほら。」
「お~、分かる分かる!スッゴい死にそう!」
「ね!撮れてる?」
「撮れてる撮れてる!!」
「あ、死ぬわ…。」
「…お~、死んだ死んだ!」
「はい失礼しま~す。」
その時、それまで黙っていた看護士が唐突に割り込んできた。
死んだ男は喜んでいるような妙な笑顔を浮かべ目をパチクリしながら看護士を見た。
看護士はまだ写メを撮りたそうな彼の両肩を後ろから掴み自分の右側にどかすと、死んだ男の傍らに両膝をつき冷たくなっていく左手首をとり脈を確認した。
「どうですか?」
死んだ男が聞いた。
「ご気分はどうですか?」
看護士が聞き返した。
「なんか、スゴく楽になりました。」
「そうですか。」
看護士は短くそう答えると「先生。」と、いつの間にか近くに立っていた医師であろう若い男に場所を譲った。
「どうですか先生?」
「はい、死んでますよ。」
「そうですか。」
男はとても満足だった。
顔見知りの男が羨ましそうにこちらを見ている。
「あのぅ、僕も早くお願いできますでしょうか。」
「いいですよ。じゃあ始めましょうか。」
死んだ男はニコニコしながら、顔見知りの男が自分と同じように死んでいくのを見つめていた。
どうやら、患者はまだまだいるらしい。
朝方なのか夕方なのか、タイムスリップでもしたかのような感覚に陥るほんの一瞬に見た、たぶん夢の話しだ。
この話しが意味するところを僕は知らない。
