最近、いろいろ仕事で精神的に疲れることが多く、いっそ書くことをやめてしまおうか、と、考える。
特に現実的に食っていかないと、と、思うと、資格があるのだから地道に介護の仕事にでもついて日銭を稼ごうか、などとまで考える。
労力に対価がともなわないと、なかなかやる気が起きないのだ。
そういうところに、吾妻ひでおの「失踪日記」を読む。
売れっ子漫画家が、締め切りの最中にふらりと酒を買いに行ったまま、忽然と失踪し、流浪してホームレス生活の果て水道管工事人になり、警察に保護されてやっと家に帰るも、今度はアルコール中毒患者になり、病院にはいる。
すさまじい人生である。
しかし、結局、彼は書いてしまうのだ。
水道管工事にたづさわっているときでさえ、つい、業界誌に漫画の投稿などしてしまう。そのおかしさ。書くことに病み膿み疲れはてて、逃亡したのに、戻るとことは書くことなのだ。
それは花輪和一の「刑務所の中」を読んだときにも思った。懲役刑になっても、それを書いてしまう。
二人に言えることは、一見悲惨な状況下でも第3者の目を失わずに、後に面白い読み物に昇華してしまう、その、物書きのサガ、だ。
サガだ。
苦しいことも悲惨なことも、「あ、ネタかも」と、頭のどこかで冷静に思っている自分がいる。
へたれの私は、すぐ、弱音を吐く。
「もうやだ、やめたい」
そのたび、
「書くことをやめないで」
と、いってくれる人がいる。
書き続けられるだろうか。
サガのない人たちにとっては、「なぜそこまでして生き恥をさらすのか?そこまでしてお金が欲しいのか?」としか思えない行為。
サガです、と、言ってもわからない人にはわかるはずもない。
対価が伴わなくても、書き続けられるか?
そこまでのサガが、私にあるか?