こんにちは、千葉県市川市の社会保険労務士 渡辺 巖(いわお)です。 

 

5月下旬、長崎県の端島、通称軍艦島に上陸してきました。長崎港から船で向かうのですが、波の高さが50cm以下でないと上陸できません。この波の高さというのも、少し離れた伊王島にある国土交通省の波の高さを20分毎に測定する機器の測定値が基準となっていて、いくら軍艦島周辺の波が穏やかでもこの基準を満たしていないと上陸できません。

 

 

昨夏、天気は良かったのですが、この波の高さが条件を満たさず、軍艦島の周りを回って帰港となりました。船の乗船料も4千円近いので、じゃあ、その次の船という訳にもいきません。波の高い季節というのが夏休みシーズンとぶつかっているようで、4回来て未だに上陸出来ない人もいるようです。梅雨前だと、上陸率が高いようで、それでトライしてみたわけです。

 

いろいろ研究した結果、今回は軍艦島に上陸できました。この島から人がいなくなって来年で50周年。100年以上前に、日本初の高層住宅が建てられたのがこの島。その住宅から人が消え、海風と台風により少しずつ崩壊していく様。まさに廃墟。船の上からみると異様な光景です。上陸してみると、写真のように、誰も手を付けないと、そうだなと実感します。日本の高度成長を支えた石炭を掘るために作られた人口の島。石炭から石油へとエネルギー政策が転換されて必要でなくなった島。労働者の賃金は高額で、事務職の数倍だったようです。1960年代、テレビの普及率が日本で一番高かったのがこの島というのも頷けます。

 

世界文化遺産となっているのは、この島全体ではなく、炭鉱の坑口跡とコンクリート護岸(防波堤)の内側の石積み部分のみ。コンクリート護岸はコンクリートに大きな石を混ぜて作ったもので、台風の荒波にも100年以上も耐え続けて存在していることが評価されたということです。世界文化遺産という言葉、微妙ですね。それはそうと、なぜか非常に印象に残る景色でした。