神奈川県の小田原市長選(5月17日投開票)で、現職を接戦で破って当選した、守屋輝彦市長が、選挙公報で「市民を『守る』コロナ対策 ひとり10万円」と記載したことが批判されている。

多くの市民がこの表現に、市が独自に「10万円を給付する」と思い込んで投票したと語っている。しかし当選後、国から給付される10万円を迅速に給付する意味だったと弁明し「誤解を与えたこと」をおわびした。誤解を与えた公約で、票を集め当選したことは大問題だ。

そもそも人口約19万人の小田原市で10万円を給付すれば、約190億円を要する。

市の財政上、原資はなく実現は不可能だ。現職と接戦の中、なにがなんでも当選したいと、大衆迎合の公約を掲げたのでないかと疑う批判も多い。誤解や批判の中、リーダーとして、市の経営ができるのだろうか。

何が何でも当選したいという政治家はいる。私も国会議員時代、同僚の政治家が政治で生計を立て「負けたらおしまい」という議員を何人もみてきた。そうなると、どうしても国家の大業より、次の選挙に勝つための公約が掲げられてしまう。

広島選出の河井克行・案里夫妻の一件も、20万円、30万円という金額が地方議員に渡されていた。こうした金額で政治家の信念が揺るぐことがあっても困る。
行政は経営だ。

首長選挙では、経営感覚のある人を選ぶべきだ。しかし実際は、地元の名士や大衆迎合の政策が有利に働く傾向がある。そうした中でも、気骨のある首長もいる。私が参与を務める岩手県陸前高田市の戸羽太市長もそのひとりだ。

民間企業に勤めていた感覚や経験がベースとなり、震災からの復興も、この市をこれからどう「長期経営するか」という視点で市長をしている。迎合より正論でリーダーシップをとる姿勢もよく見る。持続可能な「街作り」は、それこそ大業だ。しかし、戸羽市長のように、正論や長期ビジョンを掲げると、選挙に強くない傾向がある。戸羽市長も前回選挙では5票差という大接戦だった。

公約は、掲げる側も、投票する側にとっても、もっと大きな意味を持つべきだ。

私は、財政再建や脱原発といった、掲げた公約を前に進めることができず、2期目の出馬を見送った。それが「あたり前の感覚」だと思う。西郷隆盛は、大業を成し遂げる人の条件を「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人」と定義した。国難の今、小田原市長をはじめ、日本の政治家は「大業」を成し遂げられるだろうか。

【夕刊フジ】「渡邉美樹経営者目線」(毎週火曜日連載)より