1年半前に初孫が誕生した。
孫ができてから、より長い先の未来を考えている。

今回は、私の「脱原発」についての考えを述べたい。
2013年の参院議員初当選以来、
「原発ゼロへの道筋を作りましょう」と繰り返し
言ってきたが、国をその方向に動かせなかった。

当初は私も、高速増殖炉「もんじゅ」の
核燃料リサイクル構想などを聞き、
永久にコストの安い電気をつくることができ、
ゆくゆくは途上国のエネルギー政策に貢献できる
素晴らしい技術かもしれないと思っていた。

だが、2011年3月11日の東日本大震災に伴う
福島第1原発事故は大きな転換点だった。
福島県は妻の田舎で繋がりも深い。

エネルギー政策を審議する参院経済産業委員として、
福島第1原発と同県大熊町を視察した際、
人っ子一人いないゴーストタウンの光景に
大変な衝撃を受けた。
崩れた安全神話を目の前にした。

私は中学時代から聖書を愛読してきた。
原発は人間が近づいてはいけない“バベルの塔”で、
「原子力は人間が手を出す領域ではない」
と警告を受けたとすら感じた。

私が参院議員に当選した13年当時は、
自民党内にも「脱原発」の雰囲気がまだあった。
その頃の主たる議論は「東京電力をどうするか」だった。
私は、東電は上場企業として、巨額の負債を抱えており、
国民との合意のなかで、一度「整理」をしてから
前に進むのが、あるべき姿ではないかと、
経営者目線の提言を続けた。

しかし、東京電力が存続されるという方針が決まり、
そこから巨額の負債の返済のため、コストの安い原発を
再稼動する流れが出来上がっていく。
コストが安いとはいえ、福島のように事故がおきたら
「安い」は当然あてはまらない。

次に私は、原発に関する国民投票を提言した。
「原発のある場合と、ない場合、両方のコストや
リスクを、グランドデザインとして描き、
国民に信を問うべきでは」と主張した。

しかし、昨年策定された「第5次エネルギー基本計画」
で「原発を事実上残す」という方針が示された。
「何年までにゼロ」と決めれば、そこに創意工夫が
始まる。「原発ありき」と決めた段階で何も起きない。

ワタミグループは震災以降、風力や太陽光など
自然エネルギーへと本格的にかじを切った。
農業と環境エネルギー事業を手がける子会社、
ワタミファーム&エナジーは、新時代の主力事業
とさえ位置づけている。さらに、世界の外食企業で
初めて、再生エネルギー100%を目指す「RE100」
をワタミは宣言し、40年までにその実現を目指して
いる。秋田県で巨大風車、北海道ではメガソーラーが
今日も稼動し、全国の和民などの店舗では電力使用量を
「見える化」するシステムなどを導入し、
原発ゼロへ一歩ずつ創意工夫をはじめている。

「RE100」はワタミの他にも、ソニーやイオン、
海外だとアップルやP&Gなど、その輪が年々広がって
いる。政治家より経営者の方が、理想を実現しやすい
と感じてしまうこともある。

原発から出る放射性廃棄物の最終処理の方法や、
最終処分場の答えすらない。それを孫の世代に
押し付けることはしたくない。

 

【夕刊フジ】「渡邉美樹経営者目線」(毎週火曜日連載)より