4月14日で、熊本大震災から1年が経ちました。
改めて、犠牲となられた皆様に哀悼の意を表すると共に
今なお避難生活を余儀なくされている皆様方に

心からお見舞いを申し上げます。

今週火曜日に、福島第一原発の視察に行ってきました。

向かうバスから見える仮設住宅の看板の数々、
帰還困難区域の風景、人のいない荒れた家々、
立ち入り禁止の看板やバリケード。
誰もいないガソリンスタンド、外食チェーンの店々、そして工場。

道端には、除染土を入れた大きな黒いビニールの山。
時間が止まった街を見る思いがしました。

福島第一原発では、廃炉の為に東京電力他、
6,000人もの人が、放射線の危険にもかかわらず、
一生懸命に働いていました。

 

頭の下がる思いでした。

廃炉、賠償で22兆円以上、30年~40年の歳月、
6年前の状況を詳しく聞き、5号機原子炉建屋内部へ。
燃料デブリを取り出す壮絶な戦いが始まっています。
取り出せたとしても10万年以上、
放射線を出し続ける燃料デブリ(※)を置く場所さえ、
決まっていません。

手袋2枚、靴下2枚、ゴーグル、ヘルメット、
そして宇宙服のような防護服を着て、考え続けたことがあります。
それは視察前と変わらぬ思いでした。

~原発-0へ、明日の子どもたちの為に~

人間がコントロールできない原子力という技術、
やはり神様の領域なのだと思います。
聖書の「バベルの塔」を思い浮かべます。

経済にあまりにも大きな影響を与えるのならば、
即「原発‐0」でなくてもいい。
今の私たちの世代で「原発-0」の道筋をつけるべきです。

この史上例を見ない大規模原発事故を引き起こした東日本大震災。
被災地の陸前高田市で出会った子どものことが思い出されます。

震災から約半年後の夏、陸前高田市参与として
復興イベント開催のお手伝いをさせて頂いた時のことです。
子どものお父さんは20年前、

私の店の酒店の担当営業マンだった方で、
気仙沼から会いに来てくれました。

その家族は震災まで陸前高田で幸せに暮らしていたのですが、
津波でお父さん、お母さん、奥様、
6才と3才の娘さんがのまれてしまいました。
お父さんも津波にのまれましたが、
波に浮かぶ屋根につかまって一昼夜を過ごし生き残り、
10歳の長男は小学校にいて助かったとのことでした。

その時私は何も言葉にできず、
10歳のその長男の手をただ握ることしか出来ませんでした。
それぞれが、それぞれの人生を背負いながら生きています。
逃げることができない現実に、

ただ手を握ることしか出来ませんでした。

その東日本大震災から6年。熊本大震災から1年。
未だ復興は道半ばです。
依然、避難所や仮設住宅で生活されている方が多くいます。
政治家として、被災地の復興にこれからも全力を尽くしたいと思います。

〝夢に日付を″ 
せめて2030年までに
震災からの復興を遂げ、「原発-0」へ。

福島第一原発視察を通じて、
そして被災地で出会った子どもたちの顔を思い浮かべながら、
強く思いを新たにしました。

※燃料デブリ…原子炉が異常加熱した結果、
溶融した核燃料や原子炉構造物、制御棒などが
冷えて固まったもののこと。
強い放射線を放っており、かつ非常に硬いため、
状況を把握することも処理することも難しいとされる。

 

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