ニュージーランド視察を終え、ニュージーランドの行財政改革について調べています。
というのも、ニュージーランドで会う人すべてが、「20年前の改革があったから今がある」と私に教えてくれたからです。

 

ニュージーランドは1960年代まではとても裕福な国で、豊かな財政基盤のもと、「ゆりかごから墓場まで」と呼ばれる高福祉国家でもありました。
ところが、1970年代に経済不況に見舞われ、国家財政は破たん寸前まで追い込まれました。
国民の不満が高まり、1984年の総選挙では与党国民党が敗北し、労働党政権が誕生しました。
首相に就任したロンギ首相は若干41歳。
彼は「すべての既得権益を否定せよ」というスローガンのもと、大胆な行財政改革を推進しました。
改革の基本方針は、“経済の自由化”と“小さい政府”です。
政府が推進した規制緩和によって、それまで“OECD加盟国中最多”と言われていた規制の数は、“OECD加盟国中最小”となりました。
しかし、改革の成果はすぐには出ません。
国民は、失業率の上昇などの痛みに耐え続けましたが、ついに我慢の限界に達し、1990年の総選挙ではまた、労働党から国民党に政権が戻りました。


ここで、与党となった国民党がとった基本方針は“改革続行”です。
国民党は、労働党が聖域として手を付けられなかった労使関係の見直しや福祉の見直しにまで着手しました。
しかし、「弱者にしわ寄せがいった」という国民の不安がまたも蓄積し、1999年の総選挙でまたもや労働党が政権を奪還します。
それでも労働党は、一部の政策で弱者寄りの政策に転換しますが、基本方針としては“改革続行”でした。

 

私は労働党・国民党両政府の「改革は断固実行する」という強い決意と、痛みを我慢してでも「政府の改革を支持する」というニュージーランドの国民性にとても感動しました。


なぜ、ニュージーランドでは、日本がなかなかできないことをできたのでしょうか?

「ニュージーランドは小さな国だからできた」というのが多くの政治家や官僚の答えのようですが、どうも実態は違うようです。
ニュージーランドが改革を断行できた理由の一つは、「ニュージーランドは小さな国だから、改革しなければ国がつぶれてしまう」「1970年代の不景気に二度と後戻りしてはいけない」という“強い危機感”を全国民が共有していたからです。
そして、もう一つ、とても大切な要素があります。
ニュージーランドは、政官界の透明度や腐敗度の国際調査において、常に最優良グループに属しています。
政治家は国民からとても尊敬されており、信用されており、改革の内容に不満は出ても、政治家や政治決定に対する不信感は国民の間で生まれづらいのだそうです。
日本とはえらい違いです。
だから、ニュージーランド政府は改革を断行できたのです。

 

日本も、ニュージーランドから学ぶことはたくさんあります。
次回から、ニュージーランド改革の内容について、いくつか具体的に紹介します。

 

(渡邉美樹メールマガジン2016年9月16日配信より)