以前から一度お会いしてみたいと思っていました。
(いや、正確に言えば、先月バングラディシュに向かう飛行機が一緒でしたから2度目といっていいかもしれません)
お話をさせていただきたかったというのが正しい表現でしょう。
ムハマド・ユヌス氏とのパネルディスカッションの話を頂き、今回快諾させて頂きました。


1970年代前半、バングラディシュはひどい飢餓を迎えていました。

チッタゴン大学教授であったムハマド・ユヌスが銀行サービスの提供を農村の貧困者に拡大し、融資システムを構築するための可能性について調査プロジェクトを立ち上げました。

42の家族に総額27ドルという小額の融資をしました。
それは高金利のローンによる圧迫で、売り物のための小額の支出にも金貸しに頼らざるを得ないという負担を無くすためでした。

それがグラミン銀行のスタートだったそうです。

貧しい人が貧困に苦しまされずに自立して生きていくことを支援すること。
それが、グラミン銀行の設立目的です。

貧困者(主に女性)を対象にした起業支援のためのマイクロファイナンス(小口無担保融資)を行いました。利用者は借りたお金を元手に事業を展開し、徐々に生活を改善していきました。
そのビジネスはやがて、バングラディシュの中に広がりました 

~シンポジウム・パンフレットより~


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ユヌス氏の口からは、「ソーシャルビジネス」という言葉が頻繁に発せられます。
「ソーシャルビジネス=社会企業」とでも訳すのでしょうか。

事業内容をみれば、銀行以外の事業は、環境・医療・食糧・エネルギーおよび教育となっており、規模はともかく、私のやっていることと重なります。

環境=森づくりNPO(9ha)
医療=医療法人盈進会 岸和田盈進会病院
食糧=ワタミファーム(490ha)
エネルギー=風力発電
教育=学校法人 郁文館夢学園

「社会企業」の意識を持ってこの27年間経営に当たってきたわけではありません。
ただ、とびきりの「ありがとう」が集まる仕事だけをやってきました。

そして通常なら、売り手、買い手のwin-winの関係を、
社員、取引会社様、株主様、地域社会、国、会ったことのない遠い場所のこどもたち、未来のこどもたち・・・
たくさんのwin-winの関係を構築してきました。

私は須らく、すべての企業は「社会企業」だと思っています。
「社会企業」ではない企業は世の中に存在することはあっても、
存在し続けることはないとさえ考えています。

ユヌス氏は言います。
「利益の最大化を求めず、社会の問題を解決する為に、
損失も配当も出さず楽しみながら行うビジネス。
NPOでも、NGOでも、CSRでもないもの。
1つの村を救いたいという思いを実現するに最も適した形が
ソーシャルビジネスだ」と。

ユヌス氏の唱えるソーシャルビジネスの定義がもうひとつわからなかったので、直接本人に確認させてもらいました。
要はこうです。
出資者の配当はお金ではなく、社会がよくなること。

出資者にそれだけのものを求めるゆえに、
経営者もその会社の最低賃金の7倍までしか報酬は受けず、
基本的にすべての利益はよりよい社会作りの為に使われるとのこと

パネルディスカッションでも私は「それは少しいこじなのでは」と指摘をさせてもらいました。
カタチにこだわることによって、目的の最大化が図れないのではないかと。

ユヌス氏は答えました
「これは、ニッチなビジネスモデルなんだ」と。

そして話を聞いていて私は思いました。
社会の多くの人々がお金だけを求めず、
「自分の住む社会がより人々が幸せになる社会となっていくこと」が最大の報酬と思えるようになっていったら、“明日”は素敵な地球になると。

大きな意味でユヌス氏の行動はすべて納得がいき、
その生き方を全面的に肯定します。

パネルディスカッションの後、著書にサインをしてくれました。
そのとき、何も見ずに、だれにも聞かずに私の名前を書き入れてくれました。
名前を覚えてくれていたのです。

その気遣い、心遣い、頭が下がりました。
本当に見習わなければならないと自らを省みて反省しました。
謦咳(けいがい)(=せきばらい、しわぶき)にふれさせてもらって光栄でした。

謦咳にふれたことが本当に光栄と思える、心から尊敬できる方と出会えたことに心から感謝します。

そんな遠くないうちに、ユヌス氏とソーシャルビジネスを立ち上げる
確実にそんな予感がしています。

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