福島第一原発事故から2年9ヶ月が経過した今、避難者は少し心の余裕ができてきたのだろうか?我々避難者がこの原発事故によって失ったものは一体何だったのか、この頃そういう議論をよく耳にするようになった。そしてその議論には、必ずと言っていいほど「コミュニティを失った。」という話が出てくる。しかしこの「コミュニティを失った。」という事柄はあまり外からは分かりにくく、理解されにくい事だというのも現実のようだ。このことは政府や国会ではほとんど論じられず、復興と言えば相変わらず旧来型の大手ゼネコン主導のトラックとブルドーザーによる形しか見えてきていない。

確かにこの原発事故によって、3・11以降、双葉郡8ヶ町村、7万人以上の規模の住民が避難し、住民は全国各地に散り散りに避難させられた。夫婦や親子はもちろん、親類、友人、学校、行政区やご近所の関係など、地域で育んできた人と人とのコミュニティがバラバラに壊されてしまった。そしてそこには地域のコミュニティがなければ全く成り立たなくなる地域産業、地域企業が存在していたのも確かだ。

私が感じるに、その関係は一瞬にしてゼロになったということではなく、離れ離れになった距離と時間の経過とともに、徐々に徐々に薄れ、崩れていっているような印象がある。そして今もなお、薄れ続け、崩れ続けているのではないだろうか。

 さて、「地域とのつながり、人と人とのつながりが無くなってしまった・・・」「元通りに戻してほしい・・・」そう思っていた避難者も2年9ヶ月経った今はどうだろうか? 借り上げ住宅では当初からあまり人と人との接点がなく、今ではむしろ地域の中でひっそりと生活したいと望む人が多いように思う。また仮設住宅では同じ町民同士の繋がりでも以前と同じような地域コミュニティではないため、人間関係が煩わしくなり嫌になっている人も少なくない。「連絡の取れている親しい間柄の人間関係さえあれば十分だ。」「干渉しないでくれ。」という声も多い。また、嫁姑関係から解放され、あるいは反りの合わないご近所関係から離れ、もう二度と元には戻りたくないという人さえ少なくない。

 コミュニティを避難前の状態に100%元通りになることは不可能である。例え、避難前と同じように全員が元通りに戻り、元通りに生活できるようになったとしても、前と同じようなコミュニティ、同じような人間関係、同じ町にはならないだろう。時の流れとともに人それぞれ違う考え方違う心境の変化を辿り、違う道、違う人生を歩み始めたのである。それを好むと好まざるとに関わらず。

 今の時期、財物賠償が徐々に進み、新たに住居を求め、新たな生活を歩み始めた人も増え始めている。いよいよ「避難」という境遇から抜け出し、心機一転新しい生活を始めたいと思う人が増え始めているようだ。新たな地に身を落ち着け、そこで仕事を始め、そこで学校に通い、それぞれの家庭がぞれぞれの地で根を張り始めている。そして新しいコミュニティを築き始めている。その地で何とか未来を築こうとしているのである。ともすれば、「故郷へ帰ろう。」「元通りに戻してほしい。」という、ついこの間まで当たり前に考えていた思いでさえ、今では後ろ向きのように感じる人も多いのではないだろうか。避難している窮状、その困り事、失ったものを探る作業がマイナスな事に感じる人も多いようだ。早く区切りを付けて生活再建に踏み出したいと誰もが考えている。

時の経過とともに心境はどんどん変化している。それは悪いことではない。その心境の変化は前向きに歩んでいきたいという心の表れで、真の「心の復興」を始めている表れだと思う。そんな空気をひしひしと感じている今日この頃である。皆様は今どう感じているだろうか?























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原発事故被害者支援司法書士団




上記は2014年1月10日 群馬司法書士新聞に掲載されております。