殿ヶ谷戸庭園(随冝園)の散歩です。Part 2
「竹の小径」を歩きました。
斜面のところにあります。
熊笹が斜面にあります。
この斜面は、国分寺崖線の一部かな? と思いました。
斜面の下には池があります。
馬頭観音の石碑です。
国分寺崖線から湧き出す湧水です。
かなり多い水量だと思いました。
「鹿おどし」です。
いい音ですね。
随冝園を見学しました。
説明板より
大正初期に、三菱合資会社営業部長の江口定條(えぐちさだえ)がこの地に構えた別邸は、和洋の折衷した別荘建築で、庭師「仙石」(仙石荘太郎、せんごくそうたろう)の作による庭で、「随冝園(ずいぎえん)」と称された。
江口家の建物は、当時流行のサンルームのような光を取り入れた居間など、大正期の典型的な和洋折衷の別荘建築でした。
江口定條 えぐちさだえ 1865~1946
高知県生まれ。東京高商(一橋大)卒業。三菱合資会社長崎・門司各支店長などを経て営業部専務理事、南満州鉄道副総裁、貴族院議員。
山を愛し、自然や武蔵の地に愛着があったと言われている。
仙石荘太郎 せんごくそうたろう
赤坂の庭師「仙石」は高橋是清(たかはしこれきよ)邸庭園や八芳園などを手掛ける。
随冝園 ずいぎえん
江口定條は此の別邸を「随冝園」と称し、その扁額が現存しています。
扁額の署名は「湯化龍」とあり、この書では「宜」の字は「冝」と書かれています。
湯化龍は、清朝末から中華民国初期にかけての政治家で、明治39年(1906)に日本に留学し、明治45年(1912)には、中華民国臨時政府の法制局副総裁に任命されました。
江口は明治39年(1906)に三菱合資会社の鋼業部副部長として、清国視察に赴き、その後、貿易など多くの事業が進めれれました。
江口と湯化龍のつながりは明らかではありませんが、日本か中国のいずれかで揮毫されたものであると思われます。
大きな木があります。
この後、貫井神社へ歩きました。
途中でランチしました。
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