府中市の大國魂神社へ行きました | 渡辺丈三郎の旅行、食事など日々の備忘録

渡辺丈三郎の旅行、食事など日々の備忘録

ブログの説明を入力します。

東京都府中市の「大國魂神社」へお参りに行きました。

イメージ 1
旧甲州街道に面しています。
大きなご神木があります。

府中市指定文化財、「有形文化財 ケヤキ並木馬場寄進の碑」です。
馬場大門のケヤキ並木両側の歩道部分はかつて馬場であり、「馬場大門」の名称もこれに由来しています。
イメージ 2
馬場は、慶長年間(1596~1615)に徳川家康が六所宮(現大國魂神社)に寄進したものと伝えられています。

この碑は由緒ある馬場を長く後世に伝えるために建てられたもので、花崗岩の石に「従是一之鳥居迄五町余 左右慶長年中ご寄附之馬場」と刻まれています。

石碑がいつ誰によって建てられたかは不明で、江戸時代後期の地誌「武蔵名勝図会」に図入りで紹介されており、その頃には有名であったことが知られています。



イメージ 3
相撲の土俵があります。八朔相撲があるようです。

大國魂神社八朔相撲は、天正18年(1590)8月1日、徳川家康公の江戸入城を記念して天下泰平、五穀豊穣を祈る奉納相撲として始まったもの。
体育奨励の目的を以て幕府より水引幕を献納せらえた由緒ある相撲である。

旧4ヵ町により伝統行事として毎年行われたもので、現在では大國魂神社4ヵ町八朔相撲会主催により、小学生から大人までの幅広い参加者により絶えること無く受け継がれている。

426年ほどの歴史があるんですね。



イメージ 4
日露戦役の記念碑



イメージ 5
かなり立派だと思います“手水舎”




イメージ 6
随神門



イメージ 7
鼓楼(有形文化財)
鼓楼は太鼓を懸け時刻を知らせるための建物で、元来中国で発達し、日本には鎌倉時代に移入され、主として寺院に設けられました。

江戸時代になると鐘楼と相対して造られることが多く、宇治の万福寺や日光東照宮のものがよく知られています。

大國魂神社では慶長年間の造営の際に、三重塔と相対して建てられましたが、正保3年(1646)の大火で焼失、200年余たった嘉永7年(1854)に再建されました。
現存するこの鼓楼は、その再建連社板によれば、府中をはじめ日野・多摩・町田の各市域の17名の人々によって寄進されたものであることがわかります。

その後、数度の修理が加えられていますが、よく当初の原形を保っており、神社では数少ない貴重な建築物です。



イメージ 8
中雀門



イメージ 9
忠魂碑。右側は大日本帝国海軍・軍艦多摩戦没者慰霊碑
多摩川に因んで名づけられた軍艦多摩。
乗組員は全員戦死されているようです。艦内には、大國魂神社が分祀されていたようだ。



イメージ 10
さざれ石
さざれ石は、石灰岩が雨水に溶解し膠結物質となり、小粒石を凝結した石灰質角礫岩である。
長年を経て小粒石が巌に固結し苔むす様は、一家、町、国と集結し幾千代まで栄え行く人間の協調発展の精神に比喩され、算賀を祝し長寿を祈る嘉句として国歌や古今和歌集に詠まれている。



イメージ 11
本殿、拝殿横に多摩の地酒がずらりと奉納されています。



イメージ 12
サントリービールも奉納されています。生ビール



大國魂神社に隣接する「国史跡 武蔵国府跡」へも行ってみました。
イメージ 13
奈良時代から平安時代の約400年間、武蔵野国を治めた役所の所在地を国府といいます。

国府の中枢の役所群が置かれていた所を国衙(こくが)といいます。



イメージ 14
国衙の範囲は、大國魂神社の東側
だいたい東西200m以上、南北300mくらいにあったと考えられているようだ。



イメージ 15




イメージ 16
いいお参りと見学が出来ました。
いい一日でした。

また気になるところへ行ってみよう。走る人  車   電車   飛行機 ハート