小平神明宮へ行きました | 渡辺丈三郎の旅行、食事など日々の備忘録

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先日の事、小平市の小平神明宮へお参りしました。

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青梅街道に面しています。かなり奥に長い境内です。

主祭神名 天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)(大日孁貴尊)
明暦2年(1656)小川村の開拓願と共に神明宮の勧請を発願。

5年後の寛文元年(1661)宮崎主馬、名主・総農民の協力を得て社殿を造営、小川村の総氏神とした。

今日十二社十五座の神々を祀る。御主神は大日孁貴尊(おおひるめむちのみことと申しあげ伊勢神宮の内宮と同一神で、広く古来より『神明さま』と親しく呼ばれています。
広大無辺の御神徳を日の大神とも仰ぎ、太古より変わらぬその恵みと幸せは万民に遍く、世の闇を照らし邪悪を駆逐し、温かな和の心、慈しみの心で生命ある万物を産み育て導き下さっています。

この御神威を崇敬する全ての人々が将来に渡って享受、健康、生産、平和、繁栄の神徳を得て、四季の祭が豊かに継承されています。


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鳥居をくぐります。




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日露戦争の戦捷紀年碑です。横に砲弾があります。
乃木希典の書のようです。

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小川村開拓碑
承応3年(1654)に玉川上水、翌年野火止用水が完成すると、小川九郎兵衛は、明暦2年(1656)新たな馬継場の開設と、玉川上水と野火止用水の分水地点から武蔵野乃一本榎に至る地域の開発、および玉川上水から開発地域への分水を願い出て、許可を得ました。

小川村は、その後幾多の困難に耐えて明治に至り、小平村の母体となって今日の繁栄を見るに至りました。

大正7年(1918)、小川九郎兵衛安次十世の孫彌次郎が、九郎兵衛250年祭を修行するにあたり、村民と協力して、その功績を永久に伝えるため建立したもので、安次の出自、事績、小川村開拓の由来が記されています。


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かなり奥に長い参道を歩きます。
幼稚園があるせいか園児の送りの自転車が多数並んでいます。

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御鎮座350年記念になるようです。歴史があります。



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天神様の牛と手水屋
こちらの神社には、学問の祖神と仰がれる菅公も合祀されています。
菅公は承和12年の丑年、6月25日の丑の刻に誕生、生涯牛を大切にし、その徳を経世の基となし、梅をもって風月の友とし、松をもってその姿とせり。

御神号に、天満大自在威徳天神と称せられるように、学徳識見共に古今無双、志操堅固、至誠一貫、清明正大、よって学問に志し、励む人から厚く崇敬されている。



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地下深くから汲み上げている清水  宮司さんのことば

生命の維持に欠かせない水、汚れを濯ぎ清める水・・・・・・人々は水の働きに神の力を感じてきました。

この地球上に生命の大本が形成され育まれたのは水の中でありました。
地球環境汚染が進行している今日、水を大切にした先人の「心」の継承は深い意義があります。

この水は、地下125メートルの水脈から汲み上げている清水です。
また、溢れる水は再び地下に浸透させています。

どうぞ「生かされている」神様の恵みに感謝の心をもって、日々の暮しに励まれますよう祈念致します。



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小平神明宮の拝殿前でお参りしました。



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東殿三社
・春日神社 ・八雲神社 ・八幡神社




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こだいら名木百選の小平神明宮のイチョウ
小平市市政施行50周年記念事業のようです。平成26年(2014)に選定されたようだ。




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絵馬を奉納める由来
神さまにいろいろの願い事をするとき、昔は生きた馬などを納めることは大変なことでありました。
そこで真心をこめて絵に描いて願い事がかないますよう、また願い事のかなったお礼のしるしとして今のような絵馬を納めるようになりました。

いいお参りができました。

またどこかへ行ってみよう。