こんにちは。
ここ最近、色々と忙しい中でも、様々な高度な気づきが訪れています。
言い換えれば、様々な心の摩擦こそが、「答えに気付かせてくれるチャンス」であり、それがたくさん来ているという感じがします。
先日、私は、いよいよ「存在としての目覚め(真我の目覚め)」が始まったようです。ここまで来たのか、という感じがしています。それと共に急速に「特別意識」が減ってきている感じです。「特別意識(主に優位性)」のようなものが、何の意味もなさない(単なる錯覚の助長になる)ということが、様々な角度から見えてきて理解し始めたからです。誰かだけが特別でもなく、誰もが特別、だそうです、先輩によれば・・・。
どうやら私は、たとえてみれば「意識の森を間伐する」という感じで役目を果たしてきているようです。以前は「インディゴチルドレン」と言われたこともありましたが、「意識の世界の開拓をする軍」だったことが、結果的に解ってきました。細部については、今現在テーマになっている人達に委ねているというか・・・意識の世界とは、そのように、見えないところで、誰かが誰かのバトンタッチをしたりして、天国の意識を降ろし、紡いでいるのかもしれないな、と思いました。
私自身の直接的な悩みは、保留にしておいても良い状態で、難しいことやとても大きなテーマについては粗方片付いています。今は、事務所や勉強会を開いたりする場となる家の修繕や片付けなどにより忙しくしています。同時に、心と周囲の現実、自分の現実において、「スピリチュアルを仕事にしていく」という方向で自然と道ができはじめている感じがします。でもやることが多いので、それなりに忙しいですが・・・。
私自身の現実的な悩みが小さくなってきたら、周りの人達のことを考えることがその分増えたり、より深い意識レベルに意識が向くようになることが増えました。そんな中で、私自身が、1つ上の段階へのステップアップの問題に取り組んでいる感じになりました。
そして最近、周囲を見ていると・・・身近なところで(意識のテーマとなる)問題が吹き出している人もいれば、一般大衆は(実は、志のある活動をしている人々も、)「熱中状態」にある人が多いように感じました。私はその方々の不足感を食らってしまうこともあると気付きました。表面的にやっていることは、必ずしも「内なる神を生きていること」とはちょっとずれている、という気づきがありました。
そんな中で、以前にも話題にした、私の知り合いのAさん(難病となってしまっている人)について、色々考えることがあり、イエス様と対話をしました。それは、最近起こった出来事の中にバラバラに見えていた中に、共通する何かを教えてくれました。
今回の対話は、想念を観察する訓練を積んで、ある程度理解がなければ難しい内容になりますが、まだそうでない方々にとっても、参考になることもありますので、よろしければお立ち寄りください。
🌿今の私のレッスン「全託(宇宙の計らいを信じること)」と「ぶどう園の労働者と主人」のたとえ(マタイの福音書20:1-16)
死者をも復活させた、イエス様との対話:真理を知れば、難病さえも改善できるはずなのに、Aさんは知ろうとしないので、どうしたらよいのでしょうか?
イエス様→イ あおい→あ
あおい:イエス様、死者をも蘇らせたことを知っています。
難病者となってしまった身内のAさんに、スピリチュアルを学べば事態は改善し、進行が止まったり、最悪の事態を避けられたり、様々な変化がやってくるだろうということを、手紙で告げたことがあります。飛びついて喜ぶかと思いきや、まったく何の返答もありませんでした。むしろ、「変なこと言ってる」と思われているようでした。私自身の言葉では怪しげに聞こえるのだろうと思ったので、その後、「アメリカで科学的に検証したある瞑想法による難病回復の本」を紹介しました。「ニューヨークタイムズ紙でのお墨付き」なら飛びついて読むだろうと思ってのことでした。それでも反応は無し、でした。
私は、そのことに大変驚きました・・・。「私なら、どうしても治りたいから、飛びつくだろう」と思うからです。Aさんは、その後、私に対する態度は全然変わらず、何も聞かず、むしろ「なんか変なことを言ってくる」と話していたことを人づてに知りました。ところが、Aさんは、会う度に悪くなっています。
私は、過去手紙でAさんに言っただけで、直接言葉で説明はしませんでした。口で言っても、解らないと思ったので、あえて手紙にしたこともありました。でも、直接すぐにAさんが疑問に思うことに答えられなかったから、かえって良くなかったのかな、と思ったので、改めて対面で話しをし直した方がいいのかな、と思っています。
このまま病が進行すればどうなるかは目に見えています。その難病の最悪の状態を知っているので、このまま進むとまずいと焦ってしまい、段々悪くなっている様子を見ると、なんとかして、瞑想だけでもしてもらえればと思っていますが・・・私のことを疑っているようですし、怪しいと思っているのかもしれないので、言ってもダメなんじゃないかと思ってしまいます。
過去、以下のように宇宙人からのメッセージを基に、今実行すべき事の答えは出したのですが・・・心配になってしまいます。
(過去の記事 参考→ 23/4 学びの違いを尊重する)
また、昨年夏にも、預言カフェにてメッセージを頂きました。それを基に、また答えを出していますが・・・。
(過去の記事 参考→ 神の采配を信じること 自己の尊重=他者の尊重)
もう一度話すべきか・・・モヤモヤしていますので、よろしくお願いいたします。
イエス様:相手には「ない」と思うから、相手のドラマに巻き込まれ、必要以上に与えてしまうのだ。
「もともと、自分にも『内なる神の無限の力』はあるし、他者にもある」のだ。
そもそも「同じ宇宙意識、創造の下にある」のを思い出すだけだ。
あなたはAさんと何か違いがあるだろうか? 同じところにいる、ある、存在している、を信じていないだけだ。
あ:・・・確かに!そうですね。シンプルなことがなかなかできない・・・のか・・・。
私は、つい、相手のエゴを信じてしまう(幻想を信じ込んで、眠りこけている状態のドラマを信じてしまう)からかなぁ・・・それでウッカリ心配になってしまう。それで、こっちが勝手に「かわいそうだ」と同情し始めて向こうのゴミ(相手が浄化していないネガティブな想念や雑多なゴミのような意識)を引き受けてしまうのかも・・・。
イ:相手を「そんなことも太刀打ちできないほど弱い人」と思っていることに気付きなさい。
それでは、Aさんの奥さんと同じ視線でAさんを見ていることになるではないか?
Aさんは、ますます「弱い人」を演じることとなる。
あなたがそのようなAさんをとりまくドラマに同化してしまう弱さに、相手や自分の神の強さより重きを置いている錯覚に気付きなさい。
逆に、あなたも、「自分が相手の重荷を軽減してやらねば・・・(相手がどんどんダメになる)」という考えになっている。それは「自分が自分が(我)」であり、しかも、「自分が相手のためにそこまでやってあげられる」という傲慢さに基づいていることには気付いていない。
あ:確かに、仰るとおりです。言われるまで見えていませんでした。
私が、まだ理解不足だったんですね。
イ:相手に返してやりなさい。
それが、愛だ。それは、相手が学ぶべきことだ。
相手が目覚めなければ、相手の責任なのだ。
今の、この、誰もが悟りに導かれやすい時代に、相手の魂だってそれをわかってわざわざ選んで生まれてきている。
それが、どうして「魂の計画」ではないと言えるのだろうか? 神の計画とも言うが・・・。
あ:そうは言っても、「そのまま投げ返すこと」は・・・罪悪感によって、なかなかできません。
イ:あなたは、自分が「悪いことをしている」「加害者だ」と責めているところが間違いだ。
宇宙の采配により、自分で自分が引きよせていることを、本当ならAさんが自覚しなければならない。
あ:「宇宙の采配」なんて、Aさんは顕在意識(普通の生活しているとき)ではわかっていません・・・、そういうことについても無知です。
どうしたら解ってもらえるのか・・・。
イエス様は、死者を蘇らせたり、病人を回復させたり、様々な奇跡を起こされました。一体、どうやって、人々を死から甦らせ、病を治したのでしょうか?
方法論では無いことは解っていますが、どういうことを学べば良いのでしょうか?
ぜひ、教えて下さい! Aさんのことで、参考になればと思っています!
イ:まずは、あなたが、「本人に返すこと」を学ぶことだ。
それは、自分が「加害者」になるのではないし、相手も「被害者」にはならない、ということを「理解した上」で、ただ「相手の放ったものは相手に返す」という意識で良いのだ。そして、「相手が何らかのかたちで学んでくれること、目覚めること」を祈るだけだ。
あ:確かにそうですね・・・被害者/加害者では、「戦い」の意識(二元論)に染まってしまいます。
こうして、「分離意識」を私もまだ信じているんですね。
「統合」というものは、「一元論」ですから、「自分で放ったものは、自分で受け取って消化する(理解に落とす)」ということなのですね?
本来なら、自分で放ったものは、自分で受け取り、しっかり学ぶ、ということが大切ですからね。
相手だって、放ちたくて放ったわけではなく、「知らないから、ウッカリ」ではなく、本質の視点から見たら、「実は知りたくて」と言うことになりますね。
イエス様は弟子のペテロが、耳を切り落とした人でさえも、治してあげていましたが・・・
どうしたら、そうなれるのでしょうか?
私は、Aさんを治そうとは思えませんが・・・というか、自分が治せるとは信じられませんが・・・。
イ:それは、「その出来事は起こらなかった、赦されている」からだ。
あ:・・・それは、赦されているから、起こらなかったから?
あ・・・っ、そうですね、真に赦されれば、それは、起こらなかったことと同様になるのは、真理ですね。
イ:罪や罰、が、まだ存在していると思っているのではないか?
それは人間の誤った考えだ。それがあるから人間は進化が止まってしまう。
学びができないということだ。あなたは、まだ正しく理解していないのではないか?
そういうことも、立ち止まって十分理解した方がいいのだろう。
そこは、とても重要だ。
あ:そうですね。
罰することによって、罪が無くなるとか、相手を罰だと言って攻撃することによって、自分は痛みから逃れられる、などと考えてしまうようでは、まだまだ理解が浅いようです。
耳をペテロに落とされた人の話になりますが、そのような、一つのドラマに関わる「様々なさばきと赦し」が見えて、理解できていることが無数に積み重なって、それで、イエス様のように一瞬でその怪我を治すことができるということが、なんとなく解ってきました。
まったくの無知の状態でみたら、「おおーー!奇跡だ!」となりますが、実は、理解が深まればそうではないんですね。本当に理解すれば「罪は無くなる、癒される」のですから、怪我を治す(相手が治る)ことが起こっても、何も不思議では無い、ということですね。
まだ理解が浅いため自信を持って言いきれませんが、理解が深まってくれば、本質から見たら何も不思議では無いことが、次々と起こされてくるのか、とボンヤリわかってきました。
私は、そのように理解しましたが・・・。
イ:それはそうだ。それでいい。
だから、あなたは、自分の現状を理解しただろう・・・。
外から(他の人が)放っている「ネガティブ想念」に引きずられてしまい、自分の思いであると錯覚してしまう。
まだあなたは、ドラマになんとか飲まれず客観視するのが精一杯だ。
ほとんどは、飲まれてしまい、後から「あれ、私引きずられていた」と気付くのがせいぜいだね、今の時点では。
それを自覚して、もっと想念を客観視していく訓練を積みなさい。
これから、様々な人達のドラマに接するだろうが、それにいちいち同意していたら、身が持たないし仕事にならない。もっとそれを自覚しなさい。
理解が、素早く反応となって出てくるようになれば、私のこと(言葉)ももっと理解できるようになり、反対に外の人から聞かれるようにもなる。
まだ急ぐのでは無い。急ぐことは、かえって自分にとって負担になるだろう。
あ:確かにそうですね、私は、後輩に「まだ急がない方がいい」と言っていましたが、私自身も、まだどこか「なろう」として「焦って」いました。
結果として出したがるのですね、「自分は○○の役をやっています」と・・・。
イ:そうだ。
そうであるがゆえに、たびたび沸き起こってくる「自分には、この役目ふさわしくないかも・・・」という想念がエゴ(自己卑下)だと気付きなさい。
「(自分の役割に対する)特別視」がエゴだ。先に知るものが、後に来るものを導くことは当たり前だ。
しかし、「やる(Do)」ではない。ただ相手が思い出すのを手伝うだけであり、「ある」だけでいい。
あ:では、今日のホタルブクロのように、願っていれば、叶うのでしょうか?
(私は、山野草のホタルブクロが好きなのですが、先日道ばたに咲いていたのをわざわざ取ってきて植木鉢に移植したのですが、その後突然、庭にぽつんとホタルブクロが生えているのを見かけたのです。それまでいなかったのに、連れてきた仲間を可愛がっていたら、我が家に自生し始めた)
我が家に自生していたホタルブクロ
イ:何を言っている。
「神はその人にそれが必要とあれば、与える」
神(宇宙)への不信を、強く願ってしまう気持ちを払いのけなさい。
・・・後編に続く・・・
お立ち寄り下さった皆様、こちらの話題は後編に続きます。
あおいが、イエス様に色々諭されても、まだ食いついていくことで、さらに深い理解を得ることができます。
どうぞ、よろしければお立ち寄り下さい。
🌿ほのぼの写真館ー大空に、鳳凰の姿!