鏡についての考察 の 咀嚼 | The trumpet shall sound!~魂の目覚めの福音をお届けします~

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愛と感謝にあふれた「内なる神」を生きようと出た、意識の統合の旅。想念観察をコンパスに、道中で得た『叡智』を分かちあっています。

鏡についての考察 (プレアデス教義メッセージ集より)

 

 鏡に写っているものに夢中になっているのが現在のあなた達です。けれど、あなた達が本来、鏡そのものであることを思い出すべきです。これからあなた達のしなければならないことは、鏡に写る映像の正体を、あるいは意味を理解し、その後、鏡そのものが何であるかを知っていくことに尽きるのです。


【あおいの咀嚼】 ※添削済み

「鏡」とは、自分自身を写すもの。
そして、ここでは他者について気になっていることがあれば、それは、「自分の気づいていない姿を他者という鏡に写し出している」といいます。
また、「他者」ではなくても、何らかの「現象」、例えば、コロナなどのような社会現象、ニュースの気になること、天気なども「鏡」となります。
自分以外のところに見えているもので、気になるもの・ことがあれば、それは自分の隠された姿を「投影しているもの」と言います。

ところが現在の私たちは、他者や現象に見えたものを、自分以外のところで起こってること、外から偶然降りかかってくるもの、と切り離して考えています。そして、被害者意識から相手や現象に文句を言ったり、責めたり奪ったりできると思うことで、ますますその現象に埋没しています。そのような自作自演のドラマにはまり込み、宇宙の父から見たら迷いの境地にいるのが、今の私たちなのです。

これでは、誰もが望む平和な状態は訪れません。ましてや、宇宙である父が用意した、自己の完成の旅さえもできず、さ迷うことになります。本当に帰るべき場所を忘れてしまうのです。
真の平安や、自己の完成のためには、他者や現象に写し出されている自分を受け入れていくことに尽きます。
なぜ、その現象が起こされているのか、そして、なぜその他者について嫌悪したり、憎悪したり、避けたり、あるいは、喜びを与えてくれるのか、など、ネガティブに感じる面だけではなくポジティブに感じる面も観察して、その鏡に写ったのエゴのありようを知り、意味を理解していくことです。

そのことを続けていくことにより、私たちは私たちの本質である真我に出会うことができます。
真の意味で、目に見えない縛りから解放されて自由自在となり、真の喜びを知ることになります。