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無道探訪‼︎                                         

 桐島聡さんの潜伏生活や彼の人間像に焦点を当てたフィクション映画などが最近、公開されていますね。でも、爆破闘争のことと晩年の職場仲間の話しとかで判っている範囲の部分的なことしか表現できていませんよね。でも、私たちが本当に知りたいのは、そんな「凡庸レベルに引き寄せる誰でも判りやすい人物像」ではなくて、公安警察の執拗な追及捜査にも拘らず、監視の目をかわした「生き残り術」なのです。そこのところをしっかり捉えているのが齋藤寅さんの取材に現れていると思います。

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本の著者 齋藤寅 さんの写真

 沖縄タイムスに掲載された記事です

 交番などに張られたポスターでおなじみだった人物が1月、こつぜんと現れ、間もなく病死した。1974~75年の連続企業爆破事件の一つに関与したとして、指名手配されていた過激派「東アジア反日武装戦線」の桐島聡元メンバーだ。

 取材対象に迫れない「もどかしさ」を抱えながら、齊藤寅さんは週刊誌記者時代に築いた人脈を生かし、足跡や人物像を追い求めて「桐島聡逃げる。」の刊行に結び付けた。「一端でも光を当てられた」。ほっとしたような表情を浮かべた。

 「本当にゼロから」始まった取材。知り合いの弁護士から関係者の情報を仕入れ、桐島元メンバーが長年暮らした神奈川県藤沢市で、好きだった酒と音楽を楽しんだかもしれないバーを訪ね歩いた。厳しい取材が続いたが、旧知の女性からの予期せぬ電話が転換点に。「私、あの桐島って人知っているんです」。「しめたと思った」と、齊藤さんは声を弾ませた。

 指名手配された75年から藤沢に落ち着くまでの約7年間、桐島元メンバーが、齊藤さんが懇意にしていた右翼関係者の「支援」を受けていたこともつかむ。出身地である広島県福山市の関係者も訪ねた。高校時代の同級生から聞き出した、桐島元メンバーに社会の理不尽を印象付けたであろう夏の出来事は、終盤の大きな読みどころだ。爆破事件の一部におそらく関わったとみるが、積極的にではなく「巻き込まれた」。それでは主体性がなかったのか。「僕はそうだとは思わない」と齊藤さんは言い切る。東京の山谷で搾取されている労働者に立ち上がろうと促し、反原発も唱えていた。「最後に桐島と名乗った心理状態を描き切れれば良かった」。悔いも残るが「1人にスポットを当てて、まとまった枚数を書いたのは初めて。今後に生きてくると思う」と実感している。

 現在取材に没入しているのが、66年の静岡県一家4人殺害事件を巡り、再審無罪が確定した袴田巌さんのこと。逮捕から無罪確定まで58年。「彼の精神力はどう培われたのか、一端でも知ることができれば。近々に仕上げたいと思っています」

(「桐島聡逃げる。」は青志社・1650円)

さいとう・しん 1962年名古屋市生まれ、ジャーナリスト。週刊誌記者として約20年間活動。著書に「世田谷一家殺人事件 銘肌鏤骨」など