群馬の森・朝鮮人追悼碑、これまでの経緯が取材された記事です | Wattan Net Life

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朝日新聞デジタル記事
朝鮮人追悼碑、群馬県の撤去に反発 所有団体「加害の歴史消去、加担」 きょう代執行
2024年1月29日 5時00分
 
 
「記憶 反省 そして友好」と書かれた朝鮮人追悼碑=群馬県高崎市 
 群馬県高崎市の県立公園「群馬の森」にある朝鮮人の追悼碑を、県が29日から行政代執行で撤去する。設置条件に反したことが理由だが、碑を所有する市民団体は「撤去すれば、植民地時代の加害の歴史を消す行為に県が加担してしまう」と強く反発している。
 
 碑は、戦時中に労務動員されて亡くなった朝鮮人を悼む目的で、市民団体「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」の前身の団体が、2004年4月に570万円かけて建てた。
 
 碑の建立は県議会が全会一致で賛同し、県が場所を提供した。設置には「宗教的・政治的な行事をしない」との条件がついた。設置許可は10年間で、14年に再度、県に許可を得る必要があった。
 
 碑文は、戦後50年の村山談話(1995年)や日朝平壌宣言(02年)などをふまえ、外務省や県と調整を重ねて決めた。当初案にあった「強制連行」との記述は「労務動員」に変えた。
 
 ところが、朝鮮人追悼碑を疑問視する団体「日本女性の会 そよ風」が12年ごろから、「反日的だ」と主張し始めた。碑の前で行った追悼式で「強制連行の事実を訴え、正しい歴史認識を持てるようにしたい」などと発言した人がいたことを問題視した。守る会は13年から追悼式を別の場所に移した。
 
 ■県「設置条件に違反」
 
 14年に県は、05、06、12年の追悼式で「強制連行」などと発言したことが政治的発言にあたるとし、設置条件に反する行為があったと認定。碑の設置を不許可にした。
 
 守る会は14年、この処分を違法だとして提訴。前橋地裁は「政治的行事をしたからといって公園の効用を喪失したとはいえない」として「不許可は違法」としたが、東京高裁は「中立的な性格を失い前提を失った」として「適法」とした。
 
 この高裁判決が22年に最高裁で確定し、県は23年4月、撤去命令を出した。10月には、年末までに碑を撤去するよう「戒告」。応じない場合は代執行すると伝えた。
 
 県は「代替地を提示するなど自主的な撤去を促したが、応じなかった」とし、公園を閉鎖した上で29日から代執行で撤去すると通知した。撤去費用の約3千万円も請求するという。
 
 一方、守る会によると、判決確定後の県との話し合いは3回ほど。「早く撤去してと言われるだけで対話するつもりはなかったと思う」。県が提案した代替地は山奥や河川敷だった。碑の意義を考えると適さないとして見送ったという。
 
 山本一太知事は、碑の目的は日韓・日朝友好だとした上で「(市民団体側が)違反行為を繰り返し、存在自体が政治的な論争の対象に発展してしまった」と指摘。「碑を公園に置いておくことは公益に反する。ルール違反だから撤去を決めたわけで、撤去することと歴史認識をねじまげることは私の中ではつながらない」と説明する。
 
 在日2世の女性は「存在しているのに撤去して、なきものにするとは怖い。世論が盛り上がらないのは、在日だけの問題と考えているか、社会が無関心だからではないか」と嘆く。
 
 守る会の事務局長の藤井保仁さんは「第2次安倍政権になって空気が変わった。県の代執行は、加害の歴史を消し去ろうとする行為を助長するものだ」と批判する。(高木智子)
 
 ■「対立あおる、悪しき前例に」
 
 藤井正希・群馬大准教授(憲法学)の話 知事は運営側のルール違反と「設置不許可は適法」とした司法判断を根拠にしているが、高裁判決は撤去まで求めていない。その後の対応は県の裁量の問題だ。碑の前での追悼式は10年以上開かれていないことを考えると「民意を踏まえて再考する」などの対応を検討すべきだが、撤去一辺倒で対立をあおる結果になっている。
 
 撤去されれば、結果的に歴史修正を助長する恐れがある。朝鮮人追悼施設に疑義を唱える例は他県でもあり、撤去は悪(あ)しき前例になりかねない。