パレスチナ報告イベントで考えること… | Wattan Net Life

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無道探訪‼︎                                         

 10月31日、新宿2丁目にある居酒屋『ラ・ヴァンデリア』でJAPAC主催のイベントを行いました。店内は狭くて客入りは限られていますが、雨の中にもかかわらず来場された皆さん、ありがとうございます。人数こそほんと顔見知りの範囲だったかわりに集中した話しが出来たのではと思います。ただ、私と含め向こうに行ってきたメンバーはそれぞれの想いが強かったのか、少し個性に偏りがちになりましたが、そこは個人参加の醍醐味で“各々が見てきたパレスチナ”の色が見えたと思って下さればありがたい限りです。

 これまでも日本の運動体のなかで「連帯」との言葉が伝統芸能のごとく使いまわされてきました。それを振り返ってみても、多くは「運動への参加表明」であり「路線主張のお題目」だったことも在りました。しかし、“本当に連帯することはどんなものなのか?”と私たちも含め様々な個人が考え悩んできたと思います。例えば、国際連帯ひとつとっても、「ただそこに行ってきました」を報告しただけで、対象となる人たちとの交流を持続させていかなければそれは単に“利用しただけ”で終わってしまいます。各言う私も今まではそうだったと思います。どうやって関係性を持続させていけるのか?随分悩んだ時期がありました。
 
 2~3年前に某ジャーナリストを呼んで講演会をして頂いたときのことです。その会場に掲げてあった「パレスチナ連帯」の文言に対して彼が指摘した言葉で視野が開けたような気がしました。
 「私は、こういう形で『連帯』と表明することの違和感を覚えます。もし本当に『パレスチナ連帯』と言うのであれば、いったいどこの誰と連帯、関係を作っているのか。それが明確で具体的な人間関係となってはじめて人間関係の連帯と言えるのではないか」との趣旨での発言だったと記憶しています。

 これまで私は、メディア報道とは取材対象に「偏る」ことを否定するものなのだと認識を持っていたのですが、彼のこの指摘を受けて私は目が覚めた思いだったことを今更ながら思い起こした次第です。あのとき以来、「報道は中立なんて求めること自体幻想だ」、「メディアは個性的な情報を流すツールでしかない」と悟ったわけです。

 社会運動の中で敢えて“国際連帯”を掲げるのであれば、「同一化」を求めるのでなく、それこそ立場や生活環境の違いを超えて交流できる個人同士が結びつくことで意味が生まれると考えなくてはなりません。数年来、「中立の立場に観点を置く」“市民運動”の関係性に疑問を抱いてきた私にとって明確な答えが得られた気がします。

 ただし、起こった事実と人の発言に際しては細心の注意が必要です。自分の思い込み、憶測で判断を決定して取り返しのつかない誤りを犯してしまいます。私自身の弱点で「憶測と妄想」で悩み込む性分があるので常に戒める必要があるのです。

 以上の点、今回のパレスチナ訪問では充分に活かしきれなかったと反省しています。ただし、今回の行程は、あくまで“セーブ・ザ・オリーブ”の企画に同行させて頂いたものです。行動の制約されたなか、個人の調査活動にはなっておりません。その辺を御了承下さい。ただし、コーディネイトしてくださったセーブ・ザ・オリーブ代表の宮澤由彦さんにはお礼を申し上げます。





これらの動画を観ていて、日本人のリアクションと外国人のそれとがあまりにも異なることに気が付きます。それは、伝わる内容云々ではなくて“表現文化の違い”です。日本人はショッキングな話しや否定的な内容を聞いたときでも、大笑いしてしまう時があります。これは、個人差もあるのですが「緊張と信じられない出来事」でつい笑ってしまうのかも知れません。ところが、外国の人は否定的な内容を話すとき、聞く時でも、けして笑ったりしません。伝える内容・受けた内容によってはっきりと態度や表情が違うのです。この違いをちゃんと理解できていないと、外国で事件の被害者の話しを聞いて“大笑い”してしまうと相手に大変失礼になってしまうので注意が必要です。