人生に「タラレバ」はないけれども… | 春はあけぼの 女は美学

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50過ぎた女が感じたこと、考えたことを書いてます

こんにちは。伏見美帆子です。



アラカンオンナが、
感じるままに綴るブログです。


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なんだかこのところ忙しさと
感情の流れが激しくて
持て余し気味だった。

だからと言って、
抗うことなく、
コントロールしようとせずに、
淡々とその流れを俯瞰してみてきた。

悲しい思いとか
辛い想いとか
そんな風に片付けられるものではなく、

そう。
この想い。この感情を
どう表現したらいいのか
言葉にしたらどうなるのか
ずっと、
遠いところから自分を見てきたような

そんな日々。



まずは、
先週の火曜日、21日に感じたことから。


5月21日は兄の命日である。
兄はワタシが生まれる前に髄膜炎で亡くなった。

数ヶ月の入院で、
両親は心身ともにボロボロとなったらしい。

元々子供が大好きだった父と
子供が大嫌いだった母。

そんな母でも、
子供とはこんなに可愛いものなのかと
自分の心の変化に驚くほど
兄を可愛がっていたらしい。

兄は、一歳の誕生日も、
初節句も
病室で迎え、
そして亡くなった。

生きていたら、
60歳の還暦だ。

そして、生きていたら
ワタシは生まれていなかった。
小さな頃から、母や親戚からそう言われ続け
兄の死がワタシを
この世に迎え入れたのだと思うと

とても複雑なのである。

そんなことはないと
かつて私に言ってくださった方もいらして
ワタシの中で
悲しみは払拭されているけれど。




人生に「タラレバ」はないと
言われているけれど


でも、

パラレルワールドの中では
様々な世界が同時進行していると

どうしてもどうしても考えてしまう。


兄が病気にならずに
そのまま健康で生きて
ワタシがいなかった世界…

兄の病気が治っても
そのまま後遺症が残って
それでも両親は兄を支えていた世界…

兄が亡くなって
子供なんてもういらないと思っていた母に
父がどうしても子供が欲しいと言って
ワタシが生まれた世界…


今ワタシがいるのは
3番目の世界だけれど、

ワタシと兄が一緒に存在する世界は
どこかにあるのだろうか…。

夢の中では
何度も兄に会っているらしい。

もしかしたら
並行しているパラレルワールドが
時空の歪みで交差することがあったら
街角ですれ違っているかもしれない。


そんなことを
命日がくるたびに思うのだ。


そこには、
哀しさとか
切なさとか
やるせなさとか
そんな感情はとっくに超えて

もっと違うワタシの感情が渦巻いている。

どこかにまだ兄がいると思うことで

肩肘張っている日々から
武装解除されると言うか

生と死の枠組みから
解放されると言うか

境界線から自由になって
置き去りにされていた自分を
取り戻せると言うか


そんな
祈りにも似た、
「救い」のような感覚なのである。

長野県の戸隠神社の御神木。

こちらでも、様々な体験をし、感情が渦巻いた。


そのお話は次回。



そんなワタシがつぶやく箴言note。

不道徳なところは勘弁ね。

よろしかったら寄っていってくださいませ。