叔父の告別式に思ふこと… | 春はあけぼの 女は美学

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50過ぎた女が感じたこと、考えたことを書いてます

こんにちは。伏見美帆子です。



アラカンオンナが、
感じるままに綴るブログです。


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昨日は、
叔父の告別式だった。

叔父と言っても、血の繋がりはなく
母の妹である叔母の夫である。

その叔母は、もう30年も前に
脳梗塞だったか、心筋梗塞だったか、
本当に急に亡くなってしまった。
叔父と叔母は夫婦仲もよく、
穏やかな生活をしていた。

そんな中での突然の死…

あの頃はワタシの母をはじめ、
他の叔母や叔父も元気だったので、
(母は7人兄弟だった)

参列者の列が絶えることがなかった、
叔母の盛大な葬儀を
親戚一同で執り行ったことを覚えている。
お通夜の精進落としの料理も
叔母たちと全て手作りで振る舞った。

そんな中、
必死になってほとんど寝ずに
泣くのも耐えて
葬儀屋さんと打ち合わせをしていた従姉妹たち。

でも叔父は
当然だが、
意気消沈してとても小さく見えた。
それでも冷静に、丁寧に対応していた。
そういう人だった。叔父は。


あの時のことを
今でも鮮明に覚えている。



叔父は一人っ子で、
早稲田大学在学中から、とある文豪について
作家を目指していた。

叔母は、そんな真面目な人柄に惚れ込み
仕事をしていなかったにも関わらず
絶対にこの人と結婚する!
と、周囲の反対を押し切り、
結婚した。


叔父はその後、
作家になることを諦め
就職したのだが、

やはり文才にかけては
毎年の年賀状などに添えられる文章が
ただの挨拶文にとどまらず、
旅行の思い出や日々思うことなどが
書き連ねてあった。


そんな叔父と
実はワタシはちゃんと話した覚えがない。

真面目で
なんだか少し怖いイメージがあった。

なんとなく、
蜷川幸雄を彷彿とさせるような
近づきがたいような、雅な雰囲気もあって
そして、
あまり人とは関わりたくないのではないか?
と、勝手にワタシが思い込んでいたのもある。


それが、
亡くなってから一変した。


喪主である従姉妹の挨拶で、
叔父の生涯や日々の生活のことを話してくれた。

そういえば従姉妹とも、
叔父の話はしたことがなかった。
何も知らなかったのだ、ワタシは。

叔父は
団地で開催される句会に参加していたことや
読書だけではなく、
音楽、アート、演劇鑑賞なども
楽しんでいたこと、
とくに興味ある美術館は
どんなに遠くても足を運んでいたことなど…


亡くなってから
叔父とワタシは趣味が合うことを知ったのだった。

生前、
もっと話をしておけば良かったと
とても残念に思う。


もう危ないかもしれないと、
従姉妹から連絡を受け
その時に急いで会いに行ったが
会話もままならなかった。


そういえば、
叔母が亡くなった年に、
叔父がかつて弟子入りしていた、
その文豪の先生も亡くなって
その時ばかりは二重の悲しみで
本当に落胆していたと

そんな話も昨日、
従姉妹から聞いた。

家の中は
その先生の大量の本があり、
実は相当価値のあるものもあったらしい。


何も知らなかったのだ。
身近にいた人なのに。


一人一人、
エネルギーに満ちた人生がある。
辛いことも悲しいことも
嬉しいことも楽しい事も
誰かの人生から学ぶことは多いのだ。


満開の桜の中、旅立っていった叔父。
今頃、叔母と二人で
大好物の和菓子とコーヒーを
楽しんでいるかしら…

昨日の夜桜、綺麗だった。