勝手に感じていた罪悪感と義務感 | 春はあけぼの 女は美学

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50過ぎた女が感じたこと、考えたことを書いてます

こんにちは。伏見美帆子です。



アラカンオンナが、
感じるままに綴るブログです。


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ママはどうしていつも謝るの?


会話の途中で、

ムスメに不意に言われた。



謝る必要ないよ。

ってか、

謝る意味がわからない。




このところ、

手術をしたオットのお世話をしている。


切断されてしまった腱はもう繋がったのだが

まだ松葉杖で、

病院へは車椅子。


しばらくの間、

足をついて力をいれてはいけないので

立つ時には片足なので

長時間立っていることもできず、

しかも松葉杖で歩くから

何かを持って歩くことはできない。


当然、

食事の用意も片付けもできるわけもなく

電子レンジでチンしたとて、

それをテーブルに持ってくることもできない。


だから、昼間にワタシが出かける時には

昼食用にお惣菜のパンを買っていたが

なんだか申し訳なくて


サンドイッチを作ってテーブルに置いていた。


それでも、

こっちは美味しいものを食べたり

楽しんでいるのに

オットは

サンドイッチか出来合いのパンというのは

申し訳ないなぁと感じるワタシがいて…。



美術館に行きたいなぁと思っても

あまり外出するのは悪いかなぁと

あんなにフラフラしていたワタシが

お友達との約束以外

出かけていない。



そんな時、ちょうどテレビで

行きたい美術館の紹介をしているのをみて


行きたいなぁ…


と思わず言うと、



行ってくればいいじゃん!


と、ムスメ。


だって、行ったら三時間以上観てるし、

行き帰りの時間もあるし

あまり外出すると

パパのお昼とかパンばっかりになっちゃうし…

パパに悪いなぁ…って…


すると、

間髪入れずにムスメが話し始めた。


ママってさ、

お夕飯が出来合いのお惣菜とかだったりすると

ごめんねっていつも謝ってるよね。

もちろんママのご飯美味しいけど

お惣菜だって構わないし、

嫌だともなんとも思わない。



ここで冒頭のセリフとなる。


ママはどうして謝るの?

謝る必要ないよ。

ってか、

謝る意味がわからない。



はぁ…

なんだろう?この罪悪感…


きっと、

ずっと子供とオットのために生きてきて

同時に

両親の介護を14年間続けてきて、


もう介護はとっくに卒業したのに

いまだに、誰かのためにしか

生きられなくなってるのだなぁ。



いつも楽しく生きているつもりでも

ふと津波のように襲ってくる罪悪感と義務感。


その津波は

ワタシを飲み込んで

自由を奪っていく。



ワタシさえ我慢すれば…

ワタシがお世話しなければ…

その言葉を免罪符のように無意識に唱え


津波から逃れようとしているワタシ…



自己肯定感が低いわなぁ。


やりたいように生きればいいと

人には言っているのに、

自分は未だにがんじがらめだわ。



クリスマスには存分にお返ししてもらいます

なんて先生には言っているくせに、


丁寧にオットのお世話をしないといけない

と思っているワタシがいた。


しかし、

オットに聞いてみたところ、



別にパンでも構わないし、

美術館でもなんでも外出してきなよ、

痛みも全くないから

そろそろ足をついても良いと言われると思うし。


と、ありがたいお言葉。

オットにとっては

丁寧にお世話をしてくれている妻だそうで


ワタシは、

そういう意味では自分に厳しく

ハードルが高いのだあなぁ。



勝手に感じていた罪悪感や義務感は

オットに対しても失礼だったわ。

ワタシがいないと…なんて思っていた思いは

もう感じる必要もなく

頑張る必要もなく


それでもやっぱり

不意に襲ってくる津波に注意しながら

楽しく過ごしていれば良いのだと


ムスメから気づかせてもらった。



と言うわけで、

明日はまた病院だけれども、

明後日に美容院の予約入れたわぁ。

今週中に、美術館も行ってこよう🎵

急に外出し始める妻爆笑


家族に感謝なのだわ。