葛飾北斎はなぜ93回も引っ越しをしたのか? | 春はあけぼの 女は美学

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50過ぎた女が感じたこと、考えたことを書いてます

こんにちは。

文字つづりすとの伏見美帆子です。



アラフィフオンナが、
感じるままに綴るブログです。

 


次回の月綴香(GETTEI-ka)

     〜満月に綴られる香りは、


7月29日(金)の新月に、

水瓶座満月編の申し込みを開始予定です。

 

どうぞよろしくお願いいたします。



先日、信号待ちをしていた時、

たまたまワタシの前を通り過ぎて行った

引っ越し屋さんのトラックに

デカデカと書かれた言葉に


とても驚いた。






葛飾北斎は、

93回も引っ越しをしている!




なぬ!?

93回!!!


90年生きたとしても、

一年に一度以上、

引っ越しをしていることになる。


それはもしや、

引っ越しというよりも

住居を持たない、無限の旅人?


葛飾北斎といえば、富嶽百景。


写真もない、

ネットの情報誌もない、

そんな江戸時代に、こんな風景を描くために

あちこち旅をしていたことが

引っ越しとなったのかと思ったら、


その名前ともなった、

葛飾区、墨田区、あたりから

離れることはなかったという。



んでは、

なぜにそれほど引越しを繰り返したのか?



変わり者で近所と折り合いがつかなくなり

逃げるように出て行ったのか?



それとも、

こだわりがあって、

最適な住まいを求めるために

理想の住まいを探していたのか?



実は忍者で、居場所をつきとめられないように、

身を隠すために、

転々としていたのだろうか?

北斎忍者説…勝手につけてみる(^◇^;)



江戸時代。

それほど物を持たなかった頃とはいえ、

画材道具は相当数持っていただろう。

あの当時、

敷金礼金があったかは知らないが、

住居を変えるのは、トラックも無く、

相当数大変なことだっただろう。



なぜ〜!?なぜなの〜!?


わからないことがあると、

すぐさまググるワタシ。


なんとその真相は…












掃除ができず、

汚部屋になると

引越しをしていたから…

いや、あの時代、段ボールないし。



なんと!

破天荒で型破りな!!!!


なんせ、生涯にわたり、

20,000作とも言われるほどの絵画を描いた人。

その画風は、

ゴッホなどヨーロッパの画家たちにも

影響を与えた。


掃除などする暇がなかったらしく

食べ物の包み紙が散乱し、

足の踏み場もなくなると

絵が描けなくなるものねぇ

とっとと引越し。

文献によると、1日に3回も引っ越しをしたことも。

いや、ここまできたら、

汚部屋だからという理由だけではないわな…



掃除よりも

荷造りの方が大変だったと思うのだけれど。

何百人もいた弟子たちに

掃除をやらせればいいと思うのだが…



アーティストの考えはわからん💦



まあ、万人に理解されるような人では

なかったからこそ、

あれだけの芸術作品を生み出せたのか?


芸術って、時が経てば経つほど淘汰されて

素晴らしいものしか残らなくなる。

200年ほど前の作品がしっかりと残り、

美術の教科書にも歴史の教科書にも

その作品と名前が載る…


そこには、

そう言った奇行でさえも

彼の魅力として人々に語りつがられるような

そんなブランド力と、

果てしないエネルギーがあったのだろう。


いや、もしかしたら、


引越しがパワーの元に

なっていたのではないか?



日々。心機一転。

今生きていらしたら、こんな感じ?



なんせあの時代に、

90歳まで生きたお方…


そんなパワーを少しでも

いただきたいものだわ。


というわけで、

パワーチャージに、

明日は新幹線に乗って、

また神社に参拝して参ります。


あなたのパワーチャージって、何かしら?


Photo by 東山弥生さん