私ができるまで15〜介護への覚悟 | 春はあけぼの 女は美学

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50過ぎた女が感じたこと、考えたことを書いてます

こんにちは。渡邊美帆子です。



アラフィフオンナが、
感じるままに綴るブログです。

 

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このところ、
自分の過去を思い出すことも多く
幼少期からの自分の過去を綴ってみようかと
思い立ち。
 
金曜日のブログは、
「私ができるまで」として
自分の中での振り返りを綴ってきたが
実はなかなか書けなかったことがあった。

それは、13年間にもわたる介護介護経験である。

今まで小出しにはしていたが、
壮絶な、本当に辛かったあの経験に
再び向き合うのが怖くて避けていたのだが、
今一度、振り返ってみようと思う。


前回は、
父に認知症の診断が下り、絶望の中、
アリセプトという認知症のお薬が
処方されたところまででした。


その頃の父は、
アルコール中毒状態だった。

認知症の寝たきりの母を介護し、
私がその頃毎日実家に通い続け、
家事に生き甲斐を見出していた父から
私が知らぬ間に仕事を奪い
仕事人間だった父は生き甲斐をなくしていた。

認知症の始めと言われ
自暴自棄になりアルコールの量も増えていた。





それから二、三日だった頃だった。
朝、実家に行った時の父の様子が
あまりにもおかしい。

何を言っているかわからない。
呂律が回らない。
目の焦点があっていない。
フラフラしている。

これは、脳に何か異常が起きているのか?

急いで救急車を呼び、
近くの大学病院へ急いだ。

その時、
お薬手帳が見つからなかった私は
父に処方されていたお薬袋を
全てカバンの中に入れた。


大学病院で検査をしても、
特に異常はなかったのだが
優しい若い女の先生が、
私が持って行った薬を確認して言った。

「処方されたお薬の数から換算して
アリセプトを1日3回飲んでいます。
しかも。アルコールとともに。

だから、
アルコールとお薬が抜けたら
また元のお父さんに戻ると思います。

でも、
脳神経のお薬なので
アルコールと服用せず、
処方は守ってくださいね。

大変かと思いますが
お父さん、大丈夫ですから。

何かあったら、またすぐ来てくださいね。」


優しくて綺麗な女医さんだった。
私よりもずっとずっと若くて。

そんなお嬢さんから言われた言葉に
ホッとして
情けなくて
涙が出た。


父はもう、
完全に私がいないとダメなのだ。

アリセプトは、
1日一回。
しかも。脳神経の薬だから
絶対にアルコールと一緒に飲んではいけない。
もう、そんなこともわからなくなっている。
薬をいつ飲んだらいいのかも。



そして、
この時に思った。

父も母も私が介護しなければダメなのだと。

でも、
何をどうしたらいいのかわからなかった。
本当にあの時には
暗い中で迷子になっていた。


家に帰ってから、
オットに泣きながら訴えた。

「もうどうしたらいいのかわからない!!」


そのときにオットは言った。

あの時の情景を
私まいまだに覚えている。


そんなこと、俺に言われてもわからない。
お前がしっかりしなきゃダメなんだ。
そんなことより、
俺の両親も介護になるかもしれない。
俺よりお前の方が若いから
俺の介護もよろしくな。



嗚呼、そうなのだと、
もう、誰にも頼れないと、
あの時に悟った。

今から思うと、まだまだ甘かっだけれど
介護への最初のの覚悟だった。

泣きながら、ふと驚くほど冷静になり
自分の中で行動に踏み出すための一歩が見えた。



今から思うと、
そんな唾棄すべきセリフを吐いたオットに
感謝である。←嫌味笑。


私って強いなあと
今、思い返すとつぐづつ感じる。

ずっとずっと母に、
「あんたは弱い人間だ」と
言われ続けてきたけれど、


介護で強くなったのか
介護で本来の強さがにじみ出てきたのか
介護は関係なく元々強かったのか


とにかく、
私がどんな行動に出たかは、
こちら。