宗教は古来から精神世界における指標的教えを元に成り立ってきたものであるのだが、その実は利己的な物質主義に徹した人たちによって支配されてきた過去があり、また、現在においてもそれは変わらない。

指導者と呼ばれるものたちは、経済における独裁者と何ら変わらない物質的欲求を満たすことに奔走しており内的な充足感を与えることができないが故、外に敵(悪)を作り自己の正当性を吹聴している。

支配下に置いた人々の不満を解消できない未熟な宗教的指導者において、このような事は常套手段となっている。

神や教祖や預言者、指導者、グルなど呼び名は様々であるが、主義主張の違う者たちを悪とみなし悪い者であり排除すべきと声高らかに支配下に置いたものたちへ吹聴する。

支配者が一方的に決めたルール(法律・憲法など)に従わない者たちに罪を着せ罰を与える。

宗教家も独裁者も同じことを行っている。

そこには愛も無ければ慈悲もない。

 

己を犠牲にして教えを広めようとする行為は、大衆には理解できない行為なのだろう・・・

 

人間の基本は利己なのだから仕方のないことかもしれない。

 

利他の者には、執着や嫉妬や憎悪のような他者を見下す思考は生まれない。

利他の者が思い感じることは憐れみでしかない。

ゆえに救いの手を差し伸べる。自身の事など顧みず・・・

 

多くの者は、そのような行為を行う者たちを見て自分より可哀そうだからという理由で見下し憐れみ・・・優越感を得るために施しを行う。

 

そのような者たちに知恵を授けることはできない。

 

知恵は物質では賄うことができないから

 

知恵は行いと経験によって得られるもの、知識とは別物。

 

知恵を授けるためには、行動を共にする時間と、見守る余裕が必要だ。

 

余裕の無い者は、説教という名のもとに𠮟責を行う。

 

己の心の狭さをさらけ出す。

 

叱責は怒りが元となって発せられる。

 

 

怒りは偏見や憎悪を生み出す。

 

 

争いごとの種となる。

 

 

この思考と習慣を克服するために人生が与えられている。

 

大いなる意識は、様々な魂に試練を与えるためにこの世に送り出している。

世に創造主と呼ばれるものの本質は計画に基づいた意識の事。

 

人間が言うところの神や創造主と呼ぶものとは異なるものなのだが、

人間は認めようとはしない。

 

人間の創造を上回るところに存在するからこそ創造主と呼ぶにふさわしいと

人間は考えることができない。

 

ゆえに争いが絶えないのが現実だ。

 

他に害を及ぼさない思考や行動が身につけば、魂が肉体から解放され

愛を与える存在となる。

 

行いとは、求めに応ずること、赦すこと・・・

自分に害が及ぶと及ばざるとに関わらずただ許すこと

 

見下さず、差別せず、害を与えないこと

自分自身を含めすべてを受け入れ赦すことが人生で成し遂げるべき業。

 

とても単純で簡単な事。

比べない事。

 

 

プランの目的はそこにある。

 

 

東欧から中東・・・やはりバルカンに飛び火して

世界に広がる。

 

人間は同じ過ちを繰り返し・・・繰り返すために生み出された。

 

 

 

次の世界もまたこの島から始まる。

文化・文明という過ちを繰り返すための起源が。

 

 

信じる者は救われない

受け入れる者が救われる。

 

 

簡単な事。

 

 

 

論理的な思考を持つが故の殺戮は続く・・・

知恵のない者たちよって。

 

 

 

健康であるべきは心・・・肉体ではない。

 

 

 

アーカシャがアクセスしてくる・・・無意識の中に。

 

圧倒的な存在として。

 

 

感じ取れる心を養う時間は残り少ない。

 

多くの命を授かり人間はある意味繫栄した。

ゆえに心豊な者も多くなった。

その反対はさらに多い。

 

感じろ、考えるな、そして受け入れろ。

 

目に見えるものは影、肉体で感じるものは幻でしかない

心で見、感じ、受け入れる。

 

惑わされるな、自分たちが生み出した神という幻影に。

 

信じるな

 

感じ取れ

 

受け入れろ

 

 

どれだけの人々が理解できるのだろう。

争いのない世界を生み出す術を・・・

 

脳は文明や文化を生み出すが

争いも生み出す。

 

悲しみに溢れたこの世を変えることはできない。