宗教は
神の教えである。
人がつくった決まりではない。
ならば、
そこに教祖など要らない。
教えを伝える者はいてもいい。
だが、
その者が人の上に立つ理由はない。
人である限り、
誰もが神のもとにある。
それにもかかわらず、
私は神を知っている。
私は神の言葉を理解している。
私に従えば救われる。
そう言って、
神と人との間に立とうとする者がいる。
神の名を語り、
人の恐れを利用し、
疑うことを罪にする。
離れれば不幸になる。
従わなければ罰を受ける。
教えを疑えば救われない。
そうやって、
人の頭の中に恐れを入れる。
そして、
その恐れから逃れる方法として、
自分たちの教えに従わせる。
これは信仰ではない。
マインドコントロールである。
信じる自由だけを与え、
信じない自由を認めない。
祈ることは許しても、
離れることは許さない。
それは宗教ではなく、
支配の仕組みなのである。
本当に神の教えであるなら、
人を縛る必要はない。
人を集める必要もない。
金を求める必要も、
人の上に立つ必要もない。
教えを受け取った者が、
自ら考え、
自ら生きればいい。
神へ向かう道に、
人の支配者など要らない。
神の名を借りて
人の上に立とうとする者は、
神に仕えているのではない。
自分の支配欲に、
神の名前をつけているだけである。
人を支配できる仕組みを知りながら、
それを使う。
人の弱さを知りながら、
そこにつけ込む。
そこに知恵はあっても、
人間性はない。
人の形をしていても、
人の自由を奪い、
人の魂を食い物にするなら、
それは、
人の形をした悪魔でしかない。
私は宗教を嫌っているのではない。
神の名を使い、
人を支配する人間を忌み嫌うのである。
支配は、
人をひざまずかせる。
自由は、
人を立たせる。
私は支配を好まない。
私が好むのは、
自由なのである。