人は、
たくさんの知識を手に入れてきた。
天気を予測し、
季節を数字で表し、
自然の仕組みを少しずつ理解してきた。
でも――
自然は、
人の知識の中で動いているわけではない。
人の知識は、
これまでに起きたことを集めたものだ。
観測して、
記録して、
比べて、
そこから法則を作る。
つまり、
知識とは過去のもの。
未来を予測することはできても、
未来そのものを知ることはできない。
それでも人は、
自然を理解したつもりになり、
やがて、
支配しようとする。
川を変え、
山を削り、
海を埋め、
生き物を管理し、
気候までも
人の都合に合わせようとする。
でも、
自然を支配しようとすればするほど、
予想外のことが起こる。
一つを動かせば、
別の何かが動く。
一つを抑えれば、
違うところに歪みが出る。
それが、
自然というものだ。
昔の人は、
今よりずっと自然を見ていた。
風の向き。
空の色。
草木の変化。
虫の声。
動物の動き。
そういう小さな変化から、
これから起きることを
感じ取っていた。
未来を知っていたわけじゃない。
自然が見せている
「次の気配」
を読んでいたのだと思う。
人もまた、
自然の一部なのだから、
本来は、
そういう感覚を持っていても
不思議ではない。
便利になった。
知識も増えた。
技術も進んだ。
その代わりに、
空を見ることも、
風を感じることも、
自然の声を聞くことも、
少なくなった。
人の成熟とは、
もっと知識を増やすことでは
ないのかもしれない。
自然を支配することでもない。
知識を持ちながら、
それだけに頼らず、
自然の変化を感じ取る。
自然を自分の都合に
合わせるのではなく、
自分のほうを
自然に合わせていく。
人が自然を超えることはない。
人はずっと、
自然の中で生きている。
それを思い出すこと。
そこに、
人の成熟があり、
人類の未来も
あるのかもしれない。