わたかべ映画見世物小屋 -18ページ目

自分を傷つけるということ

 人の痛みを感じるということ。映画や演劇を見て共感し感涙にふけるのは、他人の気持ちを我が身に置き換える想像力があるから。こんなの当たり前のことだが、現実に彼のように人の痛みを感じ取れない、想像力の育ってない子供が増えている。(もちろん大人にもそういう人間はいるが…、電車の中で携帯電話で大声だしてる輩はそのはしくれだろう)それは、性格の問題というより、むしろ人格障害のレベルであることが本当に深刻な問題だ。


■ 自分を傷つけるということ

ああ、忙しくしていて、いつの間にか「わたしたちの教科書」は終わってしまった。
最終回、明日香は自らの命を絶とうとしたのではなく、イジメを受けていた朋美の気持ちを共有するために窓に座り、転落した。自殺したのではやはり、救われない闇に吸い込まれて、ドラマの最後として希望がないということか。

僕が、直面した救われない出来事。 今でも時々胸が痛くなる…。

 デッサンの課題の授業、鉛筆を削るためにカッターを持ってきている生徒がいる。手で丁寧に鉛筆を削るという行為は物づくりへ入る気持ちづくりとしては大切な作業だ。
 普段からその神経質なまなざしと物腰が気になる子だった。例のドラマでたとえるならやはりポーさまに似ている。実際、今でいうゴシックロリータの服が趣味の子。その子とは授業中、どうでもよい話をよく交わした。彼女の趣味にすごく興味あったし。実際、話していて興味深く、楽しかった。

 ほんとにいつもどおりの日差しが暖かい午前の授業中だった。おしゃべりの子達の絵を手伝いながら、楽しく僕もおしゃべりに参加していたとき、急に後ろで数人の叫び声。
 何事か?振り向くと、信じられない光景。彼女が突然、何の前兆も見せずに自分の手首をカッターで切り裂いた。鮮血が止めどもなく床にしたたり落ちる。まずい!ともかく僕が彼女の腕をつかむ。止血しなければ死んでしまう。尋常な量でない。

 無我夢中で彼女の腕を押さえる。返り血が僕のカッターシャツを真っ赤に染める。暖かい。人間の体内からわき出る血はこんなにも暖かいのか。僕の上半身は彼女の血で真っ赤。とっさに僕のハンカチで腕をきつく縛る。指示するまでもなく、生徒達が他の教員を呼んできてくれた。僕は彼女を抱きかかえたまま。すぐにやって来た救急車に飛び乗る。救急車に乗ってから、恐らく救急隊員の方々が応急処置に彼女を取り囲んでいるのだろう。

 僕はそのときの事がどうしても思い出せない。ただサイレンの音と、赤信号に止まらずにどんどん走っていく体感だけが今、記憶の風景として残っている。そのときの彼女の表情が、まったく記憶にない。僕がしがみついていた、彼女の白く細い、少し暖かい腕の感覚だけが記憶に残っている。おそらく僕は、怖くて彼女の顔を見ることが出来なかっただと思う。僕のシャツを染めた彼女の体内を流れていた血が、急に冷めてきた。今、そのシャツの真っ赤な色しか記憶に残ってない。どこでどうやって着替えたのか。誰が着替えを下さったのか。

 次の記憶は、真っ青になった彼女の担任の顔。ともかく、親御さんが来られるまで、彼女から目を離さないように伝え、担任と持ち場を交代する。なんとか命だけは取り留めた。彼女とはまだ話せる状態ではない。担任に、今日は彼女の家まで親御さんと同行する方がよいと伝える。

 翌日、彼女は、落ち着いて家に帰った後、親御さんが寝静まった真夜中に、台所に降り立ち、
包丁で自らの腹をかききり、自ら命を絶った。

 彼女の十数年の短い人生。その中でもほんの1年間の、ほんの授業中、そしてほんの放課後。
ほんのひとときだったけど、彼女の話を聞き、話し、笑った。

 どうして、少しでも彼女の心の闇をすくい取ってあげられなかったのかなあ。
彼女が最後に叫んだとき、確かに僕は、彼女の白く細い腕をつかみ、暖かい返り血を浴び、血を止め、命をつなぎとめた。でも、彼女の心の闇はすくい取れなかった。
 親御さんは、それでも、私に、「ありがとうございました」と言ってくださったのだが…。

今でも、日差しの暖かい午前中、ふとしたときに、彼女の笑い声と笑顔のデジャブを見ることがある。
なぜだか、笑っている。屈託のない笑顔。

こんなに日差しが暖かいのにと思うと、せつない。

わたしたちの教科書から…。隣人の手を傷つける。自分の手を傷つける

とんでもない事件。その1
 またまた、担当の美術の授業、確か「雑誌やイラストを切り抜いてコラージュを作ろう」の課題だったと思う。この課題も企みが…、ガチャガチャおしゃべりがうるさい反抗的な女子に好きな雑誌の切り抜きをさせると、自分たちのお気に入りのアイドル写真など持ってきてけっこうこだわって集中してくれる。しかし企てにスキがあった。切り抜く道具として、はさみやカッターナイフを使う。

 僕は人生で空手や柔道などの道場に通ったことがない。とっさの護身術など身につけていないが、教室で何か起こった時のために生徒のイスをさすまたのように使い、攻撃や防御をすること自己流にシュミレーションしていた。まさかイスを振り回すことになろうとは…。
 今回の事件の少年、背は小さくきゃしゃで普段はほとんど目立たない。小学校から問題のある申し送り事項もない。ただ、時々気になっていたのは人と会話するとき、相手の目をほとんど見ない。視線が定まらない。多動症の子に多い症状。

 事件は、コラージュの作業中に起こる。適度に平和に騒がしい教室。僕は生徒たちのたわいもない質問に対応するためあちこち飛び回っていた。突然背後に女子の叫び声。振り向くと彼の隣の席の女子が手の甲を押さえている。「どんくさー、自分で切ってしまった?」「○○くんが斬りつけた!」とっさに周囲の反応を見る。みんな○○から遠ざかろうと席を立っている。彼はカッターナイフを握りしめ、うつろな視線で彼女をみつめている。まずい。彼が斬りつけたのは間違いないようだ。理由はわからないが彼は興奮している。暴れかねない。僕は生徒が立ち退いて空いたイスを手に取り彼に突進して押し倒す。ともかくカッターナイフを取り上げて。彼に馬乗りになる。
 「おまえがやったのか?」うつろな表情で彼がうなづく。僕は馬乗りで彼の頬をおもいっきりひっぱたく。その時の彼の表情がいまだに頭から離れない。彼は、頬をぶたれた痛みと驚きから、涙を流しながらも、表情は笑っていた。「どうして?」僕の頭が混乱する。馬乗りの2人を遠巻きに囲むクラスメート。ここはともかく彼女の傷の手当てと、彼を教室から離さねばと思い。2人を連れ出す。彼女の手当は保健室の先生に任せる。彼を別室で落ち着かせ、話を聞く。何もしゃべらない。彼女と諍いがあったわけでもない。「なぜ斬りつけた?」「そこにかわいい手があったから、血を流してみたかった。」「切られると痛いということは想像できなかった?」「わからない」「頬をたたかれて痛いだろう。なぜ笑った?」「痛かった。泣いていたと思う。笑ってない」

 後日、大学の心理学の先生にそういう事例が他に上がっているか相談にいった。痛みと喜怒哀楽の感情表現が一致しない子供がでてきていると。そういう子供達の生育をたどってみると、推測ではあるが、乳児のときの心地よい紙おむつにはじまり、親が子に生理的な不快感やしつけ、しかることなど、痛い、気持ち悪いという体感をあまり経験させてないということが原因かと…。

 好きな女の子の手を傷つける。なんだか僕自身斬りつけられたようにショックだった。そんな彼をすごく哀れに思う。彼だけの責任ではない、育てる親の責任もある。
 そののち、もっとショックな少女に出会う。「彼女は自分の手を斬りつける…」

手がふれあうということ

手がふれあうということ
「わたしたちの教科書」のなかで、弁護士積木珠子は、頻繁に心が傷ついた子供の背中に手を回しゆっくりと抱擁する。演出上、積木の子供達への想いを差別化するために、このアクションは教員と子・親と子の間にはほとんど見られない。

 「ハリガネ魂」の手の少年は十数年という若い人生のなかで、(母親は別としても)
その、あまりにか細い(妖怪人間ベムのようなと自分で言っていた)指を、手を、女の子達に求められ握られるということがあっただろうか。恐らく初めてだろう。
 彼の人生のなかで、なんというトキメキだろうか。そして、こんなに賞賛されたことがはたしてあっただろうか…。いつなくなってしまうかわからない彼の人生にとっては、こんなイジメだらけのクラスが恐らくかけがえのない思い出を作ってくれたに違いない。
 少し希望の光がさしたはずのクラスに、しかしながら、とんでもない事件が起きる…。

わたしたちの教科書 から

心臓疾患の少年がクラスの空気を変える
 その男の子は生まれつき心臓に異常があり静脈血が新鮮に再生しない。本来ならば養護学校に通っているはずだが、親御さんのかねてからの希望で普通学級に通うことになった。大きな医療用酸素ボンベが学校に持ち込まれ、授業のたびごとに酸素を吸入しにいく。血液の関係で彼の唇や爪の色はかなり黒い、クラスの連中は彼に近づきたがらない。万が一、自分が原因で彼が倒れでもしたらこわいし、外見も近寄りがたいから、触らぬ神に…で、一応に彼に対して無関心を装う。(そこまで異質なクラスメイトにはイジメとかいう発想にはならない。)彼はいつもひとりぼっちで寂しそうである。管理責任がある僕としてはたいへんだ。正直いつ生後1年持たないと言われて生き続ける彼。親御さんもそんな彼がいつ生命を全うしても悔いがないようにと普通学級にいれたのだから。
 自分の担当である美術の授業課題。「粘土で自分の手を作ろう」というテーマを立ち上げる。これには僕として企みがある。授業に集中できない男の子達を取り込むのに、粘土はいいモチーフだ。けんかっ早い粗暴な男子はひたすら粘土を床になげつけさせる。僕も「投げてどついて、また投げて、そうすればどんどん存在感のある本物の拳になるぞ」と挑発する。題して「ケンカの黒」だそうだ。心臓疾患のある少年は自分のか細い指を特に強調して(中に針金を仕込んで)まるでミイラが生きる力を振り絞るような手をつくっている。題して「ハリガネ魂」。見る者を引きつける。大人が見ても生徒が見ても何かすごいパッションを感じる。

 1ヶ月後の合評で、彼の作品がみんなの投票でトップ賞をさらった。僕もひたすらすごいと絶賛する。みんなから無視されていた彼が、とうとう注目の的になる。近寄りもしなかった子達が、彼の手を触りに来る。シラケきったクラスの空気が少し変わる。クラスの子達が彼にしゃべりかけている。
 そんなムードが出てきたとき、大事件発生。彼が、万が一と言われていた、大量の吐血。休み時間の廊下の階段が交通事故の現場のように真っ赤に染まった。知らせを聞いてクラスの子達がかけつける。他のクラスの子達はみんな怖がって蜘蛛の子を散らすようにその場から逃げる。それと入れ替わるようにクラスメート達は彼に駆け寄ってみんなで彼を抱きかかえ、保健室へと走った。女子は「○○くん死んじゃう」と泣きじゃくっている。早速、救急車で病院へ。こんな一大事であるが、僕としてはうれしかった。他人に無関心でイジメだらけのクラスが、他人のことにこれだけ一生懸命になってくれた…。彼の症状は、見た目の壮絶さとはちがってたまに起きることだから。彼の命がけのパフォーマンスが、結果としてシラケきったクラス関係を少し潤してくれた…。

わたしたちの教科書 その2

いじめ…ポーさまの靴隠し
 ドラマで相沢さんが自殺してからクラスのイジメが無くなったかというわけではなく、次はポーさまへイジメの対象が移る。ポーさまの異変に最初に気づいたのは教師ではなく、弁護士の積木(菅野美穂)。主役であるから必然の筋書きであるが。ある日ポーさまは、下駄箱の靴隠しに合う。泥だらけの裸足(靴下)で歩くシーンは、ドラマとして視覚的な屈辱感の演出に有効だから、他のドラマでもよくつかわれる絵ヅラだ。
 現実として、靴隠しは頻繁にある。したたかな生徒は、自分の靴を隠されても、また他の子の靴をパクって1日ぐらい履いている。そういう図太い子はさして重大な結果にならないが、生真面目な子はほんとうに裸足で歩いてしまう。本当にみじめな思いで心に傷を持つ。ドラマは概して、靴を隠したヤツがわからないが、現実では、生徒も教員も誰がやったかほとんどすぐ見当がつく。
 大胆にも、教員である僕の靴を隠すヤツもいる。無視されるより、挑戦的に仕掛けてくれるほうが、僕としてはうれしい。ワクワクする。だいたい見当はつく。そういうイジメをするタイプは、外見も性格もぱっとしない(どちらかというと欠点がある)過去にいじめられたことのあるタイプ。呼び出して別件から問い詰めて自分がやったと認めさせる。過去に被害者になったことがあろうが絶対に許さない。うっとおしがろうが毎日どんどん関わる。思春期の子供は(特に女子は)干渉してくる男の大人に、生理的に拒絶反応を示す子もいる。自分がこうなったのもすべて他人の、中でも大人のせいにするタイプ。そういう子達は目立った暴力事件を起こすような問題児ではないが、(中間層と呼んでいた)群れると手に負えない。グループ全体でイジメをやるタイプ。問い詰めると、みんな自分が主犯でないようなことを言うが、ちゃんとイジメのターゲットを決めるリーダーが存在する。
 靴隠しにあって裸足で校内を歩く子は、靴を隠された事より、裸足の自分を指さして笑われる事が一番つらい。指さして笑うタイプが中間層。僕の格闘はこの中間層との格闘だ。この子たちを「指さして笑う子供」から「裸足の子に駆け寄れる子供」にと…。はてしなく遠い課題のようであるが、実はそんなに距離はない。要は、場の空気の問題。その空気をどうして作っていくか。ひとつの事件が、空気をかえるきっかけになった…。

わたしたちの教科書…リアルで胸が痛い

 CX木10ドラマ…「わたしたちの教科書」があまりにリアルで見ていて胸が痛い。まあよくここまでしっかりと取材しているなあと。ともかく脚本が良くできていて。どの人物にもすべて思い入れてしまう。ともかく先生がしっかり描かれていて、というか、生徒のエピソードがほんの2・3人に絞られていて、それは先生の葛藤を描くための引き出しになっているだけというか、徹底して先生が悩み、迷うドラマだ。「世界を変えることができますか」毎回、本当に魂にズシリと響く台詞が出てきて。心揺さぶられる。と同時に、こんなに響く言葉が書けたら…とちょっと才能に嫉妬してしまう。

 最近の作品にしか関わってないキャスト・スタッフはたぶん知らないだろうが、実は、私、主役の伊東淳史演ずる加地耕平とまったく同じシチュエーションで中学校の臨時教員を3年半やってたことがある。
 東京でのTVドラマの現場から体をこわして大阪に出戻り、さあこれからどうやって食っていこうと日々思案していたところに教育委員会よりTEL。「先生(僕はあんたに先生なんて呼ばれる筋合いはない)来ていただけませんか。正直いいます。学級崩壊した○○中学、行ってもらえませんか。担任が精神的疾患で新学期から休職します…。リアルな学校の状況を詳細に報告してくる。これは明らかに出身大学に適任をさぐり入れて、僕にたどりついている。中学生の相手なんてイヤだが、お誘いをいただいたし、お金もないので、先を深く考えずその中学校に行く。
 それから3年間それはそれは、あまりにも深く貴重な体験をさせてもらうことになる。
 生徒のみならず、教員へのイジメ。まず、赴任して驚いたのは給食指導の時、隣のクラス担任の若い(といっても当時の僕より年上)女の先生が頭から牛乳をぶっかけられて職員室に戻ってきた。関を切ったように泣き崩れ、もうダメと僕に訴えてくる。人間の尊厳を根底から傷つけられる。しかも愛すべきクラスの生徒に。
 ノイローゼで休職した担任を僕がひきついだクラスの生徒達も最初はまったく話しを聞かない。学年主任が「思うようにやってください。責任は僕が持ちますから…」(伊東くんがドラマで全く同じ台詞を言って真木よう子演じる同僚から「責任って、そんなもの取っても相沢さんは元に戻らない」)
 毎日が、常識がひっくり返ったTVの現場に居た自分だから、とりあえず、建前をひっくりかえしてやろうと。掃除をしない生徒たちの前で一人掃除をするのではなく、自らゴミ箱をひっくり返し、机も椅子もひっくり返し、汚い教室はおもしろいねと言って教室を出る。さあ、家へ帰って生徒たちは親にどんな報告をするのか楽しみだ。「今度やってきた先生はかなりキテる。やばい。」
                           …続く

河瀬さんカンヌで取ったー

 河瀬さんカンヌで取った。すごい、ますます離れていくなあー。
河瀬さんの映画の師匠、高峰剛さんは僕の大学の研究室の先輩で、高峰さんの師匠が僕の師匠で、この前リブアローンも見に来てくれた。一時期はみんな同時期に作品つくってて並んで新聞の記事になってましたが、河瀬さんどんどんいきますなあ。彼女ことやからあいかわらず、すごい苦労もしてると思うけど。彼女の作品は彼女の人生そのままやしやっぱり根性ですわ。その根性と努力に乾杯。なにより河瀬を認めた欧州・フランスがすばらしい。
 なんと日本では系列上映さえままならない。日本はアート路線に冷たいねー。

モノ作ろうとおもえば…

 ああ、仕事を納品したので、ユニットの音源を作ろうと思って。
YouTubeでアイドル系の様々な打ち込み曲を聴く。

 なるほど曲のイメージコンセプトが同じ曲は、ほぼテンポが同じ。
ハロプロ元気系の曲はなぜか170あたり。ダンスでは踊れないのちゃうんと思っていたら、アイドルは拍の裏を感じずに踊っている。それが日本的キュート乗り。

これナマで演奏するのめちゃくちゃキツイ。この手はコンサートライブでも全部カラオケ。映像つきのYouTubeは確かに辞書的に使うと便利。こんなもんちょっと前までありえない。マイナーでダンサブルな曲は130あたり(これもダンスだと少し早い)。

 早い曲打ち込むのはものすごくめんどくさい。新ユニットの声域、歌って踊れる余裕も考えて、またその上メロディを考えるのに悩む。すぐ既成の曲が頭をよぎる。慣れてないなあ。
 
 これを完成させて、振り付けと歌詞発注して、練習して、7月15日の本番でお披露目して。ひょっとしたらそれで終わるかもしれない。当人達のやる気しだい…。なんか、手間と時間とお金かけて、なんたる徒労。自分自身としては発見と勉強になるからまあいいか、と思いたいが。
 いつもそうなのだがじっくり腰据えて作ろうと思った時に、次々と仕事が入ってる。学生時代はよかったなあ。好きなことに打ち込む時間とエネルギーが十分にあったよなあ。
 仕事に関しても、遊びの部分でも10代20代を掴むセンスの鈍化が怖い。感覚や技術的な面は昔よりずっと客観的になれるし進歩もしているのだが、やっぱ、パンチにかけるなあ。またまた、いらんことに苦しむなあ。

圧巻!看板女優

 昨日、わかこ嬢の劇団「メイ同盟」の芝居を見に行った。
 楽日でお客さんいっぱい。かなりの割合で某所関係者。見たことある顔のメイドさん4-5人発見。やはりメイ同盟。映画にきてくれていたわかこ親衛隊も結構いました。そのあたりが普通の小劇場と雰囲気違うところか。

 (河西さん、山崎さん、網さんかずみさんら)リブアローンに助演で出てくださった役者さん達の(緩急まじえて感動させる)ベテラン劇団と比べたら、まだまだつたない芝居なのだが、みんな汗ながしながらいっぱいいっぱいで熱演、声枯らして、滑舌もちょっと頼りないので、思わず「大丈夫か」とハラハラ応援。(発見、おっさんキャラといわれる「あっきゅん」に意外な色気が…。)
 ここの現場では、わかこ嬢は1番華もあるし、うまいし、やりたい放題女王様でいられる様子。わかこ嬢が座長やったらいいのに(彼女のみメイド姿でも登場)。力も入るはずだ。(女王様は、期待に応えてキャンディさんやって欲しかったなあ)Goods売り場にはわかこGoodsがずらり…。(ウソアイ・リブアログッズも賑やかしに置かせてもらいました)他の女優は嫉妬しないのかなあ。セルフプロデュースのわかこ写真集?パンフまで(PP貼りなどウソアイのパンフとまったく同じ仕様、撮影はリブアローンのマンションスタジオも、ノウハウを着実に自分のものにしているところがしたたかで彼女らしい)
 
 会場で偶然、マミ嬢とあったので、帰りしなにお茶する。近況とユニットの話題、わかこ嬢に負けないようがんばれと。

バベルを見に行く

 仕事が一段落したので、前から行きたかった映画、バベルを見に行く。
寺町三条のシネコンに行く。久々寺町を歩く、数年前まで寺町にスタジオを構えていたので、このあたりを歩くのはなんだかほっこりする。夕方もかなり暖かくなってきたのでふらふらとなじみの街を歩くのは心地よい。正直、今、続けて映画撮ったり、イベントできたりするのは、一等地のスタジオをたたんで、家賃分出費が浮いたから。

 次回作「Caja2」のプロットにとりかかっているのだが、今回の作品は、平行のモンタージュが中心、つまり全く別々の2人の話が平行に進み、ある時交差するという構造、バベルも平行のモンタージュで作り込んだ映画構造らしいので、ぜひシーンの切り方、つなぎ方を参考にと。

 映画館に入ると、なんと客の少ないこと。前3分の1は全く人がいなかったのでほとんど貸し切り状態で見る。僕より前に観客はいない。映写のフォーカスが甘い、ちゃんと調整しろよ。なんか損した気分。

 予想したよりずっとすごい作品。しかし米国からみた日本の文化はやっぱりこう見られているか。うそアイの女子高生よりずっとリアルで汚い(ルーズでミニの)女子高生、菊池凜子。この体当たりの演技はなんや。ハリウッド映画やからここまで根性出してさらけだせるんやろなあ。ちょっとかわいそうというか哀れ。日本映画やったらたたぶんここまでやらない。助演女優賞ノミネートはこの体当たり演技からか。(他の登場人物は正味内面をさらけだしてないというか演技させてもらってない)ここまで役者追い込めるのはうらやましい。ドキュメンタリーのように8割がた手持ちカメラ。これだけ画面がゆれる映画も少ない。気分が悪くなる人もいるわ。平行のモンタージュの構成がうまい。パラグラムのボルテージが上がりきったところで急に別の世界に、動から静へ。
 ずいぶん参考になった。時間の切り方の参考になった。次回作はやっぱり役者とじっくり向かい合って追い込まなくてはできない内容だから、根性だしてさらけ出してくれる役者と出会いたいもんですなあ。夕暮れの寺町通りの人通りがバベルの世界の延長にみえました。