暴力問題、コンプライアンスについてつらつらと………。 | 談話室 『和太刀』 別室

暴力問題、コンプライアンスについてつらつらと………。

近年、コンプライアンスについて本当に気を付けねばならないことは皆さん周知の事と思われます。
私も極力気を付けねばとは思っていますが、「これはアウトだ」「いやいや、セーフでしょ」という判断の基準が結局「人の主観」により支配されているということを忘れてはならないと思います。
最近、雑誌の広告で「働く女はオスである」という表現についての批判があったみたいですね。「働く女をオスとは何事かっ!」と。

それからハンドボールの大会の宣伝文句の
「手クニシャンがそろっています」「ハードプレイがお好きなあなたに」というのが、下品なのではないかとか、
自衛官募集の広告のイラストの女の子の下着が見えているとか……。

テレビを見ていてこういうことに時間をかけて論議しているのを見ていると、本当に落ち込みます。
そりゃあ表現の世界というのは、多かれ少なかれ賛成意見と反対意見のあるもの。
ですがこの手のランクの問題を真剣に論じているのを見ると、

「働く女ってオスなの?そうなんだー。知らなかった」と誤解するやつがいたらどうするんだっ!
とか、
「ハンドボールって、やっている女の子はエロいことしてくれるんだ」
とか、
「自衛官になったらスカートもはいていない女の子がいるんだ」
とか、
思うやつが出てきたらどうするんだみたいな前
提が出てきちゃうみたいで……。
そんなやつおるかっ!

そりゃあ、「人目をひくための手段としてのキャッチコピー」としてのセンスがいいか悪いかと言われたら、よくないのかもしれません。
そうしたら「センスねえなあ」でいいではないですか。
こうしたキャッチコピーが「当たり障りのない表現」に終始したら、見る人いるのでしょうか?
多分「広告なのに当たり障りのないこと書いて、つまらない」と、同じ類いの人間が批判しはじめると私は思いますよ。
で、
こうした話題を取り扱っているワイドショーの類いでは、しきりに「暴力は絶対にやってはならない」と、色々な事件を題材にして声高らかに叫んでいますよね。
ちょっと前に、こちらのブログ内で、
生徒を殴った先生のことについて書きました。あの先生の対処の仕方は絶対に間違っています。
が、「先生が生徒を殴った」と、その部分だけを動画アップしていて、
後からその前後を見たら悪質な生徒の手段が発覚した時に、又見方が別れたと思いますが……。
私も(あの先生ほどのことではありませんが)、昔、某有名雑誌「N」の創刊号か何かで、殺陣の稽古をしているところの取材中、その時やっていた殺陣について、「これは何かを参考にやっているのか」と聞かれました。それに対して正直に「いえ、これはそういうことではなく、基本的に普段から自分で振り付けをしてやっています」とお答えしたところ、発売された雑誌本編には、まるで私がとても上から目線で、「もう周りから何かを得るということはありませんね」みたいな答え方をしている風に掲載されていたのです(笑)。                                                当時はネット社会ではありませんでしたけど、今なら先輩方やら関係者の方々に対してとても失礼な物言い、大炎上していたかもしれません。                                                                           真意がどこにあるのかは、部分の切り取りをすることにより、とんでもないことになるということです。そしてもうひとつ………。最近、毎日のように「児童虐待」をする親のニュースが飛び込んできます。
本当に弱い子供たちがバカな親、加減を知らない親にヒドイことをされるのは私も我慢がなりません。
で!
多分なんですけどね。
「暴力反対」は基本的に賛成なのですが、
どんなにそれを叫んでも、「ルールを犯す奴」は出てきます。それもオシャレなルール違反を心得ない人たちによるものは本当に悪質です。
その出てきた奴等に対しても、暴力反対を叫んだときに、「じゃあヤった者勝ちなんだ」と発想する下品な人間をどうしたら作らないのかということが大切だと思うんですよね。
学生時代に「暴力はいけないと言われても、結局その時、立場の強いもの(例えば最近の教師に対する生徒)がやったら やった者勝ちなんだ」と刷り込まれた人間が親になって、
多少のことでムカついて子供に何をするのかを想像するとゾッとします。

人と人のコミュニケーションにおいて、これだけ当たり障りのないことを皆が選び、やった者勝ちが「炎上する」という社会的な制裁を食らうだけで許されるのなら………
時代劇的な言い方をすると「お先真っ暗」じゃあござんせんか。

つまり、そういう人間を育てないための教育として、何をしていけばよいのかということと、
セクハラやパワハラを恐れるあまり、当たり障りのない選択をせざるを得ないという社会的な風潮が不釣り合いなんです。

この問題の全ての答えを持っているなどとは決して言えませんけど、
少なくとも人と人が触れあってもセクハラやパワハラなどが介在しないコミュニケーションを殺陣(又は体術と呼ばれる身体)の稽古は持っている気がします。



清水