「間」というものを育てようとすれば…。 | 談話室 『和太刀』 別室

「間」というものを育てようとすれば…。

最近、舞台にしろ映像にしろ、立ち廻りのテンポ、リズムが上がってきているように思われます。
それはそれで決して悪いことではありませんけど、ひたすら手数とスピードで見せれば良いのかというのはちょっと考えてしまいます。

テンポ、リズム、スピードであれば、中国のクンフー的なものや、アクションとして派手に見せるという眼目のもとでは、私も殺陣師としてそうしたものを振り付けますし、それはそれでかなり稽古を積まなければならないわけですが……。時々それら出来たものを見ていると、「ワビもサビもないなあ…」とか感じてしまうわけです(笑)。
日本の武士としての「間や拍子」というのは決して「時間とテンポ」とはイコールではありません。



「日本の立ち回りはジリジリと互いに見つめあうところがあった方がいい」という判断からか、早いテンポ、リズムでかせいで、時々ジリジリするようなものもありますが、ただそうしたものを記号的に入れるというのも違うと思います。

そうした間には必ずそれを作り出す必然が存在しなければならないと思うのです。
でもその必然とやらは、いくらそういう風に装って振り付けしたとして、上手くはいきません。
所詮は(私をはじめとする)振り付けをした人にやらされているだけというのがわかってしまいます。
多分、その間を埋め尽くすものが本人の中で自発的に育たないとダメなんだと思います。
難しいものですよね。
私のような殺陣師がいくら騒いだところで、本人から生まれ出たものにはならないですから。
しかし諦めないでそういうものを育てるために、舞台本番のための稽古というのではなく、通常稽古というものを大切にしていきたいと思うのです、
これをしていかないと、いつか日本独特の間だとかはテンポとリズムの世界に侵食されて終わってしまうのだと感じます。

清水