4歳のやんちゃボーイと弟ベビーの育児に奮闘中のふわりですニコニコ


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ごくたま~に告知記事もありますが、基本的には1人のママとし書いています。

育児していく中で、少数派だった事についての体験を発信することで、一部のママ達のお役にたてればと思って書いています。







上の子を逆子の為、予定帝王切開で出産。

3年10ヶ月後に次の子を経腟分娩で産む予定でしたが、お産が進まず、帝王切開になりました。


帝王切開後の経腟分娩にトライすることをTOLACと言います。






今日は、いただいたメッセージにあった、典型的な3つのセリフについてさらに考えたいと思います。



★帝王切開も経膣分娩も立派な出産だと思います。もっと誇りを持っていいと思います。


★もし最後まで経膣分娩にこだわったら、母子のどちらかの命が危険だったかもしれない。今、目の前にいる我が子の成長を見せてもらえること、それは母子共に無事に出産を終えたからだと思います。


★どうかご自分を責めないでください。




「自分を責めないで」
とても優しい声かけなので、この言葉に救われる人もいるかも知れません。

あくまで、わたしの場合ですが…
わたしは、自分を責めているわけではないんですよね。経腟分娩できなかったことが、ただただ悲しいのです。

でももし本当に自分を責めていたら…
責めないでと言われたからと言って、責めるのをやめられないと思うし、責める気持ちになっている自分を否定された事に傷つくと思います。この場合は、「責めないで」ではなく、「あなたはよく頑張ったよ」がいいかな。



わたしが、下矢印のブログを書いた背景ですが…



結果的に後悔はいろいろあるけど、後悔というよりは反省点と言った方が近いかも知れません。後で後悔したくないと思っていたから、その時々の精一杯やれるだけのことをしてきたので、どうしようもないんですよね…

だからこそ「もしも過去に戻れるなら」なんです。

現実には決して叶わないけど、どこで間違ったのかな?どうだったら成功したのかな?想像でしかないけど、あそこでこうしてたら経腟分娩できる未来があったのかも?と、思い描くことで、夢を見ているのかも知れません。

もう1つの側面は、何か納得できる材料が欲しいんですよね。

「やれることすべてやったのに失敗した」
これって、自分の中で、救いようがないのです。

だから、ここがダメだったという反省材料があった方が、納得できるのです。自分の中の落としどころを探っているのだと思います。

最初は、お産の振り返りの中で、それを見つけようとしたけれど、カルテを見せてもらいながら振り返っても、病院関係者からは納得のいく問題点を見つけてもらえませんでした。それで行き場をなくしたから、タラレバの道へ入ったのです。



わたしがリアルでタラレバを言うことはないので、これはブログの読者様へのお願いになりますが、
TOLAC関係のブログは、わたしなりの、この経験を受け入れるためのプロセスだと思ってください。
つまり、書いている内容は重苦しくても、実は前向きなグダグダな訳です。

読むと心が乱されてしまう心優しい方は、あなたのストレスをなくす為に、どうぞ読まずにスルーしてください。



さて、次のお題
「帝王切開も立派なお産」
これは、お産には変わりない、という意味ですよね?

そうなら、わたしがどう感じているか、言わせてください。


あくまで、わたしの場合です。
同じ帝王切開でも、人それぞれです。

わたしは、2回共産んだ感覚がなく、帝王切開は手術でしかありません。お産だとは思えませんでした。ただし、自分に限ります。他の帝王切開している方をそのようには思いません。

弟ベビーは出産当日に会っていないので…
実は、育てていても我が子だという感覚さえ薄いです。お腹にいた子がこの子と言う繋がりを実感できていないのですよね。


顔が、ダニエルやわたしにまぁまぁ似ているから、多分まぁうちの子なんだろう…という感じ。
(だから、わたしに似てると言われるとうれしいです)

ちなみに、パンパースSサイズテープのパッケージの赤ちゃんに似てます(笑) こんな顔ですてへぺろ下矢印


兄ダニエルの時も、産んだ感覚がなかったけど、手術中に遠目ながら横顔を見ていたこと、写真撮影のために術後に胸の上に乗せてもらったこと、入院中に胎児ネームで「ダニエル~♡」と呼びかけると泣き止んだ事が何度もあった、新生児期に胎動と同じだと分かる動きを頻繁にしていたことから、産んだ感覚がなくても、この子はお腹にいた子なんだと統合されていく経験ができました。

でもコキンちゃんにはそういうものがなく、未だに不思議な気持ちでいます。

ただ、それと愛情は別です。
赤ちゃんは可愛いものですし、育てていれば愛着も育ちます。
分からないけど、父親の感覚に近いのかも知れません。


ついでに…
もし「帝王切開も立派なお産」という言葉が、お産が立派という話なら、経腟分娩でも言えることですが、そのお産が立派なものだったかや、誇りに思えるお産だったかどうかを決めるのは、産んだ本人だと思います。他人に評価されることに拒否感を感じます。

2つ前のブログで「お産に失敗はない」という言葉についても、同じように書きましたが、私は失敗だと感じているし、負け犬、敗北者だと感じています。もっと言えば、妊娠中あんなに頑張っても下から産めなかった自分の体は、女として欠陥品だと烙印を押された気分です。
※これも、他の帝王切開の方、トーラック不成立の方をそのようには思いません。気を悪くさせてしまったらごめんなさい。

それの良し悪しは、脇に置いといて欲しいのです。
そういう言葉を聞いて辛いと思うのは、その方の問題なので、わたしの感情を変えることで解決しようとしないでいただきたいです。わたしの感情はありのままにいさせてください。

親しい間柄か、お産の詳細を知っている方で、純粋に立派なお産だったと感じたのなら、お産を評価するのではなく「あなたは立派だったよ」と言われたらうれしいです。



最後に
「母子共に無事に産まれた事が大事」

わたしもベビーも命があり、ベビーは脳性麻痺になることもなく、元気な産声を上げました。言うまでもなく、これが一番幸せなことです。誰よりも、わたしがそう思っているに決まっています。
仕事で、出産トラブルで脳性麻痺になった赤ちゃんのお世話をした事もあるので、産み方なんてどうでも良いという意見も最もだと思うし、贅沢なことを言っているのは、重々承知しています。

でも、だから全て良し!とは思えないものなのです。だから苦しいのです。

特に、わたしの場合は、終わってみれば「経腟分娩できたかも知れなかったけど、この病院の体制では、これ以上はできなかった」という状況。可能性があっただけに、より悔しさが残っています。

分かっているけど、経腟分娩したかったのです。経腟分娩できなくて悲しんでいることを否定しないで、いつまでもグダグダ言っていることを見逃してください。泣いている子供に「悲しかったね、よしよし」と声をかけるような気持ちで。

繰り返しになりますが、家族や親しい人なら、「あなたが生きていてくれて良かった」と抱きしめてください。そこまでの関係でないのなら、そっとしておいてください。



以上、ワガママかも知れないけど、弱者の気持ちです。
あなたの身近なところに、似たような経験をされた方がいたら、参考にしてみてください。

とはいっても、やっぱり人それぞれですし、帝王切開になった理由もそれぞれなので、一概には言えません。
逆子と違って、どうしても避けられない理由で帝王切開をされたママにとっては、わたしのブログは悲しくさせてしまったかも知れません。そうであったら、ごめんなさい。





下矢印妊娠出産でわたしが参考にしていた本たち

 

 

 

 

 

 



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