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湖から女神が現れてこう言った。
来世で出会う息子さんは歩ける息子さんにしますか?
それとも今世と同じ、歩けない息子さんで良いですか?
どこかの童話で聞いたことがあるような台詞だが、この答えは最後で…。
障がい児の親は「期待と覚悟」を持って生きなければならない。
私はそう思って生きてきた。
息子も13歳になり、残念ながら期待より覚悟の方が大半を占めてきた。
リビングで寛ぐ、息子の颯人。
ゲームを楽しんでいるが、手にはリモコンも握られている。ユーチューブも見ながらゲームをプレイ。彼の至福のひと時である。
脳性まひで肢体不自由になり、脳のダメージからか知的にも遅れがある。
無邪気に笑う颯人は10歳の少年のまま時が止まったようだ。
子供は正直である。どんどん活発になる同い年の男子は、活発になれない颯人のことは待ってはくれない。車いすの彼では追いつけない。
ボタン1つ押せば現れてくれるゲームやユーチューブが友達になった。
憧れとは自分に無い物を持つ人に抱くもの。周りの補助を受けなければ得られない彼には恋愛感情をもってくれる女子はまだまだいない。
3つ違いの姉は友情に恋愛に青春を謳歌している。
桃色に頬を染めキラキラ輝いている。人生最高の時だ。
姉と颯人の違いは、たった2ヶ月予定日よりも早く生まれたこと。
ただそれだけの筈だった。ただそれだけの…。
人間の一生を列車に例えたりする事がよくあるが、医者から告げられた障がいという結果を聞いたあの日、列車は多数者というレールから外れた。
あまりにも姉との子育ての違いに、戸惑った。
少数者というレールを走る私達に日本という国は厳しかった。
嬉しいはずの春が一番辛かった。始まりの春。現実を知る春。
多数者になれない、少数者の春。
歩けないと進めない道。それは歩行の事でなく、進路のこと。未来のこと。
私たち夫婦は、颯人を真ん中に乗せ3人乗りのタンデム自転車を漕いでいる。
凸凹道も急勾配の坂も力を合わせて漕いでいる。
いつまでもこのままでいれたら良いのにと思う。
しかし必ずやこの運命共同体というタンデム自転車から降りる日がくる。
そう、確実に颯人より早くにその日はやってくる。
その日が来た時、どんな気持ちでペダルを放し降りることになるのだろう。
障がい児の親は安堵してタンデム自転車を降りられる人は何人いるだろうか…。
運命共同体という名のタンデム自転車を…。
最後にこの手記を書いた意味…。
この手記を読んだ妻は、あまりの暗さに驚くかもしれない。
タンデム自転車NONちゃん倶楽部に相応しくないと怒るかもしれない。
でも私は思うのだ。
私たちは泣いた、叫んだ、衝突した。
そしてそれを乗り越え、「あの時はヤバかったねぇ。」と笑えた。
私たちは苦しんだ過去があるからこそ、今笑える。
苦しみはまたやって来るけど、乗り越えてまた笑えるだろう。
それは颯人の親になれたから得られた笑いという幸せ。
歩けない颯人だからこそ出会えた人がいた。
少数者だからこそ涙し、衝突し、笑顔になれた。
有難う颯人。君がいる人生は最高だ!
私は女神にこう言った。
「来世も颯人の親になれるのなら、歩けようが歩けまいがどっちでもいいです。」
女神は少々驚いて、その後大きな丸を手で作り湖へと消えていった。



