■1月11日の産経電子版スクラップ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■きょうの自炊本

きょうの自炊本はありません。それに代えてキンドル本です。

[高山正之] 韓国とメディアは恥ずかしげもなく嘘をつく(徳間書店・2019年電子書籍版刊).epub

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☆きょうの誕生日の花と花ことば(NHKラジオ深夜便)は、「コチョウラン(ファレノプシス)」「幸福が飛んでくる」です。

★古い映画にはまっています

*「新源氏物語」1時間22分


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 1961年製作。1月10日、BS・プレミアム・シネマ配信。録画して視聴。
 帝の寵を一身に集めた桐壷は光源氏を生み落して間もなく亡くなった。宮の女性の憧れの的となった光源氏は、時の権力者左大臣の娘葵の上を正妻に迎え前途洋々たるものがあった。その源氏の前に、母と瓜二つという藤壷が現れた。父帝のおもい者と知りながら源氏の心は燃えた。それを知って従者惟光は藤壷付きの王命婦をそそのかして源氏を藤壷の几帖の中に忍びこませた。源氏の甘い抱擁にわれを忘れた藤壷であったが、罪の苛責に戦いた。帝の寵を藤壷に奪われて面白くない弘徽殿の女御は、兄の右大臣と藤壷の失脚をはかった。この叔母と父の企みを近く東宮の妃にあがる朧月夜が耳にしていた。朧月夜は、藤壷の館に忍ぶ源氏を追って強引にも几帖の中に引き入れ、惜し気もなくやわ肌を与えその耳に藤壷に近づくなと忠告した。やがて藤壷は玉のような皇子を誕生した。何も知らず歓ぶ帝を見るにつけ源氏の心は暗かった。その懊悩を野遊びに晴らそうとした源氏は、常陸官の姫末摘花と逢いその女らしいもてなしにうさを晴らしていた。その頃、葵の上は姙り産み月を待っていた。葵祭りの日、葵の上の牛車は六条の御息所の網代車に追突、相手の車のナガエを折ってしまった。口惜しさと憤りに六条の御息所は、生霊となって葵の上を襲った。葵の上は男子誕生と共に死んだ。悲しみにひたる源氏に、またまた父の帝が崩御し、朱雀帝が即位した。源氏は娘の紫の成長を慰めとして日々を送るようになった。今では新帝の妃となった。朧月夜は、一夜の源氏との交情を忘れることができなかった。大胆にも藤壷の館に忍ぶ源氏を目敏く見つけるや、几帳の中に引入れ藤壷に近づくのは身の破滅だと囁いた。この二人の交歓を弘徽殿の女御が発見した。女御の知らせでこれを知った朱雀帝は憤然とした。源氏は新帝からの通達によって須磨明石へ移されることになった。(映画.com)

【雅楽演奏家から見ると…】
 貴族が公務を取り仕切る場所が映画の舞台になっており、そこで演奏されている曲がこの映画でも聞こえてきました。いわゆる「管絃」ですね。ところが笙と龍笛中心で篳篥が抜けていました。殿中ですので、篳篥を演奏する地下人は殿上人でないので演奏に加われなかったのでしょうね。光源氏が舞楽を舞っている場面では篳篥も勿論演奏に加わってました。これは殿上ではなく屋外でしたから…。また流されていたBGMに出てくる雅楽には別の音楽が被せられていました。登場した女官が箏を演奏してましたが、いわゆる俗箏の曲が奏でられていました。あの時代にはあの演奏スタイルはまだないはずです。そもそも和琴はあの場所には相応しくないですね。さらに和琴(らしきもの)の演奏は楽箏と同じように弾いていてました。いずれの事例も時代錯誤と思われる構成で、いただけないと思いました。