10月5日(日)「きょうのおふでさき」アーカイブ版②《第六号~第十号》
■「きょうのおふでさき」 第6号のまとめ (2月7日) 2026/02/07
#「おふでさきを読む」第六号 (30)~(37) <2026/03/09>
《六 号1~16、17~31、32~54、55~74、 75~87、88~103、104~117、118~134 (8)》
■(30)きょうのおふでさき 《第六号1~16》
なにもかもあきをあいづにみへかける
よふきづとめにはやくかゝれよ 六号13
おつとめの話 をつづけられます(17)。おつとめ人衆十人の心を神が受け取っ たなら思惑を説き聞かす(18)。とにかく十人が揃わねば始まら ない(20)そしてそれぞれが成って来ることを通常の病などとは 思わず(22)、神の思惑として受け止めて心すませていくことを 望まれています。
これまではいろいろな道を通ってここまで来たが、まだ日が来た らずいずんでいた。この先は本真実を言って聞かす(25)。これ までの道は「拝み祈祷」の道であった(26)が、その元はだれも 知らなかった。これからはその元、元初りの真実を教え、よろづた すけのおつとめによって(29)たすけの道(ほんみち)へと展開 していく。おつとめの人衆の中に元初りのをやがいる(30)ので ある。元初りの話が「つとめの理話」と言われる所以が説かれてい ます。
■ (31) きょうのおふでさき《六号17~31》
しんぢつのつとめの人ぢう十人の
心を神がうけとりたなら 六号18
おつとめの話 をつづけられます(17)。おつとめ人衆十人の心を神が受け取っ たなら思惑を説き聞かす(18)。とにかく十人が揃わねば始まら ない(20)そしてそれぞれが成って来ることを通常の病などとは 思わず(22)、神の思惑として受け止めて心すませていくことを 望まれています。
これまではいろいろな道を通ってここまで来たが、まだ日が来た らずいずんでいた。この先は本真実を言って聞かす(25)。これ までの道は「拝み祈祷」の道であった(26)が、その元はだれも 知らなかった。これからはその元、元初りの真実を教え、よろづた すけのおつとめによって(29)たすけの道(ほんみち)へと展開 していく。おつとめの人衆の中に元初りのをやがいる(30)ので ある。元初りの話が「つとめの理話」と言われる所以が説かれてい ます。
■(32) きょうのおふでさき 《六号32~54》
にんけんをはぢめよふとてたん/\と
よせてつこふたこれに神なを 六号51
無い人間無い 世界を創められたその詳細を改めて説かれています。この世の元初 りは泥海のような無秩序で混沌とした状態であったが、そこに親神 の働きによって「うを」と「み」を見出し引き寄せて夫婦をはじめ られた(32)。泥海のなかに「どぢよ」ばかりのように見えた が、その中によく見澄ますと人間の顔をした「うを」と「み」が見 出され、親神は人間を創ることを思いつかれました(35)。そこ で人間を創るのに必要な道具を寄せてそれに守護を教えられた (36)。その道具は「にくさづち」「月よみ」(37)、「くも よみ」と「かしこね」「をふとのべ」「たいしよく天」とを引き寄 せて(38)「たしか世界を初めよ」と「神の相談しまりついた」 と語れています。いわゆる「六台はじまり」が説かれています。お さしづで、教会での、をてふりの人数について伺われた際、「六だ い一つの理、それより理を始める」(22・5・25)と言われて います。
とにかく人間創造は「なみたいていな事でない」(40)「なに をゆうのもむつかしき事」(41)であると言われたのです。
この世始めた真実の話はだれも知っている者はいない(42)。 これからは言って聞かせるから嘘と思わずしっかり聞け(43)。 人間はじめかけたのは、「うをとみ」に「なわしろとたね」の働き を仕込んで(44)九億九万九千九百九十九の子数を宿仕込んで (45)その成長(48)を支えてきた。この世の真実の神は月日 であって、あとはみな道具である。人間はじめには使った道具に神 名を付したのである(51)。そしてその説き方のサンプルも示さ れています(52)。それらの詳細は「こふき話」の写本にあり、 ここではその断片を取りあげられたものと考えます(53)。
■(33) きょうのおふでさき《六号55~74》
月日よりそれをみすましあまくだり
なにかよろづをしらしたいから 六号56
元初り の話をこれまでとは違った別の観点から説き直されています。
このところは親神がこの世を創められた元の屋敷(55)であって、 そこにおやさま魂のいんねんを見澄まして天降って何かよろづを知らせ る、と説かれている(56)。立教の元のいんねんである。「めいめい のやしろ」(57)とは註釈によると「つとめの人衆」のことである。 「やしろ」とは親神のたすけ一条の働きを担ったある種の役割を言われ たものと考えられる。「月日のやしろ」という役割はしっかりともらい 受けてあるが、「めいめいのやしろ」はまだもらい受けていないので、 それを見て人々の心もいずんでいた(59)。このたびは月日が表に現 れてなんでもみな話して聞かそう(60)。今までは御簾の内側にいた から外側から何も見えなかった(61)が、このたびは明るいところに 出たので月日の働きがすぐ見えるだろう(62)。
おやさまが明治七年に奈良県庁からの呼び出しに応じて山村御殿に出 向かれ、お帰りになられてから赤衣を召されます。そのことを「このお やさまが召されている赤い着物を何と思っているか、中に月日が籠もっ ているのだぞ」(63)、と言われ、月日のやしろという役割を明確に されたのです。
今までも月日・親神の思うままであったが、まだその時旬が来ていな かったので見許していた(64)。このたびはその時旬が到来したので 何かよろづをまま(思い通り)にする(65)。しかしそれを知らずに 高山は何を考えてまま(思い通り)にしているのか(66)。このとこ ろ(おやさま)には人間の心はなく(67)、どのようなことを言うの も、筆先に誌すのも月日の心からの指図(68)である。それに対して 高山は何を言っても思ってもそれは人間の心の指図である(69)。
月日・親神がつけた名前(神名・天理王命)を取り払おうとした。そ の残念をなんと思うか(70)。真実の月日の立腹、残念は容易なるこ とでないと思えよ(71)。今までは「高い山」だと威張ってまま(思 い通り)にしてきた(72)が、これからは月日がそれ(高山)に代 わってまま(思い通り)にする。できるならその真似をしてみよ (73)。このところ何を言うのも、どのようなことをするのも、月日 が思う通りのことばかりである(74)。
■(34)きょ うのおふでさき 《六号75~87》
このよふわど ろうみなかの事なるし
なかに月日がいたるまでなり 六号80
時の政府 は明治5年から大教宣布運動を展開します。教導職が設置され、全国に 神仏合同の機関として各地に「大教院・中教院・小教院」を設置して、 神官・僧侶など総動員して、人心教化策を打ち出しました。
おやさまが奈良中教院から呼び出されて山村御殿に出向かれた後、 「天理王という神はない」と信仰差し止めなど申し渡されたのはそうし た大教宣布の嵐の中にあった事件と理解できます。
それに対して親神は「これからは月日の心残念をはらす模様ばかりす る」(75)「積もりてあるをかやしする」(77)と高山に対して承 知していよと、警告されました(79)。
月日の残念をはらす、残念が積もり重なっているのを、なぜ、かやす のかそのその元を80以下で語られます。
泥海から無い人間無い世界を始めらかけられました(81)。まず泥 海中を見渡して道具を見極められます(82)。泥海中にどじょう(人 間の種)、うおとみ(人間の雛型)、「ほかなるもの」必要な道具を引 き寄せて談じ合い、人間を創造されました(84)。「六台はじまり」 を説かれたものと理解します。無い人間無い世界をはじめるために月日 親神が心を尽くされた(85)のです。こうした道すがらを知っている 者はだれもいない。月日のそれに対する残念な思いはいかほどのもので あるか。これほどに思って始めたこの世界であるから月日の心の残念な 思いを何と思っているのか。その元、根拠をここに語られたのです。
■(35) きょうのおふでさき 《六号88~103》
いまゝで ハなにかさとりもありたけど
もふこれからハさとりないぞや 六号101
親神が人間を たすけるためになされる「かやし」について、どのように受け止め たらいいのかを諭されています。
人間の成長のために親神は心をつくしてきた(88)。ところが 高山はそれを知らずに蔓延って人間心で世界を思いのままにしてい る(89)。月日親神はそれが第一に残念であるからどんなかやし (働き)をするや知れない(90)。たとえば、山崩れ、雷、地 震、大風などの自然災害は月日立腹のあらわれである(91)。大 社・高山は油断することのないように。月日親神は遠慮はしないか らな(93)、と念を押されます。親神としては精一杯にことわり をした上で、月日の仕事(働き・かやし)をするのである (94)。それを決してうらみに思ってはいけない。それは各自の わが身への恨みである(95)。この話口説き詰めてあるからよく 聞き分けよ(96)。
一れつはめいめいの胸次第である。常に親神はそれをご覧になっ て見分けていると思え(97)。その各自の心を神が受け取り次第 に働き(かやし)をするのである(100)。
今までは神が何を言っても思っても、それを受け取る方は人間の 心ばかりであった(99)。これからはそれが善であろうと悪であ ろうともそのまますぐに働き(かやし)をする(100)。かやし (神の働き)によってたすけるのであるから、これまでのように人 間的立場からの悟りでたすかるというのではない(101)。それ がかやし(神の働き)であることを知ってもらわねばならない。こ の世の真実のをや・月日であって、そのをやが働いてよろづの守護 するのであるからそれ(かやしの神意)を知らねばならないのだ (102)。この先将来は親神が言われることに嘘はなく真実であ ると思ってこの話を聞き分けてもらいたい(103)。
■(36) きょうのおふでさき 《六号104~117》
これから ハいたみなやみもてきものも
いきてをどりでみなたすけるで 六号106
月日親神 が真実にたすけたいと思って始めたことばかりである (104)と言われ、その具体的なたすけについて語られてい ます。病のたすけである。今までは病と言えば医者だ、薬だと 言って心配をしてきた(105)が、これからは痛み、悩み、 できものも「いきてをどり」のおさづけでみなたすける (106)。このたすけは今まで誰も知らぬことであるが、こ れから先は「試し」してみよと言われています。どのような難 しい病気であっても、親神は真実なるの「いきのさづけ」でた すける(108)。真実の心を見定めて「いかな守護もする」 (いきてをどり以外の働き)(109)も見せる。おつとめに よって子どもの疱瘡も麻疹もせず病まず死なずに暮らせるよう にする(110)。どれほどの自由自在の働きを見せると言っ ても「月日の心」からできるのであることをよく聞いておけ (111)。
112以降また「かやし」(働き)の話題に戻って、まだ言 い足りない月日の思惑が説かれる(112)。積もり重なる月 日の残念を言うて聞かせる(113)。このところ(おやしき において)たすけ一条(おつとめとおさづけ)を止められてそ のかやし(神の働き)をせずにはいられない(114)。この かやしは「大社高山を取り払う」(社会事象)にあらわすから 承知しておれ(115)。また天火、火の雨、海は津波など (自然現象として)あらわす(116)から、その親神の残 念、月日の心配に思っていることを世界中な何と思って暮らし ているのか(117)とその胸中を明かされました。
■(37) きょうのおふでさき 《六号118~134》
このはな しなんとをもふてきいている
月日をもわくふかいりやくを 六号126
第六号の 最後の段落になります。ここでも月日親神の子どもに対する心 配に思われている話(くどき嘆き)(118)をされて注意喚 起を促されています。
この世はすべてが月日が支配(守護)する世界であって「神 の体」である。人間はその月日の子どもであり、身の内かしも のである(119)。世界中がこの真実を知ったなら「剛気強 欲」出すものははい筈である。ところが親神が教えることはす べて否定して人間心ばかりになっている。これではたすけるこ とはできない(123)。
今までもこの世をはじめた真実を教えておこうと思ったけれ ど、月日はその刻限(時間)を待っている(125)のであ る。この話(これまで説かれてきた人間元初りの話)をどのよ うなものとして聞いているか。月日親神には深い利益(りや く)を見せてやろうとその準備をしている(126)のであ る。それは人間だれもが考えているようなものではなく、おつ とめによるめずらしいたすけ(127)を考えているのであ る。しかしこれまで自由自在の働きをすると説いてきている が、まだ今までその働きが見えたことがない(128)。この たびはその真実をしてみせたならこれ(話)が真実誠であると わかる(129)であろう。体内へ宿し込むのも月日親神の働 きであり、生まれ出すのも月日親神の世話取りがあってなされ ることなのである(131)。これを見ていかなものでも得心 をせよ。人間の心次第にどのような自由も見せる。たすけには 真実の心が不可欠で、神は真実の心次第にみなしてみせる、と 第六号の話を締めくくられています。
3月23日(月)「きょうのおふでさき」アーカイブ版(7)
■ 「きょうのおふでさき」 第七号のまとめ(3月 23日) 2026/03/23
■おふでさきの区切り《省略》
▼ 第七号・(38)~(43) <2026/03/09>
《七 号1~14、15~34、35~56、57~73、 74~88、89~111 (6)》
■(38) きょうのおふでさき 《第七号1~14》
上たるハそれをしらすになに事も
せかいなみやとをもているなり 七号3
第七号の冒頭 のこの箇所は、前号・第六号までの話の要約のようです。
「三十八年以前」とは当然天保九年を指しており、立教の元のいん ねんがあったから天降って詳しい話をしているのである(2)。と ころが上たるはおやさまが語られる話を「世界なみ」として自分た ちと同様の人間が語ることとしか思っていない(3)。しかしこの ところは無い人間無い世界を創造した元のぢばであるから、その始 まり出しを知らないと言うことはない(4)。上たるへこの真実を しらしてやろうと思っている(5)が、上たるはそれを知らないか ら銘々のわが身の思案ばかりを思っている(6)。
それを見ている月日親神は、その先行き、怖き危なき道を案じ て、心配しているのである(7)。月日にはその正しき道をはやく 知らそうと思い心配をしている(8)。それは人間の親がわが子を 思うのと同様、怖き危なき道を案じているのである(9)。ところ が人間はそれを知らず、みな銘々のわが身思案にくれて「うっかり と」暮らしているのである(10)。
この世界は月日親神が万事支配をするということを考えてもらい たい(11)。これから先の道を見ておればその話がどういうもの であるか、自ずからわかるであろう(12)。どのような高い所で も水がつく。谷底だからと言って危ないこともない(13)。月日 が支配をするのであるから大きいとか小さいとかいったことは問題 にならないのである(14)。
■ (39) きょうのおふでさき《第七号15~34》
これまでもなんでもよふ木゛ほしいから
たいていたづねいたるなれども 七号15
おつとめの話 をつづけられます(17)。おつとめ人衆十人の心を神が受け取っ たなら思惑を説き聞かす(18)。とにかく十人が揃わねば始まら ない(20)そしてそれぞれが成って来ることを通常の病などとは 思わず(22)、神の思惑として受け止めて心すませていくことを 望まれています。
これまではいろいろな道を通ってここまで来たが、まだ日が来た らずいずんでいた。この先は本真実を言って聞かす(25)。これ までの道は「拝み祈祷」の道であった(26)が、その元はだれも 知らなかった。これからはその元、元初りの真実を教え、よろづた すけのおつとめによって(29)たすけの道(ほんみち)へと展開 していく。おつとめの人衆の中に元初りのをやがいる(30)ので ある。元初りの話が「つとめの理話」と言われる所以が説かれてい ます。
■(40) きょうのおふでさき 《第七号35~56》
とのよふな事をゆうのもにんけんの
心でわない月日こゝろや 七号52
「今がこ の世の初まり」というのは、おつとめによって人間創造の働きをたすけ の上に現していくということを言われた(35)もので、「このたびの 自由用自在」すなわちおやさまが話されたことは親神のことばそのまま であって、そのまま成って来ることを仰っているのです。それによって この話を得心せよ(36)と言われています。月日親神が人間の体内に 入り込んで自由用自在のたすけ・働きをして見せるのである(37)。 こんな自由用自在の話をするのは今初めてのことである(38)。これ から先は、いつになってもこの道理、すなわち親神の働きを見せて話を 信じられるようにすること、自由用自在を早く知らせる(39)。
をびやたすけの試しで示してきてたすけを急いているが、今までだれ も知らないことなので、じっくりといずんだ心のままであった。しかし 真実の心を定めて願うならば、自由用自在を今の間にもあらわす (43)のである。このことは誰も知らないことであるから、月日親神 の胸の内がわからない。それには月日は残念(44)に思っているので である。
今まではどのようなことも見えてこなかったが、これから先は早く見 える(45)。真実の心があれば、早く願えばすぐに叶う(46)よう にしてやろう。たすけ一条を急いているからどのようなこともいかんと は言わない(47)。これほど月日親神は急いているのに、側の心なな ぜいずんでいるのか(48)。心勇んで急き込めよ、月日親神は待ちか ねているのである(49)。そして自由自在の働きをはやく見せたい。 これ一条である(50)。
ところがこれほど思っている月日親神の真実であるが、側の心はまだ 世界なみである(51)。月日親神がどのようなことを言っていてもそ れは人間心で言っているのでなく、親神の心で言っているのである (52)。これからは人間心が混じっていると思っている(53)。こ れからは、その心を入れ替えて人間心あると思うな(54)。今までは おやさまを同じ人間のように思っているから何も分からないのである (55)。これからは何を言っても何をしても人間であるとはさらに思 わぬよう、と諭された。
■(41)きょ うのおふでさき 《第七号57~73》
月日よりこの ぢうよふをせかへぢうゑ
はやく一れつしらしたるなら 七号64
今までは 日柄も来ていないので、何をするにも控えていた(57)が、この先は どのようなことを言うにしても怖みも危なきもない(58)。これから は月日親神が出張りをする。すなわちぢばから他の所へと積極的に働き (かやし)をしに出向く(59)と言われます。これまでの残念な思い が山のように積もり重なってある(60)が、どれほど残念が積もって いても「どうせよ」「こうしなさい」は言わない(61)。これからは どのような高い所でも月日親神の自由自在の真実を早く見せたい (62)。高い所にいる上たる者の心が分かったならば、神は自由用の 働きをする(63)。そうしたならばおつとめによるこの自由自在のた すけを早くするのに(64)。
さて37、38で言われていた自由用自在の働きを具体的に語られま す。秀司先生とまつゑ様の間にたまへ様が誕生されるそれにかかわる話 です。このたび孕んでいるのを内なる者はどのように思って待っている のか(65)。月日親神には大変な思惑がある(66)。その元は六年 以前(明治三年)の三月十五日に迎え取った子ども(お秀さん)の魂を 親神が今まで抱きしめていたが、それを早く見せたいと思っているので ある(68)。内なる者はそれを知らずに世界なみなるように考えてい る。この話は今がこの世の初まりであることを分からせるための準備、 段取りなのである(70)。おつとめがこの世初まりと言われるよう に、親神の働きが現されるのである。
これから先の容態をだんだんと説いておく(71)。名はたまへ、早 く見たいと思うなら、月日親神が教えるおつとめの手をしっかりと覚え ておつとめを実行せよ。この話を真実であると思うなら心を定めてはや くかかるように。
■(42) きょうのおふでさき 《第七号74~88》
こらほど に月日の心せゑている
そばの心もつとめこしらゑ 七号86
今まではおや さまが何を言ってもみなむねもわからないし、その日も未だ来たら なかった(74)が、だんだんだんと人々にむねがわかるように なってくれば、その日も到来する。それを月日親神の心は急き込ん でいるのである(75)。これさえ早くに見えるようになったなら ば、どのようなものもかなうものはない(76)。月日親神がこれ をしっかりと見せたなら、あとの仕事(世界たすけ)の段取りも順 調に進むのである(77)。をびやたすけについて、おつとめに よってをびや許しを出して行くことになるのである。みなはどのよ うに考えているのか(78)。
このたびはその真実に言って聞かせる。をびやたすけも切なみな しに素早く生ませる(80)。だんだんと口で何事言っても月日親 神の言うようにせねばならない(81)。そうすれば間違いはない のである(82)。どんなたすけをするのもみなおつとめによって 行うのである(83)。をびや許しや証拠守りのように、おさしづ 時代になっておつとめによって出すよう教え指導された。そのよう に真実の心があるならば月日親神もそれをそれを請け負うてたすけ をする(84)。このたびはそのように真実の心を請け合ってたす けするのは今がはじめである(85)。従っておつとめの完成を月 日の心は急いているのである。そばのものもそれを受けておつとめ の拵え、準備をせよ(86)。そしておつとめと言っても同じこと ではないので、みなそれぞれにその願いに応じて異なる手を教える のである。明治八年この年、ぢば定めがあって、みかぐらうた第三 節が教えられると共に、をびや、ほうそ、また肥、萌え出などのい わゆる「十一通りの特殊含意のおつとめ」を教えられています。 「みなそれぞれ」と言われたのはこのことでしょう。
■(43) きょうのおふでさき 《第七号89~111》
このよふ のせかいの心いさむなら
月日にんけんをなじ事やで 七号111
今まで歩 んできた道すがらを知っている者はいない(89)。これから はいろいろな道筋が予想されるが、みな言って聞かせる (90)。月日親神からその道筋を聞いたなら、このように残 念な思いを持っていることは無理でないとわかるであろう (91)月日親神はこの残念な一条をはらしたならば、あとは 陽気づくめである(92)。日々に陽気づくめになっていくと いうのはどういうことか、誰も知らないであろう(93)。陽 気というのはおつとめによってもたらされるのであって、その めずらしいこと(おつとめによるたすけ)をみな教えるのであ る(94)。
おつとめを教えていく手順としては、まず側のものの胸の内 から掃除をする(95)。そうすればあとは心が勇んできて、 よろづのつとめの手をつける(96)。このつとめはをびや (産屋)やほうそ(疱瘡)をたすけるものである(97)。そ のおつとめ、疱瘡をしないようにするおつとめを教える (98)。そのために世界一れつの心を澄まして、世界をたす けるための計画である(100)。そのようなたすけをするの も真実のをやがいるから引き受けるのである(101)。その ためには心が澄むことが大事で、そうなったらどんなことでも 違う事はない(103)。いままでは月日親神がどれほど思っ ていても側のものの心にわかりがなかったので、これからはお やさまの話されるおつとめの話は人間の心で仰っているのでは ない。この世初めてないことばかりである(106)。世界中 みな一れつに心が澄みきって陽気づくめに暮らすことならば、 月日親神も勇むのであって、そうなったら人間であっても同じ ことである(110)、と人間は陽気づくめの心になって勇む ことが大切である。まさに神人和楽の陽気世界の共有を強調さ れたのです。
3月31日(火)「きょうのおふでさき」アーカイブ版(8)
■ 「きょうのおふでさき」 第八号のまとめ (3月 31日) 2026/03/23
■おふでさきの区切り《省略》
▼ 第八号・(44)~(48) <2026/03/31>
《八 号1~20、21~33、34~50、51~69、 70~88 (5)》
■(44) きょうのおふでさき《第八号1~20》
それまでハたれかしりたるものハなし
なにか月日のしやんばかりで 八号16
前号で残念を はらしたら陽気づくめになるという話をされていたので、この号は その続きを語られたようです。
やまやまと積もった残念をはらしたいと宣言され(1)、残念を はらすことによってよろづのたすけをする(2)。真実の心次第に どのようなおつとめをするのもみなたすけである(3)。月日親神 にとっては世界中はみなわが子であって、たすけたいとの心ばかり である(4)。ところがそれを差し止めて、その後取り払いまで行 う(5)のはいかがなものか。おそらく明治八年、奈良中教院から 呼び出されて神名の差しとめ命令を下されたこと、またその後おや しきの祭神具など没収された事件を仰っていると思われます。それ 故にたすけづとめができなくなったのを残念であると言われていま す(6)。
月日親神がだんだんとおつとめの手を教えるのは人間心から行っ ているのではなく、月日親神の心のままにしていることであり (9)、どのような話も、どのような姿を見せるのも、いかなる障 りがついてくるも人間心はさらにないのである(10)。この世を はじめだした月日親神であるから、どんなことでも知らんというこ とはない(11)。世界中の人間の胸の内は月日親神の方へすべて 映っている(12)。ところがそれを知らない人間はわが身思案ば かり思っている(13)。
この先はだんだんと真実の道を教える(14)。この世の始まり 出しは月日親神で、その委細をみな教えかける(15)。それまで は誰もそのことを知っている者はいない。月日親神の思案ばかりで ある(16)。きょうまでいかなることも月日親神の思いであると 言っているが、まだそれが伝わらず、わからないままである (17)。世界にはだれも知っている者はいないから、何を言って も分かり難ない(19)。この世はじめてないことを説いているの であるから(20)と、おやさまの話は月日親神の思いであること (教祖論・啓示論)を強調して諭されています。この号の序説的な お話。
■ (45) きょうのおふでさき 《八号21~33》
このよふをはじめだしたるしんぢつを
みな一れつハしよちせゑねば 八号27
この世の初ま りだしの真実を知らせるということが大切である(21)という点 をまず指摘されています。
今までもたすけ一条と言って説いてきたが、その本真実(本当の 真実)を知らない(22)から、月日親神が言われることをたすけ 一条が全うされないので、月日親神の話を真実のものとして聞けな い(24)のである。
この世の元なるの所は、ぢばと定めたこのおやしき以外にないの である(25)。どのような話するにもこの話の元をみな一れつハ 承知しなければならない(27)。
どのようなたすけをするにしても人並みのような話はしない (28)。今までに目に見えてあることや、存在しているようなこ とを言うのではない(29)。これまでにないことばかりを言って 聞かせて、真実のたすけをするのである(30)。それは疱瘡をし ないようにお守りを拵えたり、をびやのたすけで月日親神の自由自 在の働きによって安産をさせ、さらにお産の時期を延ばしたり、早 めたりもできるのである(32)。これほどの自由自在のご守護を 約束するのも容易なことと思わず、よく思案をしてもらいたい (33)のである。
■(46) きょうのおふでさき 《八号34~50》
心さい月日しんぢつうけとれば
どんなたすけもみなうけやうで 八号45
月日親神は言 葉・心を尽くしているが、世界はなかなか変化せず、これまで同様 世界なみ(34)です。
この世をはじめだした本心を言うて聞かさねば神意が伝わらない ようだ(35)。このところ、つとめ場所は人間を宿し込んだ元の 場所である(36)。人間をはじめ出したるをや、母親たるおやさ まは月日のやしろとしてこの世界に存命で在す、それは真実誠であ る。そのようにこの話が真実誠であると思う者はどこの者でもな い、ここにいる(にほんの)者なのである(39)。
いままでも無い世界を始めたのはだれも知らないことを言ってま た教えかけた(40)。このたびもないことや知らぬこと言うてま た教えかける(41)。どのような者でも知らぬことばかりを教え て世界をたすける(43)のである。ところがこれほど月日親神は 心配をしているのに、世界の者はなにもしらないでうっかりと暮ら している(44)。
心さえ月日親神がその真実を受け取ればどのようなたすけも請け 合う(45)。どんなたすけも真実のをや(おやさま)が月日のや しろとしてここにおいでになるから月日が言うのである(46)。 この月日は、元なるぢば、そして元なるのいんねんがあるから自由 自在のたすけができる(47)のである。この話、たすけ一条を請 け合う元、根拠となる話(48)であるから、繰り返して言われた のである。ぢば・おやさまの理が分かり承知をすることが重要なの である。この元はどこたずねても知っている者はいない(49)。 おやさまの体内に月日親神が入り込んで話をするのは今が初めての ことなのである(50)。
■(47) きょうのおふでさき 《八号51~69》
このせかい一れつみゑる月日なら
とこの事でもしらぬ事なし 八号51
人間の 世界は理づめの世界ですが、すべてその理(法則)で支配されているも のではない。月日親神は世界一れつに目を配ってご覧になっていますの で、知らないということはありません(51)。人間はそれぞれこれが いい、これはいけないなどと考えて対応していますが、これが全部正し いとは限らず、親神の眼から見れば怖き危なき道なのであって、それを 見定めて善悪を見分けする(52)と言われています。人間世界は、ほ こりやいんねんといった人間のわが身思案だけで成り立っている世界の ですが、その秩序だけ出来ているのではありません。たとえば、だんだ んと恩が重なっていく、それを放置しておくと牛馬と見える道、牛馬に 落ちる道がある(54)。しかしそんな中にあっても、どのような者で も月日親神が真実の心を受け取ったならば「みなたすける」(55)と 言われています。前者も大事ですが、後者の「たすけ」の方がもっと大 事だと強調されているようです。このことを今まで誰も知らないから、 このたび月日親神が先に知らすのである(59)。
月日親神にとってはすべての人間はわが子であるから、可愛いいっぱ いに思っている(60)が、各自はめいめいほこりばかりを思案してそ れを積もらせている(61)。月日親神はそのほこりを掃除をせねばと 思っている、月日親神のその働き(掃除)によって善悪ともにかやすの である(62)。この掃除をしておかねば将来怖き危なき道筋を案じて いるが銘々はそれを知らない、どのような高い所にいる者も、月日親神 にとってはみなわが子であるが、それを知らずに(高い所のものが)親 神のすることを差し止め、また取り払おうとするのはいかがなものか (4・5・6でご指摘済み)と再度指摘されました(65)。このよう に月日親神の胸の内をすきやかにはらしておかないと後の模様(たすけ の計画)を進めることができない(67)。この先はたすけ一条にか かったならば、どのうような者でも、ぢばの理が心に治まって勇むばか りである(69)。
■(48)きょ うのおふでさき 《八号70~88》
このよふのに んけんはじめをやなるに
天のあたゑハあるときけども 八号78
今までは 日柄も来ていないので、何をするにも控えていた(57)が、この先は どのようなことを言うにしても怖みも危なきもない(58)。これから は月日親神が出張りをする。すなわちぢばから他の所へと積極的に働き (かやし)をしに出向く(59)と言われます。これまでの残念な思い が山のように積もり重なってある(60)が、どれほど残念が積もって いても「どうせよ」「こうしなさい」は言わない(61)。これからは どのような高い所でも月日親神の自由自在の真実を早く見せたい (62)。高い所にいる上たる者の心が分かったならば、神は自由用の 働きをする(63)。そうしたならばおつとめによるこの自由自在のた すけを早くするのに(64)。
さて37、38で言われていた自由用自在の働きを具体的に語られま す。秀司先生とまつゑ様の間にたまへ様が誕生されるそれにかかわる話 です。このたび孕んでいるのを内なる者はどのように思って待っている のか(65)。月日親神には大変な思惑がある(66)。その元は六年 以前(明治三年)の三月十五日に迎え取った子ども(お秀さん)の魂を 親神が今まで抱きしめていたが、それを早く見せたいと思っているので ある(68)。内なる者はそれを知らずに世界なみなるように考えてい る。この話は今がこの世の初まりであることを分からせるための準備、 段取りなのである(70)。おつとめがこの世初まりと言われるよう に、親神の働きが現されるのである。
これから先の容態をだんだんと説いておく(71)。名はたまへ、早 く見たいと思うなら、月日親神が教えるおつとめの手をしっかりと覚え ておつとめを実行せよ。この話を真実であると思うなら心を定めてはや くかかるように。
4 月14日(火)「きょうのおふでさき」アーカイブ版(9)
■ 「きょうのおふでさき」 第九号のまとめ (4月 14日) 2026/04/14
■おふでさきの区切り《省略》
▼ 第九号・(49)~(52) <2026/03/31>
《九 号1~12、13~32、33~47、48~64 (4)》
■(49) きょうのおふでさき 《九号1~12》
このさきハどんなむつかしやまいでも
みなうけよふてたすけするぞや 九号9
第八号、第九 号は記述内容から一連のものと考えられています。第八号のつづき です。
冒頭はこれまでのくり返しになりますが、おやさまの言われるこ とは人間心は少しも混じらず、月日親神の心そのままである(1・ 2)から、どのようなこともしっかり聞くように(3)と前置きさ れています。
その上で、おやさまが特別な存在である(4)と指摘されます。 「やしろとなるを二人とも」とはおやさまとこかん様のことであ る。それぞれ「別間隔てる」、別の部屋に居るようにと指示されて います(5)。二人の話の内容が寸分違いのないでおやさまの存在 の特別なことを立証しようとされた。それをもとに世界たすけを 「請け負って」実行していく。それをしっかりと見極めてもらいた い(6)。この先のたすけ、おつとめによるよろづたすけの「みな 請け合うの元」(7)であると言われます。「やしろ」はつとめ人 衆の話であるからここは元初りについてよく承知してその役割を理 解してほしいというのが神意とうかがえます。「たしかききすみ承 知してくれ」(8)と言われているのはそのためでしょう。
当時、こかん様は身上であったので「どんな難しいやまいでも、 請け負うてたすけする」(9)と言われます。そもそも人間には 「やまい」はないが、その元、元初りを知っている者はいない (10)。その初まりが月日親神であることを知らせたいから修理 や肥として医者・薬を教えて来たのである(11)。それらはあく まで修理や肥なのであって、人間元初りの話を承知して、万事請け 合っておたすけをしてきた。これからはよろづのこと(よろづたす けの元、人間元初りの話)をみな説いていくから、どんなこと(や まいなど)もしっかりと聞き取ってもらいたい(12)と言われて います。
■ (50) きょうのおふでさき 《九号13~32》
にち/\になにせきこむとゆうならば
月日とびでるもよふばかりを 九号15
これまで大抵 の話は説いてきたが、真実のことはまだ言っていないと、世界たす けを急き込む上から「月日とびでる」という月日親神の積極的な働 きかけについて語られます(13)。月日の心の急き込みは「月日 とびでるもよう」である(15)。どんなことをするやらわからな いだろう(16)。
この先の道の容態を聞き分けてくれ(17)。月日が飛び出たこ とを聞いたなら、とにかくかんろだいを早く出すようにと急き込ま れます。そしてかんろだいの設置場所・ぢばの心づもりをせよ (19)。その準備に滞りがなければ危険は避けられるだろう (20)。
月日が飛び出るところは、高い所や遠い所へと言われます (21)。つまり「高山」社会的に高い地位についている人々、ま た「遠国」ぢばおやしきから遠く離れた諸国の人々に「飛び出て」 顕著に働かれる(21)のであるから、これを聞いた者は「なんと 月日はえらいものや」と感心するであろう(22)。(これは後に 「高山布教」とか「遠国布教」なんどと呼ぶようになる。)そのよ うになれば胸にたまった靄(もや)が飛散して胸がはれる (23)。今までは三十八年以前から月日親神の胸にたまった人間 が積んできたほこりを気の毒に思っていたが、それも晴れるだろう (24)。
このたびはどのようなこともみな一れつに知らせる(25)。 「もとなるをやを」確かに知らせる(26)のである。何のことや ら誰も知らない(27)であろう。それは一れつ人間を真実にたす けたいから知らしかける(28)のである。
今までにないたすけをするのであるから、その元を知らなければ ならない(29)だろう。いままでも知らないことを教えるのであ るから「元なるをやをたしかに知らせる」(30)。元なる親を 知ったなら、月日親神はどんなことでもみな引き受ける(31)。 このような話は人間が言っているのでく、月日親神の心で言ってい るのである(32)
■(51) きょうのおふでさき 《九号33~47》
このたびのなやむところハつらかろふ
あとのところのたのしみをみよ 九号36
「もとなるを や」を知らすと話されて、これからそれをどのような仕方で知らせ ていくかとうい話題に展開される。身上、事情、かやしなどを通し てそれを人々に納得させる途を話されます。
まずは身上、とくに一般的な病の意義について語られます。世界 を見渡すと、病もいろいろなものがある(33)。しかしどれほど 難病と言われるようなものであっても「請け負って」たすける家伝 (秘訣)を教える(34)。これからはその「薬味」(くすり)を 言って聞かせるから、神の話がどのようなものであってもしっかり と承知してもらいたい(35)。
そしてこかん様の身上について話されます。そもそもこかん様 は、梶本家に嫁がれてい姉が出直し義兄が困っておられたのを見か ねてこかん様が梶本家に入られていたその中でおやさまは、早くお ぢばに帰るように促されて身上に印を見せられ諭されていたので す。このたび悩んでいることはつらいことであろうが、それを越し たら楽しみがあることを知ってほしい(36)。そもそも神の話 は、どのようなことをするにも先に言うてある。ことわった上でか かる仕事である(38)。月日親神は自由自在のたすけを知らせた いからその準備をして、急き込んでいるのである(40)。このよ うに月日親神がいかほどにそばなものに頼んでも聞き分けがないの で、なんと残念なことである(41)。この話は今だけのことでは なく、将来のことも見通した「先なることをばかり」言っておくの である(43)。こかん様は将来、やしろとして役割を世界たすけ の一翼を担われることになるからである。
これ以降44からは「かんろだいのはなし一ぢよ」(44)と言 われ、おつとめによるたすけについて述べられます。今あるかんろ だいは本格的なものではなくそれを模した「一寸のしながた」 (45)であるが、これからはそれをだんだんと本来のかんらだい にしていく段取りを言って聞かせるのでしかりと承知せよ(46) と言われてその形状を「このだいを少し彫り込み差し渡し三尺にし て六角にせよ」(47)とその詳細を説かれます。
■(52) きょうのおふでさき 《九号48~64》
月日にハこれをハたしてをいたなら
あとハをやより心したいに 九号64
かんろ だいの今後について述べられます。
今までにいろいろと話をしているのは、かんろだいを据える準備のは なしばかりであった(48)。これをしっかり据えて置いたならば怖い 危ないこともない(49)。しかし、月日親神の指図ばかりでやってい ることを止めたならばわが身が止まるとことになる(50)。やがてか んろだいができたならばそれを見て、誠真実結構な月日の教えであると みなが言うようになる(51)。
そしてこのだいが出来次第おつとめをする(53)。そうしたらどん なことでもかなえてもらえるようになる(54)。そうなったら月日親 神がぢきもつの与えをしっかり渡す(55)。どのようなことでも真実 であるという証拠がなければ危ういということになるだろう(56)。
これからはどのようなことも細かく説くからそれに背くことはないよ うにしてもらいたい(57)。この話はかんろうだいによるたすけの計 画・準備の話である(58)。この台の上にだんだんと十二段を積み上 げてその上に差し渡し二尺四寸の台にして(59)、その上に平鉢を載 せて置いたならばそれより確かにぢきもつをやろう(60)。ぢきもつ は誰に与えるか。この世はじめたをや、おやさま(母親たるいざなみの みことの魂)に渡す(61)。天から与えをもらうおやさまの心(に思 うところ)は誰も知らない(62)。月日親神は、これをおやさまに渡 しておいたならば、あとは親(おやさま)から心次第に渡すであろう (64)。
4 月28日(火)「きょうのおふでさき」アーカイブ版(10)
■ 「きょうのおふでさき」 第十号のまとめ (4月 28日) 2 026/04/28
■おふでさきの区切り《省略》
▼ 第十号・(53)~(58) <2026/03/31>
《十 号1~18、19~40、41~56、57~70、 71~86、87~104 (6)
》
■(53) きょうのおふでさき 《十号1~18》
にほんにハはしらをたてた事ならば
やまずしなすによハりなきよに 十号11
かんろだいに ついての話題ということで、第九号の連続的内容になります。
天のあたゑは、真実の心を月日が見定めて渡すのである(1) が、ちょっとしたものではなく、天より深い思惑がある(2)と言 われる。とにかくからてんぢくまでも心をすまして天のあたゑを渡 す(3)。この心をどのようにしてすましていくかと言えば、月日 親神があっちこっちと飛び出てすます(4)。だんだんと月日親神 が心をすます相手(布教の相手)の体内へ入り込んで自由用自在を してかかる(5)と言われます。月日親神がそういう働きをしたな ら、いくらからだ、と言っても、にほんの(布教伝道に携わる)者 にこれは適うまい(6)。日々に見えてくることから得心をせよ、 何時どんな話を聞くやら知れない(7)。どのような話を聞いても それは月日親神が働かれて現される話(8)なのである。
これからはにほんの者はだんだんと月日親神が引き立てていくの でこれを見ていよ(9)。にほんの者には何もかもどのうようなこ ともすべて教えて、知らないことはないようにする(10)と言わ れています。
また、にほんにははしら、かんろだいを建てたならば(そこでお つとめをして)病まず死なず弱ることがないようになって (11)、にほんの治まりとなる。今まではからだと言って蔓延っ て世界を気儘にしていたが、それに対して今度かやしをする (12)。
この話は誰にどうせというのではなく、月日親神が飛び出てまま (自由)にするのである(13)。これまでも月日を知らん者はな いが、その本元(月日の真実)を知っている者はいない(14)の である。このたびはどのようなことも真実を言って聞かせてたすけ を急ぐのである(15)。この日柄いつのことかと言えば「田の修 理を終い次第に」(農作業が一段落したその時に)と言っておく (17)。それからは何かめずらしい道となって、おつとめによっ て日々心が勇むようになり、「何と大和はえらい豊年」であるとい うようになる(18)。
■ (54)きょうのおふでさき 《十号19~40》
だん/\と人ぢうそろふたそのゆへで
しんぢつをみてやくわりをする 十号38
これよりおつ とめについての説明である。
日々にはやくつとめを急き込めよ、どのような難儀なこと(災 難)も逃れることができる(19)。どれほど難しい病でもおつと めによってみなたすかるのである(20)。
つとめでもどういうおつとめをするのかといえば、かんろだいの おつとめである(21)。このだいがどういうことと思うか、これ はにほんのをやであるのだ(22)。これを誠真実に思うなら月日 親神がすべてを見分けして引き受けてどんな働きもする(23)。 月日親神が引き受けをするということは千に一つもちがうことがな いのである(24)。
この話どういうこととして聞いているのか。そもそもこのかんろ だいのつとめというのはちょっとした(規模の)ものではないので あって(25)三十六人の人数が必要なのである(26)。鳴物の 人衆も含めて十九人のつとめ人衆がほしいと言われます(27)。 そしてそれらの者は真実の心定めて思案をせよ、取次の人(にん) にはこのことをしっかりと頼みおくのである(28)。このだいを 拵えようと月日親神は人衆の模様(準備)をする(29)。つとめ の人衆が寄ってきたならば、かんろだいもできるのである (30)。この道は月日親神がおつとめの手を教えて(31)おい て、これをにほんのものに仕込んで、これを連れて世界中に出たな らばひとりでに、この道が出来てくるのである(32)。これさい かたしかに出来るようになったならば、月々のつとめ(おぢばで毎 月二十六日につとめられるおつとめ)も違うことがなくなるだろう (33)。おつとめを教えられた通りにまちがいなくつとめられる ようになったならば、天のあたゑも違う事がなくなる(34)。こ の道は誠真実むずかしい道であるから、みなよく思案せよ (35)。
このおつとめの人衆、どこにあるやら知らないであろう。月日親 神が見分けてぢばに引き寄せる(36)。どこの人でも月日親神が 自由用をして見せる(37)。だんだんと人衆が揃ったその上で、 それぞれの真実を見て役割をする(38)。すなわちその役割と は、かぐら十人と後へ鳴物である。これさえしっかりと揃ったなら ばどんなことでもできないことはない。おつとめ人衆は元初りの魂 のいんねんとの関連はあまり強調されていないと理解する。「真実 を見てそれぞれの役割を決定する」点に力点が移動していると思え ます。
■(55) きょうのおふでさき 《十号41~56》
このよふのぢいと天とハぢつのをや
それよりでけたにんけんである 十号54
ここか ら話題が転換されます。いわゆる救済史(親神が見ている世界史・救済 計画)的な話題になります。
きょうからは文句(話題)が変わる。いままでお前たちが知らなかっ たことばかりを言う(41)。今までもどのような教え(宗教)もある けれど、すべて月日親神が教えたものである(42)。月日親神が何も かもだんだんと教えてきたのである(43)。このたびはそれ故お前た ちが知らない真実をすべて言うて聞かせるのだ(44)。
これまでは、からはえらい者だと思って世に蔓延っているが、それと ても月日親神が裏から教えてきたものである(45)。このたびは月日 親神が元へと立ちかえって、その木の根(この道の根本)元を明らかに していく(46)。この真実の元を知っている者はどこの者でもさらに あるまい。にほんの者以外にはないだろう(47)。真実にこの元さえ しっかりと知っておればどこへ行っても自由自在に話ができる (48)。この話を取次に仕込みたいのだ(49)。
これについて月日親神が思うには、「にんんげんもと」を世界中に弘 めたい(50)のである。はやばやとこの真実を世界中に知らせて弘め たら神の話も伝わってわかるようになる(51)。どれほど話を説いて 聞かせてもこのもとを知らせて伝えておかねばその真実がわからない (52)。もとさえしっかりと言って伝えておけば、何を言ってもその 話を聞き分けられるであろう(53)。そのもとの話は、「この世の地 と天は実の親、それより出来た人間である」という話(54)(かしも の・かりものの話)である。
これからはからもにほんも知らないことばかりを言うから、しっかり と聞いて記憶してもらいたい(55)。どのようなこと、何を聞かれて も、それは知らないというようなことがないように、みな一れつ、にほ んの者全員に仕込みたいのである。
■(56)きょ うのおふでさき 《十号57~70》
このはなしなにをしこむとをもうかな
これからさきのよろづみちすじ 十号66
月日親 神の思いはどのようにして人々(「多くの人」と「一れつ」)に分から せていくのかを話されます。
日々に月日親神は多くの人の胸の内をわけたいとと思っておられ (56・57)、胸がわかること、それば月日親神の楽しみである (59)。そしてそれが世界一れつに及ぶようになったならば(60) 月日はそれよりだんだんと日々に心を勇めて、陽気づくめをみなに教え ていく(61)。まずはおやさまに寄り集う多くの人の胸の内をすます ことが必要になる(62)。そうなれば月日親神の心が勇み出てどんな ことでもみな教える(63)。どのようなことでも陽気ぐらしに暮らす ようになるその真実をみな世界一れつへ弘めたいのだ(64)。
月日親神は誠真実の心の者がほしい、そしてその者にどんなことでも 仕込みたいのである(65)。何を仕込むか、これから先のよろづ道 筋、どのようにして世界を勇ますか、その道筋を仕込むのである (66)。
きょうまでは何も見えてないが、その日が近づけばひとりでに物事が 成って来、見えるようになる(67)。どのようなことが現れてきても それをやまいとは思うな。現れてくることはすべて月日親神のていりで ある(68)。月日親神は日々に心を急き込んで、どのような模様をす るか知れない(69)。その急き込みはかんろだいを建てることばかり を急き込んでいるのである(70)。
■(57) きょうのおふでさき 《第十号71~86》
なに事もみなこのとふりはちめかけ
せかいぢううの心すまする 十号80
月日親 神は、世界中の心をすませてその世界たすけ(救済計画)を着実に、そ して身近なところから進められます。
日々に身の内にさわりがついたならば、これは月日親神のていり・お 手入れである(71)。それに気づくことが大切です。世界中を見澄ま せて月日親神の働きであることがわかるようにされる(72)。そのた め口で言うだけでなく、たしかな証拠を示そうとされる(73)。月日 親神が布教伝道に携わる者の体内に入り込んで自由自在に指図をする。 それが証拠なのだ(74)そのように今までどこにもないことばかりを 言っておいて始めかけるのである(75)。
今までもないことばかり言うのもこれも月日親神のみな教えである (76)。このたびのかんろだいというのもいままで知らないことであ る(77)。どのようなことを言うのもみな月日親神であって、知らな いことを教えたいのである(78)このやしきにかんろだいを据えるの は人間をはじめかけた証拠であることを示すためである(79)。つま りかんろだいを囲んでおつとめをしたらめずらしいたすけ現れることを 示して、誰の目にも見える証拠とするのである。なにごともこの道理に 従って、先に話を教えてその通りに月日親神が働かれて、世界中の心を すましていくのである(80)。
日々に何でも世界一れつを勇める模様ばかりする(81)。だんだん と世界の心が勇むならば、立毛(農作物)も勇んで豊作となる (82)。
世界を勇めるために月日親神は「にんそく」を連れて出るという話を されます(83)。にんそくは親神の手足となって働く人、人足で、月 日親神がそういう人材を連れて、世界に赴くと言われいるのです。人間 の元、世界の元を知らせるために働く人、手伝う人である。神の話がよ く分かっていて、おつとめにできる人材が人足と考えられます。
それまでに世界中のあちこちで神が不思議な働きをされるので、どの ような話も聞くことになるだろう(84)。どんな話を聞いてもそれは 先に月日親神から話をしてあったもので、先に言ったとおりの現れてく るので見て思案してみよと言われます(85)。月日親神は一体何を言 われるのかと思うであろうが、先の楽しみである(86)。
■(58)きょ うのおふでさき 《第十号87~104》
にほんにもこふきをたしかこしらへて
それひろめたらからハまゝなり 十号88
月日親 神は人足を連れて世界だすけに出るという話をされましたが、今後の遠 大な計画を「先の楽しみ」と言われ(86)、にほんにこふきを拵える 話をされます(87)。
「こふき」とは親神様の教えをまとめた、いわば「教えの大綱」で、2 つあると言われています。
(1)たすけ一条《つとめとさづけ》
(2)話一条《神様の話》
これを世界に広めてたすけをしていく、そうすれば「から」を 「まゝ」にするとの意向です。(88)この話は「みなのもの」(にほ んの者)はなんと思っているか。みな「わがこと」なのである (89)。上たるはそれを知らずに「むねがわからん」のが月日親神の 残念である。にほんにこふきが出来たならばそれはにほんの宝となるの である(91)。
一れつの心を定めて思案せよ。そして早くこふきが出来るのを待つよ うにせよ(92)と言われています。この号を執筆されているのは明治 8年ですから、まだまだこふきは完成していません。拵えているところ です。おつとめ完成への道はまだまだ先の話になります。その途上でこ ういう先の計画を話されその道を急がれているのです。
こふきが出来たならば、どのように難儀なことでも月日親神が世界に 弘める(93)。しかし月日がこふきを広めるといってもみな(にほん の者)の心は承知、納得できないだろう(94)。それ故に取次に頼ん でおくから承知せよ(95)の仰せです。その日柄はいつになるのか、 その刻限は、おつとめ完成の日(明治20年正月二十六日)であろう。 その刻限を迎えたならば月日親神は世界たすけのために世界中のどこへ でも行くことになるだろう(96)。それまでに日々に取次人はしっか りと心を静めて早くこふきを拵える作業に取り掛かってもらいたい (97)。
みなの者(にほんの者)は、この道はどういうことに思っているか、 一寸にわからない(98)。月日親神は真実の心でしっかりとこの道を 通り抜ける(99)。そしてこの道を上へ抜けたならば自由用自在の働 きをする(100)。月日親神がこの働きをしかけたら、いかほどの剛 的と言っても(101)、心から真実がわかりすみきったならば、どん なことでもをや(親神)にもたれる(102)。この先は世界中をどこ までも陽気づくめにしてかかる。(103)。だんだんとこの道筋が進 捗していくにつれてその様態はみな我がことと思って思案せよ (104)。
こふきによる世界だすけの道を人と神の協働で進めて行くという途轍 もない遠大な救済計画です。
この号は明治8年、教祖78歳執筆ですので、まだまだその道半ばと いうところですが、その道筋の容態は、「みなハが事とをもてしやん せ」(104)と結ばれています。
わたしは今年で74歳になりましたが、世間で話題の「終活」のよう な雑念に流されてはいけません。