
#1月4日(日)連載・わたしの神殿講話集 (15)

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この写真はHPを拵えた時に撮ったもので現状ではないのですが、外観は今も変わりありません(笑)。
http://sachihiro.com/kyokai/kyokai.htm
この連載記事(わたしの神殿講話集)は、2008年(平成20年)から2025年(令和6年)までの間に、主としてわたしの上級教会(狹山分教会)での神殿講話を集めたものです。内容はさまざまですが、そのときに感じた思いをテーマにして綴っています。(1)だけは熊野市にある紀熊野分教会の青年会総会での話で、他は30分前後ですが、これだけはその3倍(90分くらい)になっています。
全体の目次のようなものを最初に掲げておきます。毎月10日、そして20日前後に月2回くらいのペースで掲載していく予定です。(13)(14)ば重複しておりました。今回はその15回目となります。以後年1回になりますが、続くかも知れません。(笑)
目 次
(1)紀熊野分教会・青年会総会での話《2008年(平成20年)2月10日》
(2)狭山月次祭神殿講話《2009年(平成21年)4月16日》 成ってくる理を楽しむ
(3)狹山月次祭神殿講話《2010年(平成22年)7月16日》 癖、性分を取りなされや
(4)狹山月次祭神殿講話《平成27年(2013年)5月16日》 陽気ぐらしのキーワード
(5)狹山月次祭神殿講話《平成26(2014年)7月16日》 朝起き、正直、働き「みちのこの歌」
(6)狹山月次祭神殿講話《平成27年(2015年)6月16日》 「てびき」と「ためし」
(7)狹山月次祭神殿講話《平成28年(2016年)7月16日》 百十五才定命の話
(8)狹山月次祭神殿講話《平成29年(2017年)7月16日》 「成るよう行くよう」という話
(9)狭山月次祭神殿講話《令和元年(2019年)6月16日》 「種市」 種を蒔くのやで
(10)狹山月次祭神殿講話《令和2年(2020年)11月16日》 中河誌「思えば尊し」いんねんの話
(11)狹山月次祭神殿講話《令和3年(2021年)5月16日》 親神のたすけの計画
(12)狹山月次祭神殿講話《令和4年(2022年)11月16日》 いんねん納消の道
(13)狭山月次祭神殿講話《令和5年(2023年)7月16日》 ジェンダー・アイデ
ンティティの根本
(14)狭山月次祭神殿講話《令和6年(2024年)7月16日》お道と文学作品
(15)狭山月次祭神殿講話《令和7年(2025年)12月16日》倫理・道徳と手本雛形
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#わたしの神殿講話集 (15)
令和7年(2025年)12月16日

11月の朝の庭に風で揺れていた可憐な花、オシロイバナです。ニラと落ち葉の中に咲いているのでピンクの色彩が映えます。
#倫理・道徳と手本雛形(お道の信仰)の話
□はじめに
洋の東西をとわず、宗教の世界にはどこも教えの軸があります。
たとえば仏教なら戒律と真理。これは「してはいけないこと・戒律」を前面に出すところと、「行いよりも心」に重心を置いて教えをとく宗派があります。たとえば、タイやスリランカなど南伝仏教(昔、小乗仏教と言いました)と中国に伝わった北伝仏教(大乗仏教)ですね。
キリスト教でも律法と福音の2つが常に両翼として語られます。カトリックは前者(律法・戒律重視)、プロテスタントは後者(福音・信仰重視)とみられます。プロテスタントでも「福音と律法」は両方とも語られますが…)
日本は、仏教もあるし、中国で生まれた儒教の考え方もあります。儒教はどちらかというと一種倫理思想ですね。こうしなければなりません、と心より行いを規制する向きが強いです。
東洋でも西洋でも宗教に発した行動規範は、年々徐々に弱くなっていく傾向があります。日本はもともと行動の規範が備わった、秩序重視の国柄を維持してきましたが、明治時代になって欧米のキリスト教の考え方の波が寄せてきて、それに対抗するような形で、修身・日本の道徳を学校教育に取り入れたのでした。
以下は平成18(2006)年ににをいがけ用の広報誌の巻頭言として書いた原稿です。きょうはこれ(修身の話)を枕にして、神殿講話をはじめたいと思っています。20年くらい前に書いた話です。それを紹介します。その内容は今も真実、有効、変わりないものだと自負しております。以下はその記事の引用です。
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□日本の修身・道徳の教科書
《先日、テレビで二宮尊徳を扱った番組が放送されて話題になっています。昔の人はみんな知っていた偉人ですが、戦後の世代には忘れ去られた人物です。それが再度見直されているのです。》
歴史学者のアーノルド・トインビーは古代ローマ帝国の興亡を研究して、こう言っています。
「一つの国が滅びるのは、戦争によってではない。天変地異でもなければ、経済破綻によってでもない。国民の道徳心が失われた時にその国は滅びる」と。
この国の現状を見ると、トインビーのこの言葉が身にしみます。
ところで『修身の教科書』(サンマーク出版)、著者・小池松次さんが『WiLL』-2005年11月号に「石原慎太郎氏にまで批判された『修身の教科書』」を寄稿されています。その表題のコピーに「修身を広めないと日本は滅びる! 」と謳っています。
なんや今ごろ修身ってか。時代錯誤じゃないの? と呆れる方もおいでかも知れません。しかし、これが一時荒廃した欧米の社会の立替に大きな力を発揮したことを知れば、あながち時代遅れと言って見向かないのはどんなものでしょうね。
この本の著者・小池松次氏の言葉がネットでも紹介されています。
明治四十一年にロンドン大学で国際道徳教育会議が開かれました。そこに提出された日本の修身教育は各国の注目を集め、道徳教育の粋として絶賛されました。以来、多くの国が範を日本の修身教育に求め、修身を参考に道徳の教科書を編んでいるのです。このことは各国の道徳教科書を見れば、容易に跡づけることができます。そのことを知らないのは日本人だけです。
また、現代のアメリカも日本の修身教育から大いに学んでいます。
アメリカも学校に暴力がはびこり、学力が著しく低下し、麻薬さえ蔓延して、教育現場が荒廃した時期がありました。時の大統領・レーガンは日本に使節団を派遣し、その代表のベネットは『道徳読本』を書きました。それは三千万部という大ベストセラーになり、それを基盤にアメリカは再建に向かったのです。その『道徳読本』には、戦前の修身と国語の教科書からいい話を百話選んで編纂しています。昭和五十一年に小池氏が自費出版された『修身・日本と世界-今こそ日本も考えるとき』と中身がそっくりだったそうです。戦後、西ドイツのアデナウアー首相は日本の修身に学んだ道徳教育を推進して復興を果たしました。イギリスのサッチャー首相は道徳教育を強化する教育改革を行ってイギリスを蘇らせました。ロシアや中国でも国民教育に力を入れているのは、教科書を見れば明らかです。(伊勢雅臣「国際的評価の高かった日本の修身教育」)
修身の教科書は、昭和20年12月31日、占領軍が、廃棄処分だけじゃなくて回収命令を出して、日本中から無くしてしまいました。入手するのが不可能に近い状態だったそうです。国立国会図書館にもない! 小池さんは日本全国をまわって、昭和29年から30年の1年かけて、44種類の修身教科書を集めて昭和45年に『これが修身だ』を自費出版。それが元になって上梓されたのがこの本。内容は、短い偉人伝集です。
少年少女には、具体的な事例をあげて人間のあり方(偉人の生涯)を説いて聞かせたいですね。抽象的な話は、頭のいい子には理解できても、わたしのような凡才・愚才には話が実感として伝わってこないのです。
修身の教科書にあがっている事例は、だれでもわかる内容で、共感するところが多い。海外では高く評価されいるのに、国内注目されないのは「今ごろ修身ってか?」という偏見によるのでは…。
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「抽象的な話は、頭のいい子には理解できても、」「話が実感として伝わってこないのです。」という点は、修身の話が今も有効である理由になります。
□わたしたち信仰者の場面では
ちょっと話を翻ってわたしたち信仰者の場面に向けてみましょう。
たとえば、おやさまの話でも「教祖伝逸話篇」の話がこういう神殿講話みたいな場でよく引かれるのと一脈通じるように思えます。修身の話はもちろん倫理的な場面の話で、おやさまの話はいわばそれとはレベルが違う、宗教的な境地を語っているのですが、倫理の話の上に宗教的な世界を重ねたらけっこう高い意味の世界が広がると思うのですが如何でしょうか。
☆大教会十月大祭で、世話人の宮森先生がこんな話をされていました
「細い道は通りよい、往還は通り難くい。細道は心に掛けて通るから通れる、往還の道は通り難くい。」というおさしづがあります。日々信仰してる教会の御用してるというてもついつい往還になっていないかどうか、私たちはお道ではふしという言葉をよく使います。ふし(節)があった時は必死になるんです。ふしに直面したら、ああ、頑張らしてもらわなあかんなあと思うんでありますが、日々結構に通らせていただいていると、すなわち往還の道を通っていると通りにくい道になってくるのでありますから、どおか先人達の通ってくれた道を今一度心に思い起こして日々を通らせていただきましょう。
□徒然草の二題とカトリック修道の心得
吉田兼好「徒然草」の「高名の木登りと言ひし男」…高い所より低い所の方が危険だから気を抜かないよう注意を払わねばいけませんという教訓を語られていました。また
「京都仁和寺の僧侶が石清水八幡宮へ」詣でたときの話、導いてくれる人がいないと自分勝手な思いが生じて「勝手な思い込みはちょっと危険」大きな間違いに至ってしまう、という話。→教祖のお心に添えているかどうか。おやさまのひながたを見極めることが指摘されていました。
さらに宮森先生は、アフリカ・コンゴで出会った伝道師・神父の三つの信条を紹介されてました。「未婚」「清貧」「従順」です。
これはカトリックでは「修道誓願」と呼ばれるもので、修道を志す人々の基本信条のようです。カトリックでは「女性の神父」はいませんから、その神父さんは「未婚」と言ったのでしょう。本来は「貞潔」です。
この順番で語られています。
貞潔 - 結婚しないこと
清貧 - 私的財産を持たないこと
従順 - 上長の正当な命令への従順
カトリックではとくに修道の道の入口でこういう倫理が説かれているのです。ですから西欧社会では日本のような修身を教える必要がなかったとも言えるかも知れません。ところが最近は世界に与える教会の影響力が弱くなってきたので、上にあげた日本の「修身の教科書」が話題に上ることになったのでしょうね。
いずれにせよ、キリスト教、就中カトリックなどでは倫理・道徳が教えの条項が頑として掲げられているのです。
お道ではこうした点が余り語られません。修身教育があったからそういう倫理・道徳の話を説く必要性がなかったとも見ることもできるかも知れません。
以前本居宣長の話をしたとき、「今日の日本に今いちばん取り戻したいのは、この「清く明く直き心」だと思います。」と書きました。これなども一種の人間の倫理をうったえているもので、宗教のレベルに引き上げる要素を含んでは居ますが、人間の行動規制のようにも受け取れます。
□教祖伝逸話篇の話
そういった倫理の話を語られているおやさまの逸話篇はそれほど多くありませんが、無いことはない。以下ピックアップしてみました。
三九 もっと結構
明治七年のこと。西浦弥平の長男楢蔵(註、当時二才)が、ジフテリアに
かかり、医者も匙を投げて、もう駄目だ、と言うている時に、同村の
村田幸四郎の母こよから、にをいがかかった。
お屋敷へお願いしたところ、早速、お屋敷から仲田儀三郎が、おた
すけに来てくれ、ふしぎなたすけを頂いた。
弥平は、早速、楢蔵をつれてお礼詣りをし、その後、熱心に信心を
つづけていた。
ある日のこと、お屋敷からもどって、夜遅く就寝したところ、夜中
に、床下でコトコトと音がする。「これは怪しい。」 と思って、そっと
起きてのぞいてみると、一人の男が、「アッ」と言って、闇の中へ逃げ
てしまった。後には、大切な品々を包んだ大風呂敷が残っていた。
弥平は、大層喜んで、その翌朝早速、お詣りして、「お蔭で、結講で
ございました。」 と、教祖に心からお礼申し上げた。すると、教祖は、
「ほしい人にもろてもろたら、もっと結構やないか。」
と、仰せになった。弥平は、そのお言葉に深い感銘を覚えた、という。
七八 長者屋敷
教祖が、桝井キクにお聞かせ下されたお話に、
「お屋敷に居る者は、よいもの食べたい、よいもの着たい、よい家
に住みたい、と思うたら、居られん屋敷やで。
よいもの食べたい、よいもの着たい、よい家に住みたい、とさえ
思わなかったら、何不自由ない屋敷やで。これが、世界の長者屋敷
やで。」
と。
一〇三 間違いのないように
明治十五年七月、大阪在住の小松駒吉は、導いてもらった泉田藤吉
に連れられて、お礼詣りに、初めておぢばへ帰らせて頂いた。コレラ
の身上をお救け頂いて入信してから、間のない頃である。
教祖にお目通りさせて頂くと、教祖は、お手ずからお守りを下され、
続いて、次の如く有難いお言葉を下された。
「大阪のような繁華な所から、よう、このような草深い所へ来られ
た。年は十八、未だ若い。間違いのないように通りなさい。間違い
さえなければ、末は何程結構になるや知れないで。」
と。駒吉は、このお言葉を自分の一生の守り言葉として、しっかり守
って通ったのである。
一一四 よう苦労して来た
泉田藤吉は、ある時、十三峠で、三人の追剥に出会うた。その時、
頭にひらめいたのは、かねてからお仕込み頂いているかしもの・かり
ものの理であった。それで、言われるままに、羽織も着物も皆脱いで、
財布までその上に載せて、大地に正座して、「どうぞ、お持ちかえり下
さい。」と言って、頭を上げると、三人の追剥は、影も形もない。
余りの素直さに、薄気味悪くなって、一物も取らずに行き過ぎてし
もうたのであった。そこで、泉田は、又、着物を着て、おぢばへ到着
し、教祖にお目通りすると、教祖は、
「よう苦労して来た。内々折り合うたから、あしきはらひのさづけ
を渡す。受け取れ。」
と、仰せになって、結構なさづけの理をお渡し下された。
逸話篇の話と倫理の話を比較してみましょう。
倫理→宗教の世界=(表現) 「もの」と「こころ」 もの(形)+こころ(信仰)
盗人に入った人を哀れみずに「いっそのこと全部持って行ってもらったらもっと結構やないか」と仰せになっています。倫理道徳を越えたところ(信仰の醍醐味)に意識を高めるよう促されています。
倫理→宗教へ意識を高めることと、逆に日頃の行いをより底の方へ深めた身の処し方も具体的に説かれています。
その例を別席のやっつのほこりの説明から読み解きます。
□別席の話・八つのほこり
別席でくり返し語られる八つのほこりは何回も聞かせて頂くのですが、「親神様の思召にそわぬような気随気儘な心を遣いますれば、我と我がでに悩まねばならん、苦しまねばならんようになるのが天理。それがわかり親神様の教を定木として早や目に間違った心遣いを改めれば、心は鮮かとなり身はすきやかと治まるのであります。」(別席の話)
教えて頂く「八つのほこり」は、人間の心づかいを説かれたもので、行いを規制するものではありません。
人の在り方を、心と口と行いの三位一体としてとらえる考え方は天理教の専売特許と考えてもいいでしょう。口で言葉にして言うこと、身を以てそれを表現すること・実行することは倫理の範疇に属するでしょう。いずれも目に見えるものです。
とはいえ、別席のお話で八つのほこりを語られた後に、「銘々の心のほこりを拂い、すっきり掃除をして真実誠の心となり、ほんに身はかりものであると十分に心に定め」と念を押されて、さらに日常の具体的な身の処し方、とくに家庭内での倫理の話を次のように付け加えられている点は見逃せません。前述しました修身のような話が加えられているのです。宮森先生の話のポイントは神様の話も「勝手な悟りをしたらあかん」ということでした。こんな話が後に付け加わえて、念を入れられています。非常に大切な点だと思うのであります。
これから先は人のものをほしいと思うたり、羨しいと思うてはなりません。身も心もよく働いておしむ心は出さんよう、腹は立てんよう、よくはせんよう、かくしつゝみはせぬよう、女に迷わんよう男に狂わんよう、大酒はのまんよう、よくとこうまん出さんよう、うそとついしょうは言わんよう、心の慎み身の慎みが誠、内々は親の心に背かぬよう、十分にたんのうをして孝心を尽し、兄を敬い弟を慈しみ、夫婦は仲よくし、目下にはよく心を用いて憐れみ、子供には善き事教え、悪しきことは誡め、世界中一れつは兄弟でありますから、互い互いの中睦まじく、上を敬い下を憐れみて互い立て合い、何事をするにも心を打解けて、身びいき身勝手はださぬよう、あそこの内々は、ほんになあ睦まじいなあ、と言われるようになって下されませ。
□おわりに―おかきさげの話《手本・雛形鏡という理》
《おさしづの「手本」》用例は以下の4件あります。最初の2件だけ本文の一部分を抽出しました。
$220204B
◎明治二十二年二月四日
平野甚太郎二十八才(阿波国板野郡矢上村周旋方)
内々の家業という道、孝心の道の理、この二つの理
を誠の心常々治めて、又一ついか程若き者やとて、誠治まれば、国々所々の手本雛
形鏡という理、さあ/\いつまでも/\/\忘れんようにして、しいかりと胸に治
めて、これよりいつ/\までもの、末々のこうのうの理を渡し置こ。
#200721
◎明治二十年陰暦五月 午前八時
梅谷たね歯痛の願
どのような道も皆々五十年の間の道を手本にしてくれねばならんで。
今の難儀は末の楽しみやで。その心で、心を定めてくれねばならん。
<以下本文略>
#230707A
明治二十三年七月七日 午前三時
本席腹痛に付願
#271113B
明治二十七年十一月十三日 午後五時
刻限御話
《ここで全体のまとめが入るのですが、時間制限でアウト》となりました(笑)
いよいよおやさま百四十年祭が1ヶ月後に迫ってきました。
別席の話・八つのほこりの最後の所で諭されていた「世界から見ても、成程感心な家やなあ、と言えば、内々も嬉しければ、親神様も喜んで御守護下されます。」と言われている点を確認しつつ、「晩節を汚す」ことなく年祭に向けて最後の磨きをかけたいものです。その上から倫理の力を見直したらどうですか、という提言をしてみたかったのであります。
ご静聴、ありがとうございました。
■きょうの自炊本
きょうの自炊本はありません。それに代えてキンドル本です。
[石井 清純] 構築された仏教思想 道元 仏であるがゆえに坐す(佼成出版社・令和4年刊).epub

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☆きょうの誕生日の花と花ことば(NHKラジオ深夜便)は、「オトメコザクラ(プリムラ・マラコイデス)」「少年時代の希望 初恋」です。
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