意識の違い(地域間・世代間) | 穏やかで平穏な日常

穏やかで平穏な日常

 目を閉じて深呼吸



 立ち止まって力を抜いて一服



 セコセコギスギスしないで



 ゆったり落ち着いて穏やかに



・・・・そんな生き方を。


考え方や感じ方、感性、性格などは人それぞれだ。

どれが正しく、どれが悪いという事は無い。


一般的に、常識という曖昧な範囲を超えるか、

法律という決め事をやぶった事が悪い事とされている。


しかし、基本的に誰がどう考えようと自由だ。



正しい考え方は、人それぞれ違う。

正しい基準も人それぞれだろう。


自由なハズだ。


でも、世の中にはその自由が解らない人がいる。


自分の中で、自分だけで完結するような事なら問題はない。

他人を巻き込まなければ、自分の中の事さえ完結しない

ような場合がある。

そういう人は、他人を巻き込んでいる事に気付かない。

自分の満足を完結させる事に全力をつくす。


それは、子供の為、部下の為、大切な人の為・・・

本人の為を思って・・・・・

教育やシツケの場合も所詮自己を満足させる事が

目的となっているが、それには気付かない。


そういう人は本当にタチが悪い。

そういう人に捕まったら本当にしつこい。

そういう人と上手に付き合えないなら逃げるべきだ。


そういう人は、自分の中の価値観を絶対的な正義としか

考えられない。

そういう人は、相手に依存しているだけなのだ。

自分の絶対的な正義が世間の常識だと信じている。

それを、教育・シツケという形で目下の者に押し付ける。

ターゲットを自分の価値観に染める事で、自己の欲求を

完結しようとしているだけなのだ。


しかし本人にとっては、常識の教育・シツケをしている

当然の行為、正義の行為なのだ。

相手を自分の正義に染める事で満足を得る、相手に

依存し続けるのだ。

本人は絶対に、それに気付かない。

教えても気付かない。


それを、しつこく指摘しつづけると、逆に攻撃をうける事も

あるだろう。発狂しヒステリックを起こす事もあるだろう。

自分の絶対的な正義が、理不尽に否定されたのだから。



相手にとっては迷惑というより、被害を被っているだけだ。




しかし、世間の常識はシツケとして教えなくてならない。

それは解る。

最低限のシツケが必要なのは誰でも理解できるだろう。

その最低限の線引きはどこでするか?


法律関係のように文書で基準が明記されている訳もない。


地域でも違う、世代でも違う、家族単位でも違う、個人で違う。



解決策は・・・解らない。