朝、玄関でピンポーンが鳴った。集金だろうと思いつつドアを開けたら、AD君がいた。 「アノー、本日は、これを持って来ました。アノー、もしご迷惑でなかったら、どちらか1枚を、峠工房にかざってもらいたいと思いまして」と差し出したのは、カレンダーの台紙にはられた2点の版画。両方とも同じ絵だが、着色してあるのと、1色のと。すばらしい出来栄えで展覧会に来てくれたS先生の指導によるものと思われる。もちろん題材は、彼の大好きな、と言おうか、こだわっている、と言おうか、オタッキーと言うか・・・・・・列車。秋に家族でまるで罰ゲームのような列車乗り継ぎ旅行をして、伊勢まで行った時の印象だろうが、あこがれの「カーブをグーッと曲がってきたところ」を描いている。 S先生の指導、すばらしい。 「エー、2枚とももらっちゃいけないの?2枚ともすごくいいもん」と、からかったら、「やっぱりアノー、やっぱり家にも1枚かざりたいのでー」とあわてていた。1色の方を選びさっそく2階教室(集会室)へ行って、見ている前で飾った。 「峠工房の版画の先生の高橋さんは、これを見てくれるでしょうか」 「見てもらいたい?」 「見てもらえたらうれしいと思って。何か言ってくれるでしょうか。」 何て、かわいいこと言うんだろうと思う。言ってくれるとも! 今日は、顔つきも元気そうで落ち着いていた。実は、彼は12月のはじめに交流級の授業で問題行動をやらかして(しかも連続2日)先生にも親にも叱られて、ここへ話に来た時は、ものすごくケンアクだった。人を恨み周囲を恨み、他者に攻撃的で、とてもつらそうだった。 彼のように、高い知的能力を持ちながら、社会性のバランスを大きく欠いているタイプの子は、往々にして、その知能の高さ故に、すべてに「出来る」との誤った評価を受けやすい。自身の言葉と表現で、知識や体験・考えを語ることがうまくいかなくても、妙にその場面に合った言い回しをしたり、豊富な(かたよってはいるが)情報量を披露することで、誤解されてしまうのだ。でも実際には納得いくように理解できていないことが多く、自分のこともうまく語れないから、ストレスが積み重なってしまう。ひとりごとも多いし、同じことを何回もくり返してうるさいほどだ。 時間と手間をかけて、じっくり向き合えば、持てる力を発揮できるのに、すばらしい力を持っているのに、と考えていたが、今回、S先生は、彼のその力を充分に引っ張り出してくれた。 それがすごくうれしいし、峠工房にかざるほうにと持たせてくれた親の気持ちも嬉しい。