2019.1.1(火)

 昨年12月30日(おとといじゃん)、どうしても訪問しなければならない所2ヶ所廻って帰ったら、もう何もする気がなくなった。

 正月?おおみそか?もち?……あー、もういい!

掃除なんてとんでもない。

 デレデレにだらけたまま、早寝遅起きで、めでたく?正月となった。

 当方、全く手がつけられなかった年賀状。

かなりたくさんいただいた。

皆様申し訳ありません。

さっちゃん先生の絵はがきを使ったり、お返事書いたものの、切手の買い置きもないありさま。

 でも、読ませていただくと、ありがたい、うれしい、元気でる。

なにか人なみに、今年はがんばろう、なんて思った。

 

 あっ、そうそう、今年は創立50周年なのです!!

これって、何か目に見えない大きな力が守っていてくれたような出来事であり、応援してくれたかたがたと、ここで大きく羽ばたいたみんなの贈りもののように思える。

 「園長のブログ楽しみにしています」と書いてくれた人もいてびっくり。

こんな駄文をほめてくださった。

単純だから、そーか!がんばろう、なんてね。

2018.12.27(木)

テーマ:

 学校は冬休みに入っている。

毎日弁当持って、誰かがやって来る。

やはり、今一番なんとなしなけりゃならないのは、受験生2人の面接用シート。

 Dくんのはなんとかなった。

担任の先生が親切でというか、受験指導に慣れているからかもしれないのだが、彼の良い所を相手(高校側)にわかってもらいたいという気持ちが伝わってくる指導がうれしい。

通常急に在籍しているからあたりまえといえばそれまでだが、彼の学力の低さや土台の弱さを理解して、よくある小難しい作文に、無理に仕立てようというところがない。

でも彼をよく理解してくれていると感じられる。

 モンダイなのは、E君。

「オマエ、ひょっとして担任に嫌われてるんじゃない?」と言ってしまうほど、ちゃんとした指導をしてもらえていない。

 峠で、いろいろ話し合い、彼の意見や考えを聞いて文を作り、書き直し、と努力した。

彼の一番わかってもらいたい部分は、小学校・中学校とも個別支援級で、外野から観察すれば、決して「ていねい」で「個別の特性に応じた」教育を受けられたとは思えないにもかかわらず、自分から普通高校の定時制を受けたいと希望したことと、私たちは受けとめている。

実際、昨年秋以降の成長はまざましく、峠で作文教育をして、こんなに変容を遂げた子は今までいない。

いかに、伸ばされ損ねていたか、だ。

 だが、そこをうまく書かないと、小・中学の悪口と取られかねないから、言い回しに工夫をし、ここは省いた方がいいと判断したり、仕上げて提出した。

だが担任の先生は気に入らなかったようで「いいとは思うけど高校へ出せるようなものじゃない」と、よくわからない否定をし、書き直すように言われたそうだ。

もっとも、まだ清書する段階まで学校としては進めていないらしい。

彼の話ではよくわからない。

 E君は、どうでもいいようなことはペラペラとよく喋るが改善されて来たとはいえ、先生に疑問をぶつけるとか、わからない部分をくわしく聞くなどは、まだ苦手だ。

だから私たちも、ぜんぜんわからない。

 ダメならダメで、どうしてダメなのか説明してもらわなければわからないし、どこをどう直したらいいのか指導してもらわなければ改められない。

 

 彼は、そのことにつては特に何も言われていないと言うので、それを信用して、ダメと言われたものをベースに少し直したり、加えたりして仕上げよう、と言う事にした。

 新学期になって提出しえ、また否定されたら、先生に「僕は、これでいいです」ときっぱりと言えるか?には、できます、やれます、との答だったので彼にがんばらせるつもり。

2018.12.23(日)

 新聞の一面に、天皇誕生日の会見のニュースが載っていた。

内容の最後の方、妻に対する率直で心のこもった言葉にジーンとした。

そうだよね、2人3脚だからこそ出来た、やって来られたと日々思っていたことをみんなの前に、ズバーッと打ちあけた。

いいな、すてきだなと思った。

 

 もうずい分前にあんるが、神奈川県で「ゆたかな海づくり」大会が開催されたことがあり、その折に市内(もしかしたら県内)の小中学生から海の絵を募集し。

 当時、生活塾に来ていたダイムくんは、潮干狩りの絵を描いて、担任の先生が美術の先生だったので、作品を応募してくれた。

なんと、入選したのだ!

 入選した小中生は式典に招待され、彼もそのひとり。

朝早くからお父さんにつきそわれて出かけた。

 テレビでも放映されるような所へ、選ばれて出席した彼、うれしくて、自慢で、次の日曜に式典で配られたパンフレット持ってやって来た。

 「天皇の入場はイフウドウドウでご入場で、○○で、△△で」と式典そのままを延々と再現してご満悦。

 

 ネエ、なま天皇ってどんなだった、と問いかけたら、それまで「横須賀の海で育ったわかめのおみそ汁」などと、会場アナウンスそのままにうっとりしていたのが、急に黙り込んだ。

しばらく考えた後、「……テレビで見るよりもずっとトシをとっていて、かみの毛もまっ白で……ああいう人は……ああいう人は、長生きしてもらいたいなと思った。」

 彼はアナウンスそのままでもなく、読んだそのままでもない、まさに「自分の言葉」で、天皇の印象を語ったのだ。

それも大切に思う気持ちがこもっていた。

表現も未熟で、それも言葉数も少なく、痛切な使い方もできない彼が、今できる精一杯の表現で語ったのだ。

すごいな、彼なりに何かを強く感じたのだ、と私たちも感動した。

 「今のダイムくんの言葉を聞いたら、きっと天皇さんはうれしいと思うよ」と言ったら、「そうかなぁ……本当かなぁ……うれしいなあ」と、またまたうっとりしていたっけ。

2018.12.17(月)

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 峠工房には、来年航行受験の者が2人いる。

2人とも支援校ではないところを目指している。

 Dくんは、小学校は個別支援級だったが、卒業式の日に、「僕には友達がいないんだ」と、今まで全く苦にしていなかったことに気がついて、自分から中学校は通常級で学びたいと思い立った。

お母さんの奮闘努力が実って、1年政治は個別支援級に籍を置いて、通常級で学ぶお試し期間としてもらい2、3年は普通に通常級で学んで来た。

 ものづくり、特に木工が大好きな彼、恋してるんじゃ?とからかわれるぐら木工教育に熱心な県立の工業高校建築科に進学したい。

あこがれと、熱意と、こだわり。

 小6年間個別級だったから、土台が軟弱だし、と癖として、文章理解が苦手、自分勝手に思い込んだ部分にフォーカスすると言う弱点もあるが、受かってもらいたい、多分受かるんじゃないか、と期待を込めて思っている。

かぎは面接の出来にある。

 

 モンダイはE君だ。

小、中と9年間個別支援級。

 小学校高学年、中1あたりまで、問題児扱いされていた。

私たちから見れば、彼に合った支援がされて来なかったせいだと判断できる。

 社会性もせまく、コミュニケーション能力がありそうに見えるが実は、数種類の言葉を場面に応じて発したり、「ヘエー、そうなの」「わかんない」「忘れた」で逃げる。

自他が未分化で、現実には自分が意地悪されてるのにみんなが笑ってるから自分も楽しいと思い込む。

さそいに来るから友だちだ、友だちだから、何でも言うことを聞く。

感情も未分化だから悲しくて泣いた事は無いと言う、

 本当にもったいなくてなんとかしんかや、と悩んだ。

 で、去年の夏以降、作文指導で追い立てた。

言葉を知る、自分で考える、表現する、興味の幅を広げる……何度も話し合い、書き直しを重ねるうちに変わってきた。

その成長ぶりには目を見張った。

今までの中学校生活を振り返って原稿用紙11枚の対策を仕上げた。

そして、彼はもっと勉強したいと思うようになり峠には定時制高校2年生の先輩がいるので、自分も家の近くにある高校の定時制を受けたいと希望した、というわけ。

 

 だから、彼の学習の土台は、超軟弱地盤で、液状化現象まで心配するほど。

でも、「理科とか社会もやってみたい」「しょうらいやりたいことが見つかるかもしれない」なんていわれると、全力支援しないわけにはいかない。

 個別支援級から普通校を受ける場合、いわゆる内申が出ないので、入試と面接が鍵となる。

入試はボロボロだろうから面接でなんとかしなければならない。

面接指導、がんばるぞー!!

2018.12.13(木)

 ぎゅうぎゅう詰で息苦しいようだった11月が終わり今日はもう私の誕生日だ。

 このトシになると、誕生日だからって特別な感慨もないのだが、娘が晩ごはんにお寿司を買って来てくれた。

ヤッタネ!!バンザイ!!

 トシとったなーと実感するのは、まず第1に仕事が遅くなったこと。

予定だけは考えても全部終わることがほとんどなくなった。

 友人に勤勉さを語る人がいて、「寸暇を惜しんで練習して、ブラインドタッチが出来るようになった」とか、「寸暇を惜しんで○○を縫い上げた」などとよく言っていたが、もともと私は寸暇をムダ使いしていると自認している。

その辺が悪化したようだ。

要するに怠けたい?

 第2に、いつも眠い。

晩ごはん食べ終わると、寝よっかなーという気分。

で、早寝、遅起の日々。

周囲の同年輩のかたの「トシとると眠れなくてねー」との、おとなの嘆きをカンシンして聞きつつ、日々眠りを貪っている。

 子どもの頃親から、「おまえは夜中に殺されても気がつかないで起きてくるんじゃないか」と笑われたことがある。

きっと、今でもそうなのだ。

不死身!!

2018.11.13(火)

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 「突撃アポなし隊」にやられた。

この家族は、どうしてアポなし状態で来るのだろう?たしかに、11日におネエちゃんが来た時、「13日に高校の願書をもらいに行くので、その時寄ると言ってました」とは聞いていた。

あーそうなの?近くまで来るから立ち寄ることね。

 ご本人たちは、そういう気持ちだったかもしれないが、実質は相談だと私は受け止めた。

なのに、それらの話を一番最後に持ってきて、「どうしたらいいかと思って。」と言われても困る。

 

 まず、中学進学してからの今までの3年近く、3~4回しか顔を出していない。

もちろん、会報も送ってるし、交流会やらその他のイベントのお知らせも送っている。

音沙汰なし。

11日の交流会だって、おネエちゃん連絡なしで来たのだ。

 

 学校でのことなのに、最近のM君の様子などわからないし、目の前にいる彼があきらかに劣化していて、会話も親じゃない人とちゃんとできず、言いたいことがありそうなのに言えない。

 今回困っている問題が、対学校のことなのに、私たちはこの中学となんの連絡も取れていない。

M君が進学する前に連絡の手紙をやりとりした校長先生は、M君が入学した4月に退職しているし。

当時の個別級の先生が、今も居るのかも知らない。

 そして、困りごとの内容は今日初めて親から聞いた。

もめごとの双方の話もわからず、学校の教育方針もわからない状態で、解決に向けた助言などでるはずがない。

そんな無責任なことできない。

 

 まず、学校としての個別支援級の教育方針を、しっかり確認するのが一番大切で(今頃遅いと思うけどネー)、何をどう改善してもらいたいのか話し合うことになるんじゃないの、とすすめた。

あと数ヶ月で卒業なのに、今「行くのヤダ」ということになったら、希望する支援高校のことだって、どうなるかわからない。

 M君には、高校へ行くようになったら、近いのだから峠工房の放課後等デイサービスにおいで、と言っといた。

せっかく、ひとりで交通機関を使って峠に来れるように訓練したのに、どうして来させなかったのだろう。

不思議だ。

 

 

 困ったときの峠だのみは、歓迎だが「困った時だけ」では私たちも困る。

また、知らないかもしれないが峠の人はとても忙しく、時間をとってゆっくり話し合うには、どうしても事前の連絡と約束が必要。

これ、私たしては普通のジョーシキと思えるのだけど……?

2018.11.11(日)

 4ヶ月ぶりの交流会だった。

 今年は、春先からハードで疲れがたまって2階はアブナイ状況まで行ってしまい、それをずるずるひきずってここまで来たなァと言う感じ。

10月は創立記念日だけど何もできず、1ヶ月遅れで、「午後のお茶会」と称して実施にこぎつけた。

 

 内容的には、最近自炊の練習をたきつけているB君を料理長として、「ウラ技ドーナツ」「いんちきだし巻卵」「春雨サラダ学校給食風」など献立を考えたが、彼が当日都合が悪くなって、スゴ腕披露というわけにはいかなかったのが残念。

でもリクエストの餅は焼いた。

 久しぶりだったので、参加者一同盛り上がって、話ははずみ流れは止まらず。

一応4時ぐらいまでかな?と思っていたのだが。

 このあと、峠はかなり詰まった予定が続いていて、余裕がないし、忘年会もクリスマス会(と称する集まり))も、新年会も、例年やらない。

みんななにか物足りなそうだったが、今回は受験生も2人いるし、さらに味気ない年末年始になるかもしれない。

3月の「こころの新年会」が待ち遠しいかな?

 

 今回、あまり宣伝しなかったとは言え、お知らせはかなり郵送した。

相談会などで出会った人たちは当然来ないだろうと思っていたが、こんなことをやってますよと知らせておけば、もしかしたら頭のかたすみにとどめて置く人もいるかもしれないから。

 

 そして内容的には、「進路について」と「依存症」の話をする予告していたので、(あまりしゃべらせてもらえなかったけど)いつものメンバーが、かえって良かったけど、何の前触れもなく来たひとりには驚いた。

不登校で小6の後半を峠に通い、無事中学へ進学したMくんのおネエちゃん。

なにか、気まずそうに「連絡もしないで来てスミマセン」と言っていたがすごく久しぶりだし、皆顔見知りだから、綿も含めて会えて(来てくれて)うれしかった。

「13日にH高へ願書をもらいに来るので、その時に寄りたいと母が言ってました」と言ってたから、Mは元気で通学しているらしい。

 

 なお、今日参加の人たちからブログ楽しみにしている。

「あっ、ウチの子だ」とか、「○○くんね、またァ?」とか、面白いもん、と言ってくれるので保護者に配るトクメイ表を作った。

指摘されたのはイニシャルだと特定しやすい。

単なるA,B,C(少年Aって言うアレですね)であればOKだろうという事だったので、峠と保護者ノヒミツ!みんなのトクメイ表。

2018.11.9(金)

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 このブログとも言えない不定期駄文が、峠へ通所している子のことを書いているので、マズイんじゃないかとの指摘を受けた。

たしかに、意識して、子どものことを含めて峠の日常が伝わるように書いている。

 

 もともとは「忘れん坊のメモ帳」の表題で、峠園長のゆるくてぬるい日常の不定期便りとして、2005年4月から始めたもの。

極力仕事のことは避けて、私的なことや思い出話、時事ねた、身の回りのことなど、雑多な内容だった。

 そんな中に、うれしい出来事やゆかいな事件、こんな風に成長したよ、こうしたらすごく良い結果が出たなど、もったいないので、おすそ分けするような気分で書いていた。

そしたら「とても参考になった」とか、「同じようにしてみたら良い結果が」なんて、チラホラ寄せられるようになり、方向性を少し変えたら、誰かの役に立つかもしれない、の期待で峠の日常ネタを増やしてきた。

 今現在、振り分けられていなくても、親の勘で、「なんかヘン。でもよくわからない」悩みをかかえている人の目に止まることもあるだろうし……なんていう思いもあった。

 始めたのが、今から13年も前で、法律からも見放された(自分では法のはるか前を歩いていると力説してたが)、どこのウマノホネともわからぬ個人が勝手にやっている所の頃は、問題なかったのだろうが、放課後等デイサービスなんてェものに参入しちゃった今は、そうもいかないのだろうと思う。

 

 と言うわけで、再度方向転換して、初心に戻り、私的なことや、私的な意見や、私的ないろんなことに立ち戻ることにした。

 でも、峠工房を49年もやって来たのは私だたか、まったくふれない、関係ないわけには行かないと思うけど……。

とりあえずは、少し趣を変える方向で努力するつもり。

2018.8.25(土)

 ことしのキャンプは楽勝だ、気が楽だなんて言ったのは誰だ?われながら目論見違いだったと思う。

 

 少人数とは言え、中学生全員不参加。

おまけに、自由研究の宿題が終わらないA君が、とうとう宿題持ち込み。

まー、それはそれで本人がぐずぐずしていてのことだから、みんなが川で遊んでいる時間に、私がつき合ってたればすむことだから、かまわないと思っていた。

 せめて外料理の時間は、一緒に楽しくやらせてあげたいと、「ナサケ」をかけたのがいけなかった。

またまた、些細な、どうってことないようなことにひっかかって、いつもの「だんまりゾンビ立ち」に陥った。

何が原因で、どうしたのか、皆わからない。

ちょいちょい声をかけてはいるが、自分の仕事に忙しかったり、目の前の焼肉や焼きそばが気になって、どうしてもそっちが先だ。

 

 子ども達は毎度のことで、慣れているから「あーあ、また?」なのだが、1年に1~2回しか顔を合わせないハイキング隊長は、やきもき、はらはら……、するだけならいいが、口出しをする。

がまんできないのだ。

そこが彼の優しさであり、気持ちはわかるが、それがA君のプラスになっていないことがわからんのだ。

あれこれ説明してあげるのだが、口出し、熱弁をがまんできない。

 

 ムリもないな。

ハイキング隊長とのつきあいも、彼が5年生の時からだから。

その彼が、呆然としたのが2日目朝のこと。

皆が朝食のしたくをしているのに、ボーッとつっ立っているA君に声かけ。

「ほら、いっしょにやんなきゃだめだろ。」

まってましたとばかりに「まつもと先生、僕は何をやればいいですか」

 「顔、洗ったの?」「まだです」「じゃ、そっちが先だな。顔洗って来なよ」「ハイ」

 

 数分後、「顔洗ってきました。」

見ればわかる、洗ってない。

洗ってないでしょ、とは言わずに「何で顔ふいたの?」 手に何も持ってないし、ポケットにハンカチも入ってない。

しばらくもぞもぞとポケットをいじっていたが、「ふくの忘れました」とヌケヌケと言った。

その時、彼の後ろに立っていた隊長の顔ったら!!

ようやくA君の問題点の0.1パーセントぐらいが、わかったようだった。

 

 「かばってやり、手助けしてやり、言い聞かせるばかりが支援・指導じゃないんだよ。事と次第によっては、とことん相手と向き合い、このことに関しては一歩もゆずらないよ、ということを示さなければならないこともある。隊長は、ビールのみながら、自分の思いのたけ、気持ちをA君に熱くぶつけて、あげくの果てに酔っぱらって先に寝ちゃったけど、私は12時までアイツにつきあったよ。」ということだ!!

 

 優しさも、思いやりも大切だ。

でも私たちは仕事の場だから、そこにおぼれてばかりはいられない。

というわけで疲れたのは理由(ワケ)があり……です。

2018.8.21(火)

 あっというまに、キャンプの日が迫ってきた。

 日にちを変えて、ゆるキャンプに決め手かずい分気楽になっていたが、こうも忙しいと少焦る。

 

 21日は、キャンプの準備をするから休みだよ、としつこく言った。

でないと誰か来てしまうから。

 

 今回は、「たまには、のんびりしよう」がキャッチフレーズだから、出発も遅いし、昼は弁当持参でハイキングも行かない。

外料理は、どんぐり山荘の庭で、1日目の夜だから、楽勝、らくしょう、宴会も楽しめるぞ、というわけ。

私たちも少しは骨休めできるかも……。

 

 残念なのは、どんぐり山荘さんで運営していたレストハウスが3月いっぱいで閉じられたこと。

多分、県との契約が切れたのだと思うがずい分助かっていた。

3月で終わりときいていたので、では最後ぐらい、と冬キャンプ2日目昼食をレストハウスにお願いした。

 長いおつきあいなので、無理を言って、いつもキャンプ1日目夜、店をしめたあと、特別に貸切で子ども達のおみやげ選びタイムも、こころよく了承してもらっていた。

今年は、みんなおみやげ買えないのが、さびしいと思う。