2018.3.11(日)

 2018年ですよ。

しかも、3月、それももう10日もすぎた!!

1月、2月はどこへ行ったの?……という感じ。

 

 どうしてこんなに時の過ぎるのが加速したのか?

以前、なんでもすぐ信じる保護者に「地球温暖化で、自転が速まっているんだって」と、真顔で言ったら本気にされたことがあったけど、今はその心境。

 

 とりあえず、3月25日の交流会「こころの新年会」のお知らせを出したりして、準備をしている。

 

 役、この1年、頭で思い描いていることと現実のギャップがありすぎて、「わたしは何をして来たのだろう」の想いにとらわれることもたびたび。

毎日忙しいのに。

この忙しさは何ものぞ?

 

 ホントのところ、12月から今まで振り返るとすごくいろいろなことがあって、事実としてちゃんと認識している。

重い出来事もあった。

交流会ちゃんとやって、自分の気持ちの切替をしたいなと思う。

2017.12.19(火)

 もー、すごい落ち込みだ

がっくり来ている。

 

 昨日、日産の担当者さんに連絡をとり、たいした事故じゃないと思うけれど見て欲しい、と。

自分では前のバンパー取り替える程度だろうと軽く考えていたから。

なのに、修理に約30万かかるって。

一気に、ドン底だ。

 

 本当に、大した衝撃もなく、その車で秦野から帰って来ているのだから。

信じられなかった。

 

 こわした車は、次の車検のある来年11月まで乗る予定で、そのように周囲にも言っていた。

 

 30万は、保険がでるけれど、次から保険料が倍ぐらいになる。

それを考えると、買い替えを10ヶ月前倒ししたほうが、長い目でみれば、とか、アドバイスもらったり、うちうちで相談したり。

 

 結局、今のローンが1月で終わること、30万かけてなおして、10ヵ月後に車検でまた多額の費用がかかること。

送迎にも使う車であること。

これらの事情から、ローンを払える範囲内で車を換えることにした。

 

 アーア、自己嫌悪!!

2017.12.17(日)

 忙しさに追いまくられているうちに、かなりのスピードで26・27日の冬キャンプが近づいて来て、もう今日しか下見にいける日はないから行って来た。

 

 この2年間、戸沢山荘へ行く林道を運転してないので、少し気が進まなかったが、今日しかない、行ってくるしかない、という感じ。

 

 林道(今は秦野市道)は、予想してたより道路状況が良くて、整備に入ったんだな、と思えた。

 

 いつも、ものすごく掘れていて、コースをどう選ぶか苦労していた場所も良くなっていたが、谷側がくずれていたり、落石注意の看板が目立った。

 

 自分の山道運転もマアマアだな、なんて思っている内に、登山道と川原(戸沢山荘入り口)の分岐点に着いたのだが、そこでバーンと目に飛び込んできたのが、道路右側に数枚にわたって立てられた大きな看板。

その1番最初に「SOS」と、でかでかと書かれてあり、えっ?何?と車を少し前に進めて確認。

 

 治山工事をやっている告知の看板だとわかったのだが、なァ~だと思った瞬間、ブレーキを踏んでいた力がゆるんだらしく、下り坂になっている所を車がソロっと前進した。

私は、ギアをニュートラルにしていたのだ!

何かに、ゴンぶつかった。

枯葉の中に、何があるのかわからず、とにかく山荘前へ車を置いて見に行ったら、高さ50センチぐらいのほぼ、枯れ草と同じ高さの鉄柱。

直径は10センチ近く。

 

 こんなのがあるの知らなかったよー!!とくやしさがこみ上げ、同時にがっくりした。

 

 気を取り直して、小屋の中も外も、しっかり下見して、「うん大丈夫。みんなをつれて来れる」

 

 車にくわしくない私が見たところ、前のバンパーを取り替える程度で済むのじゃないか……本当に、ほとんどぶつかったというショックを感じたわけじゃないし、と帰り道自分をなさめながら「普通に」運転してきた。

 

 それでも、不注意という自身への精神的なショックは大きい。

2017.12.11(月)

 本日、第二教室(羽太郷土資料館)2階大会議室で、劇のお披露目があった。

 上飯田小学校の6年生が取り組んだ授業で、郷土の歴史や地域に残る物語などを調べ、資料館をつくった羽太俊一氏のご先祖、江戸時代徳川吉宗の頃の羽太忠兵衛さんと、五軒庭と言う地名の由来を簡単な劇に創り上げた。

すばらしい!!

 

 その中で、資料館の存在も知り、ぜひ見学したいとの児童の気持ちがあり、ちょうど6日のイベントで私がいない時に校長先生から電話があり、その後こちらから連絡をとり、11日に見学、ついでに劇も披露といううれしいことになった。

 伝わる話は、生類憐れみの令のあった江戸の頃、本来の法令とはかけ離れて広まってしまった悪法の下、いのししに畑を荒され困り抜いていた農民の生活をみかねていのししを殺してしまった忠兵衛さん。

一族は重い罪のため、死罪になったり、土地をとりあげられたが、後の時代に許されて、土地も与えられた。

当時の羽太家の先祖が五軒あったので、その土地を分けた、という話。

実際に史実として、「羽太忠兵衛屋敷跡」もある。

その子孫が今もこの地域に暮らしているのだから、まさに歴史のロマンそのもの。

 

 地名に興味をもった子ども達の気持ちを大切にして、この劇を結実させてくれた先生に感謝!!ですね。

2017.12.6(水)

 戸塚地区センターで、「発達障害またはそうかもしれない人と、その家族のための支援・相談会」というイベントがあった。

地区センター主催、協力峠工房。

 

 峠としては全く初体験で、お客さん来るのかどうか心配。

センターの担当のかたも、初めての試みで、はたして?と、内心心配していたようだった。

 

 もったいぶるわけじゃないが、10人を越えるお客様だった。

人数も予想外だったが、参加者同士で語り合う場を求める人が多いだろうと思っていたが、ほとんどの人が、戸別に相談を望まれた。

 

 今は、「早期発見・早期療育」ということが広まって、皆さんそれぞれ相談なり助言なりを受けている場合が多い。

でも、実際には、具体的な助言や、必要な支援が届いていないのは、相変わらずなのだなぁと、改めて感じた。

 

 私たちは、もっと行動し、もっと宣伝しなければということを再確認した催しだった。

今までも、手の届かないもどかしさを感じていたけれど。

これからどう動いていったらいいのか、よく考えなければと思う。

2017.12.3(日)

 最もプライベートな出来ごとだが、弟が他界した。

2日、3日と、見送る儀式。

実際には、当方の理事総会と重なる日だったが、事情あって儀式は、きのう、きょうになり、私としては、両方に列席できてよかった。

 

 2才ちがいの下のきょうだいだから、よく遊び、よくけんかした。

こどもの頃は、私の行くところについて来たがって、それをどうあきらめさせるか、その年令投じのありったけの知恵を絞った。

沢へせりをとりに行く時などは絶対にじゃまだから、「こわいきつね」の話とか、「おそろしいかっぱ」の話なんかをしておどかして置いてきたり。

きつねもかっぱも見たことなかったけれど、自分の頭の中でふくらませたそれが、自分でも怖くなって、逃げ帰ってきたりした。

 おとなになってからの一番は、伊勢佐木町5丁目の交差点の向こうとこっちで、大声でどなり合いの大げんか。

私はもう結婚していたのだけれど、なんにも変わらない、おたがい短気ものだった。

周囲の人のことなど、ぜんぜん気にしなかった。

 母を送る時も泣かなかったから、今回も泣くことはないだろうと予測していた。

それでも、まさか彼が私より先に逝くとは思っていなかった。

性格が似ているところも、短気以外に、けっこうあって、中でも自分を酷使してしまうところ。

体質も似ているかも、と思っていて、2人とも血管の病気で死ぬかな?なんて思っていた。

 

 自分で建てた巨大無線アンテナや、数々の場面の写真も、さびしいというよりも、なつかしい思いで見た。

特に、以前峠工房で作った、アマチュア無線の交信カードがあったので、ああ、まだこれを使っていたのかと、うれしかった。

 奥さんの「私が頼りないと思ったからか、ベッドからいろんなものを注文してあって、支払いまですませてあった」との話には、やさしい1!心底うらやましいーー!!

 

 それなのに、最後の別れのときに、身体の芯から大きな何かがガバーッとこみ上げてきて、つき上げられて、うろたえた。

 私は、今までより少しだけ、自分のことを気をつけるよ、と心の中でつぶやいた。

 2017年度の決算総会が例年通りの日程で「無事」終わった。

 

 あれから1年……。

思い返すと、ヤツラに改めて腹が立つ。

峠工房の決算総会に乗り込んで、足がかりを固め、乗っ取り作戦を表に出して、堂々と傘下に収めるつもりでいたのであろう団体。

資金提供と言いながら、自分たちのおもいどおりにならないとわかったら、兵糧攻めのように、わが方の口座から資金を全額引き出したやり口。

 国会議員と言う職にありながら、一切の説明責任を果たさずに知らんふりした……ああ、これは政治屋としてはフツーの行動か。

あたりまえだったのね。

 

 とにかく、持ちこたえたのが不思議な1年だった。

 

 しかも、もともとの峠工房(第一教室)の赤字幅減少しているのだ。

なんてエライ私たち!!のしかかっているのは放デイを始めたための赤字。

これはもう、サギにあったようなことだから。

と、言うかあったのだ。

 

 この先、順調に推移するようになった時には、仕返ししてやるぞーっと、すごんでいるが、議員氏は職を失ったし、サギ集団も、なかもめているようなコトもチラリと耳に入るし、自分の仕事に没頭するのが、好ましい時間の使い方かなと思うほうがいいような気がしてきた。

 

 漏れつたわってくる話では、最初に話された内容は「泉区に、つぶれそうなNPOがあるのでウチで買いとる」だったとも聞いた、

それを知った周囲の人たちはなんと失礼な!と怒るのだが、私はそれなら買い取ってくれればいいのに、3億円くらいでと思う。

そしたら、もっと交通の便の良い所に移って、「元祖峠工房」の旗をいっぱい立てて、「皆さん、ニセ峠工房にだまされないで!」のビラ配りをやっちゃう。

 

 それに、つぶれそうなと言ったって、峠工房は、つぶれそうじゃない時などほとんど無い。

潰れそうの達人なのだ。

何をいまさら。

 でも、守られ、支えられ、今までやって来たという最大の強みがある。

カネに、目がくらんでる者には見えない力が働いている。

 

 私自身は、つかの間、給料をもらう身分になって、子どもたちとだけたっぷり向き合う生活を夢見たが、もう少しの間は夢は夢として温存しておくことにしている。

2017.11.18(土)

 土曜は利用人数が一番多くて、しかも寒くなってから、火鉢に火入れすることが増えて、やきいもだとかもち焼きだとか、楽しみにしているからすごくにぎやか。

 そこへ、久しぶりの訪問者。

この人、いつも突然来る。

みんなの先輩、たいち君。

小学校5年生当時のケッサクガンプラが、今だに2階教室に飾られている。

伝説のセンパイ?

 「久しぶりの土曜休みで、どこかに行こうと思ってバイク動かそうとしたら、バッテリーあがってた。」

それで、遠出もできないし、そうだ!峠へ行こうと、スクーターでやって来た、というわけだ。

 

 彼が、フェイスブックなどに、仕事やめたい、と不満をもらしていたので、心配していた。

で、あの件どうした?

 「オレは退職届まで書いたんですよー。だけどいつも不愛想で、口かずも少ない人(顧客)が、Sさんじゃなきゃダメなんですよ。いてくれなきゃ困るんですよって言ったので、もーその場で届けをやぶいちゃいました」

 彼、「スポーツを教える会社」(彼の説明)にいて、忙しすぎて休みも取れず、不満がたまっていたけれど、信頼を獲得してるんだ。

感心しつつ、皆で大笑いした。

 今も人にすかれているんだ、とうれしかった。

 今の職場を紹介してくれたのは、ラグビー部のヘッドコーチで、「おまえは、ウラオモテないから後輩やみんなから好かれるんだ」と、言ってくれた。

最高のほめ言葉じゃん、と言ったら、そーかなー、と、よくわからない顔してたけど。

今、それが生きている。

 愛車900c.cのバイクが動かないので、遠出もできず、みんなといっしょに焼いも食べたり、昔ばなしで盛り上がったり、あいかわらずの、でっかい身体に似合わない舌ったらずのしゃべりで、バイク談義に花咲かせたりで、午後遅くまでいた。

 ふと時間が空いた時に、「そうだ、峠に行こう」と思ってくれるのは、とてもうれしい。

2017.11.4(土)

 昨日、楽しくって、うれしくって、ヘロヘロになるまでカート走行に最多志願したKたろうが、筋肉痛がなんだの言いながら休まずに来た。

「園長先生にほめてもらいたから」だそうな。

実際、昨日プロのレーサーさんにほめてもらったとかで、やはりうれしかったのだ。

 途中、突然緊張が切れて、フェンスにどーんと行ったYAくん、父子で走行して、曲がるときのハンドル操作のミスのなすり合いをしていたYJ親子、公募で参加してくれた2組の親子さんの、ノリノリ気分。

みんながいろいろ話してくれた。

 それとお出かけで外食のうれしさも満喫。

 みんな、動画DVDができるのを楽しみにしている。

 それにしても面白いなと思ったのは、みんなが認める車に一番くわしいはずのSHくんが、実際の走行では、かなりアブナイ運転をしていたこと。

彼の車への興味、関心(あえてこだわりとは言わない)は、相当なもので、特に好きで見ていた映像、ドリフト走行などが頭にしみついていて、しかもそれなりに自信もあって、教えられた安全走行に反するようなことだったのかもしれない。

2017.11.3(金)

 自分が計画、実施に深くかかわったわけではないが、ちょっと大きなイベント、「放課後学習ラボ・カート体験走行」が無事、それも大成功で終わった。

 NPO法人Winds Formula Association主催で、峠工房は協力、指導という形だが参加者の大部分は峠工房の子、親。

発達障害を持つ人との交流イベントと銘打っている以上、峠の者たち主体であろうとは予測していたが、配ったチラシを見て応募してくれた親子が2組というのは、うれしいことだった。

 去年はフツーのカートイベントに特別参加させてもらい、おととしは見学のみ。

この時は私も付き添った。

発展させてきて、今日に至ったということかな。

 そんなのムリ、と多くの人が思うであろうことを、やってみせればきっと、見かたが変わってくるだろう。

 事前の注意をちゃんと聞いていなければ厳しく叱られるし……ああ、この子はいわゆる健常児だったっけ。

 主催者側の人も、世に拡散されている軽度発達障害児・者の人たちへの新しい認識を得たことと思う。

なにしろ今の世の中、介護も障害も、「もうけ仕事」と参入する業者が多く、まじめに取り組み、志を持っているところをも圧迫しているのだから。

同じように行政からしめつけられるのですよ!!