和のナージュ誕生物語
第1話 怒りがニュープロジェクトを推進させる
今年は古城結婚式をやり始めて8年目にあたります。
前年度は嬉しいことに、2桁の挙式をさせて頂けて、古城挙式のみのホームページも出来上がり、2月までに、ご予約も8組いただいていたにもかかわらず、このコロナ騒ぎで、
ドイツ在住の方々も、日本から挙式参列者が来ることができないということで、キャンセルに次ぐキャンセル。今の段階で2組を除く方々が、すでに来年度に、延期なさっています。
そもそも、古城結婚式のプロデュースをしたいと思ったきっかけも、日本人向けの挙式料金のぼったくりともいえる料金設定に、驚愕したことが始まりでした。
何とかして、簡単にハネムーンを兼ねて、ここドイツで挙式できないものだろうか?
礼拝堂探しがまず始まったが、教会税でアウト。それでは私的所有物になっている礼拝堂はどうか?じゃ、古城なんじゃない?
挙式プロジェクトが稼働し始める前さかのぼって10年以上も、挙式ができそうな古城があれば、実際に赴いて、話を聞きということ繰り返したのですが、ドイツ特有の教会税に阻まれ、日本の挙式会場と同じような形でできるところを、なかなか、見つけることができなかったのです。
ま、古城結婚式の話はまたの機会に、いきさつを、お話しするとして、和のナージュのことを、お話ししなければなりませんね。前振り長すぎ、、。
始まりは、某アメリカ系の非営利慈善事業団体のお仕事をひょんなことから、始めさせていただけるようになってから、すでに20年近くの日々が流れました。

そして、その仕事とは、ヨーロッパの学生と日本の学生の交換留学に関与するお仕事です。
年に2度の来日生のキャンプの折には、勿論、茶道、華道、お習字、折り紙などの日本の伝統的な事柄に触れるワークショップが、組みこまれているのです。
しかし、その場限りの経験、勿論、そんなものだと思えばよいのでしょうが、何か記念になるような、しかも子供だましではない、持って帰ったら、みんなにそれを自慢できるようなものが、あればよいのにな~と、ずっと思っていた訳なんです。
それも、飾るものでなく、実用的で(これ、大事)なおかつ日本的なのだけれど、西洋文化にもあうもの。
そういった伏線が、きっかけには、あったのです。
第2話に続く
















