こんにちは、広報長です。


ということで、予告させて頂いたようにサラ&わらさんによる、『つゆのあとさき』論です。

PDFを無理やりコピペします(・・。)ゞ


1. 本稿の目的

 さだまさし(1977)「つゆのあとさき」は、男女の別れを学校の卒業になぞらえて歌い上げることで知られている。楽曲全体にちりばめられた暗喩の解釈を通じて、当楽曲の構造を明らかにするのが、本稿の目的である。なお、対象は歌詩に限定することとし、「つゆのあとさき」というタイトル及び「梅雨のあとさき」(13)の歌詩は通例の通り、内容との

関係は薄いものとする立場を取る。各引用部の括弧数字は歌詩内の行数を示す。


2. つゆのあとさき

 『つゆのあとさき』解釈において、まず前提となるのが前述の暗喩であろう。すなわち、

「男女の別れ:卒業」である。ここからの帰結として「男(以下僕)(一人称):学校」であり、「女(以下君)(二人称):ある女生徒」という2つの比喩対象が導かれる。なぜならば、主人公は卒業式に際し、君のために「僕の扉を開け」(2)、君は「君の卒業式」(1)に居、

「卒業証書」(3)を抱いているからである。


その「卒業証書」(3)は僕によって、「さよなら」(3)と書かれていることから、別れ話

とその意思は僕に始まることを表している(「卒業証書:別れ話,別れる意思」)。


そして、(3)(4)(5)(6)は、(12)の具体的内容が語られる。それは


「心のかわりに髪揺らして」(4)

① 「卒業証書」(3)を「抱いて」(3)くれたこと

② 「記念写真」(6)に「倖せでした」(5)「ありがとう」(5)と「書い」(6)てくれたこと


である。つまり


「自分を冷静に保ち」

① 「別れ話を受け入れてくれたこと」

② 「別れ際に感謝の言葉をかけてくれたこと」


このふたつが「最後」(12)の「やさし」(12)さであろう。


ここで、歌詩全体を覆う、学校と生徒という表現を検証したい。卒業に際して際立つのは生徒の成長と飛躍であろう。そしてそれを学校側は別れの悲しみとともに喜びとするの

である。生徒として描かれる君の行為をみてみよう。


君は前述の「最後」(12)の「やさし」(12)さを与えてくれたのみではない。


① 「マニキュア」(7)と「お化粧」(8)をし、

② 「ふるえる瞳をふせた」(17)

1

 それぞれ、


① 「学校(僕)への反抗」をし、

② 「動揺を僕にみせない」ようにした。


 と考えられる。つまり、学校に象徴される、冷静で、受容的で、やさしくまもってくれるべき僕に対し、生徒たる君が反抗し、冷静を保ち、やさしくあろうとした。

 僕にとっては「細い」(7)指を持った君であったが、今の君はもう「お化粧」(8)をとめ

る僕の「おせっかい」(8)はいらない。


 しかし君が完全に強くなったかといえば、そうではない。「息を止めて 次の言葉を探してた」(16)ことが僕にもわかる。そこに僕が見出すのは僕の保護を必要とするかつての「悲しい仔犬」(17)の姿である。しかし「ふるえる瞳をふせ」(17)ることができた君を前に僕は「もう制服はいらない」(18)と言い切り、自ら身を引いた。制服にはもちろん、僕(学

校)の庇護と存在が象徴されている。「僕はいらない」というわけである。


 学校と生徒の関係性が、「君」の精神的成長と「僕」の期待によって「君」は「僕」か

ら「卒業」、つまり別れるのである。


 僕は終わった恋を以下のように評す。


  めぐり逢う時は 花びらの中

  ほかの誰よりも きれいだったよ

  別れ行く時も花びらの中

  君は最後までやさしかった

(9)-(12)


 「めぐり逢う時」(9)も「別れ行く時」(11)も「花びらの中」(9)(11)にあり、それぞれ君は「きれい」(10)であり、「やさし」(12)い。つまり「花びらの中」(9)(11)は僕の内的環境を指すと考えられる。「花びらの中」(9)は、これから始まる恋を前にして、君の美しさを際立てる胸の高鳴りであろう。また、「花びらの中」(11)は、別れを控えてもなお僕を受け入れ、感謝してくれる君の内面を評価しての表現だろう。どちらの「花びらの中」も

君の魅力を前にしてときめく僕の心情を、同じ表現で指示している。


 そして君は去る。「遠ざかる 君のあとをかけぬける」(14)のは、「トパーズ色の風」

(13)つまり、春の長崎の視界を遮る黄砂である。


2

3. まとめ

 以上が、「つゆのあとさき」をめぐる筆者の解釈である。この解釈には一点、あるべきものが存在しないように思われる。それは僕の内省的思考である。僕は君の精神的成長に伴い、自転車の練習のごとく手をはなすが、そこに至るまでの君に対する保護、守り、束縛が顧みられる様子はない。あくまで、今まで手をかけた子供が独り立ちした。といった雰囲気である。ここに作詩家のある種の批判、あるいは問題提起が含まれてはいないだろうか。もう一周り抽象的な解釈が待たれるところである。最後に、深夜にも関わらず素早

くLINEを返信し議論してくださったわらさんに感謝して、本稿を閉じたいと思う。




「つゆのあとさき」さだまさし(1977)『風見鶏』


1,一人歩きを始める 今日は君の卒業式

2,僕の扉を開けて すこしだけ泪をちらして 3,さよならと僕が書いた 卒業証書を抱いて

4,折りからの風に少し 心のかわりに髪揺らして


5,倖せでしたと一言 ありがとうと一言

6,僕の掌に指で 君が書いた記念写真

7,君の細い指先に 不似合いなマニキュア

8,お化粧はお止しと 思えばいらぬおせっかい


9,めぐり逢う時は 花びらの中

10,ほかの誰よりも きれいだったよ

11,別れ行く時も花びらの中

12,君は最後までやさしかった


13,梅雨のあとさきのトパーズ色の風は

14,遠ざかる 君のあとをかけぬける


15,ごめんなさいと一言 わすれないと一言

16,君は息を止めて 次の言葉を探してた

17,悲しい仔犬の様に ふるえる瞳をふせた

18,君に確かな事は もう制服はいらない



さて、新歓期も過ぎ去り、そして遂に当会も念願の現役メンバー50人突破を果たしましたが、まだまだ(期限を問わず)入会をお待ちしています。


ともかく早稲田大学さだまさし研究会は、皆さんの仲間入りをお待ちしています(σ・∀・)σ

実は、メンバー数40名ほど、男女比も2:1と明るいサークルなのであります。

それからインカレサークルですのでおよそ東京周辺の学生(短大、専門学校も!!)なら所属は不問です。


また2年生以上の皆さんも大歓迎です!!

今まで興味があったけど踏ん切りがつかなかった…大抵、2年生以上の新会員はそう仰いますσ(^_^;)


ともかく、そんなさだ研に興味を持って下さった方はこちらのさだ研Q&A を、

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では失礼致しますm(_ _ )m