昨日、漢字、漢和辞典を主として、ブログでお世話になっている一不安さんがアメブロのメッセージをくださった。

 

メッセージの冒頭、次のブログ(インタビュー)を読むことを推奨された、

--

日本人はなぜ古文が読めなくなったのか ――ロバート キャンベル氏に聞く、原典をひもとき足元を見つめ直す魅力
https://www.ibm.com/blogs/think/jp-ja/mugendai-7237-interview-robert-campbell/

--

古文については、数年前にブログに書いたが、私が高校1年のとき、古文担当の新卒教師でニックネーム「毛だるま」氏が言い放った。

「ボクは太宰の研究者だから、古文はわからない。同じ日本語だから

読めばわかる」と。

しかし読んでもわからないから、校内試験の間際に、試験範囲の教科書を丸暗記して試験に臨み、そこそこの成績は取っていた。

いまだによく理解しないまま、大河ドラマの(源氏物語」などでは悪戦苦闘している。

一不安さんが推奨してくださった上記ブログをぜひ開いてみてほしい。私は目から鱗だった。要約する。

 

◎ブログのタイトルは次のとおり。

日本人はなぜ古文が読めなくなったのか ――ロバート キャンベル氏に聞く、原典をひもとき足元を見つめ直す魅力

 

◎文学作品や歴史文献を数多く生み出した江戸から明治期の日本だが、現代の日本人の大方は原文を読む能力を失い、存在すら知らずにいる。

 

◎ロバート キャンベル氏は、明治政府がすすめた国語政策(言文一致など)によって、それ以前と以後の言語に大きな「断絶」が生じたことを指摘する。

 

◎明治政府の教育施策の光の部分は国家の近代化に成功したこと。

 

◎半面、影の部分として、多くの古い文学や資料が読まれないまま埋もれる結果を招いた。

 

◎日本人は昔から文字資料を大事に伝承するメンタリティを持っていた。近世の日本は、文献や資料が実にたくさん残っている。

 

◎明治維新の後に日本語が刷新され、過去の伝統からの断絶が生じた。

 

◎日本が近代化・工業化し、国民国家に発展して行く過程で300もの藩は廃止され、方言に代わって標準化された共通言語を作る政策がとられた。書き言葉は古文から言文一致体へ、表記も崩し字から楷書体へと形を一変した。

 

◎それが今日の社会の安定や経済的発展につながったことは事実だが、他方で以前の文字文化と私たちを隔てる高い壁が生まれ、古文は読まれなくなってしまったのです。

 

◎明治30年代以降の学校教育では、見たり感じたりしたことをそのまま語るように書く言文一致の作文教育が進められていった。日清戦争のような対外戦争では、全国から集まる兵士が号令ひとつで一斉に動けるように共通言語が必要だった。標準語を定めて普及させることは、明治政府にとって重要課題だった。

 

ロバート・キャンベル氏のブログには、まだまだ書かれているが、一旦このブログを閉じる。ぜひキャンベル氏のブログを一読されたい。