2015年2月23日のリブログ。

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今でこそ、辞書読みを楽しんでいる私ですが、私のブログの原点「良寛さん」の読後感の一篇です。

 

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植野明磧先生の名著『良寛さん』の「川に落ちる」の読後感を書きます。
 あらすじは次のとおりです。原書で傍点付きの文言は「 」で囲み、原書の平仮名書きの一部を漢字に直し、難読漢字には適宜、振仮名を付けました。

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 地蔵堂町の近くを流れる狭川(せばがわ)の渡し場に権三(ごんぞう)という「ならず者」の船頭がいた。大酒は飲む、喧嘩はする、博打はする、全く手に負えない人物だった。そのうえ、大変なひねくれ者で、良寛さんに対しても、平素から心よからぬ気持ちを抱いていた。
 権三は、近郷の人々が良寛さんを褒めたてるたびに
(あんな乞食坊主のどこが偉いんだ、破れた衣を着やがって、がきどもとふざけてばかりいやがる。坊主なら葬式に出ろ、法事にも参れ、そんなことを少しもしないで、物貰いをして命をつないでいるだけじゃないか。それに世間の奴らは、生き仏様じゃなんて、馬鹿馬鹿しい。)
と呟(つぶや)いていた。
 晩春のよく晴れた日、良寛さんがやって来て、
「船頭さん、ええ天気じゃのう、すまんが向こう岸まで頼みますよ。」
「へーい、そんな言い方をせんでも、こっちは商売でさあ。」
 権三は顔を背(そむ)けたまま、憎らしそうに答えて、良寛さんを船に乗せて岸を離れた。ほかに合い客はいなかった。
「良寛さま、どこへ行くんですかい。」
「うーん、どこへ行ったらええじゃろなあ。」
 春の自然の美しさにうっとりして、良寛さんはにこにこしながら答えた。良寛さんは冗談で言ったのではなく、向こう岸に着いてから行き先を決めるのが良寛さんの生き方だったのだ。
 『良寛禅師奇話』の中で筆者の解良栄重も、「師常に言う“吾(われ)人の家に至れば、必ず何処(いずこ)より来たると問わるれども、何の用ありや”と。」、述べているように、どこからやって来て、次はどこへ行くかなどは、天衣無縫(てんいむほう)、自由無碍(じゆうむげ)の良寛さんにとっては、意に介するところではなかった。
 こんな良寛さんの心境を、「癇癪(かんしゃく)持ちでひねくれ者」の権三には理解できるはずがない。
「自分の行き先がわからんで、舟に乗ったのですかい。」
 権三は怒鳴るように言ったかと思うと、手荒く「ろ」を漕ぎ始め、舟は川の真ん中に差し掛かった。
(このくそ坊主め、今こそ懲らしめてやるぞ。)
 こう考えた権三は、急に舟を揺さぶり始め、揺れ方がひどくなり、良寛さんは川の中へ投げ出されてしまった。
 良寛さんは、全然泳げないわけではなかったが、衣が邪魔になって泳げず、とうとう川底へ沈みそうになった。
(ざまあ見ろ、思い知ったか。)
と、苦笑いをして眺めていた権三も、罪のない良寛さんをそのまま見殺しにすることができなくなった。急いで舟を近づけて、苦しんでいる良寛さんを救い上げた。
 ずぶ濡れの良寛さんは、なんべんも溜め息をついてから、権三に合掌しながら言った。
「船頭さん、ありがとうよ、おかげで命拾いをしました。お前がいなければ死ぬところじゃった。お前はわしの命の恩人じゃ。船頭さん、ありがとうよ、どうもありがとうよ。」
 良寛さんの心からのお礼の言葉を聞かされた権三の目が潤んできた。まもなく舟は向こう岸に着いた。
「船頭さん、ありがとうよ、ありがとうよ。」
 またしても、お辞儀を繰り返しながら立ち去っていく良寛さんの後姿を、権三は突っ立てた竹竿に寄りかかったまま、いつまでも見送っていた。

 その日の夕方、一升徳利を手にした男が、五合庵を訪れた。「ごめんなさりませ。」太いけれども力のない声に、良寛さんは縁側に出てみた。男は黙ったまま何度も丁寧に頭を下げてから、恐る恐る言い出した。
「実はその・・・・・・私は狭川の・・・・・・渡し場の船頭で・・・・・・。」
 ここまで聞いた良寛さんは、急に座を正して言った。
「そうそう、これはとんでもない失礼をしたわい。船頭さん、今朝ほどは、どうもありがとうござりました。お前のお陰でこんなに元気じゃよ。さあ、あがってくだされ、うまい蕨(わらび)を煮たところじゃよ。」
 良寛さんは、むやみと平身低頭する権三の手を引っ張って部屋に通した。かしこまった権三は、涙声で言葉を続けた。
「私は、ほんとに悪い奴です。わざと舟を揺さぶって、良寛様をあんなひどい目に合わせたのです。それに良寛様は、何にも咎(とが)めなさらぬどころか、こんな奴に、あんなに礼を言ってくださりました・・・・・・。」
 ここまで話すと、権三は感極まって泣き伏した。うつむいて聞いていた良寛さんも泣き出した。無言のひとときが過ぎた。良寛さんは静かに言った。
「船頭さん、もうそんな話はやめてくだされ、お前が悪いんじゃない、船頭さん、ありがとうよ。さあ、お前の持ってきてくれたその酒を、二人でいただこうかのう。」
 坐り直した権三は、手拭いで目を押えながら答えた。
「ありがとうございます。だけど良寛様にそんなふうに言われますと、おらあ、もったいのうて。」権三は、また泣き出しそうになった。
「船頭さん、もったいないのはわしの方じゃ。」
 立ち上がった良寛さんは、頑丈な権三の肩を叩(たた)いて、にっこり笑いながら答えた。そして、炊事場から煮たての蕨と茶碗を二つ持って来て、良寛さんは恐縮する権三に無理に酒をついでやってから自分にもついだ。
「良寛様、おらあ、もったいのうて。」
 権三は、なかなか飲もうとしなかったが、心から優しく振る舞う良寛さんの温かい懐(ふところ)にだんだん溶け込んでいった。
 良寛さんが歌うと、権三も歌った。やがて、良寛さんが踊りだすと権三も一緒に踊った。
 おぼろ月が出ている。晩春の山の夜は賑やかだった。
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 植野明磧先生は次のように続けられました。

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 きびしい修行によって、一切放下(ほうげ)、雙忘(そうぼう)の境地に到達した良寛さんは、さらに一段の修行を積んで、ふたたび元の浮世に甦りました。新たに生れた良寛さんのその命は、仏の大慈悲によって生かされ、仏の手足となって生きているものでした。ですから、権三の悪意も、善意も、そのまま仏の命、仏の計らいとして受け容れるだけのことでした。ただ良寛さんは、権三に愛と光を投げ与えればよかったのです。
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 明磧先生の解題を読み、『良寛さん』の逸話ごとに出来事や登場人物は異なるものの、どの逸話の良寛和尚の言動も、仏道修行の高い境地に達し、さらにもう一段上の境地に達して「ふたたび元の浮世に甦っ」た良寛和尚の為せる業であることを理解できました。

  明磧先生の解題は続きます。

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 このような良寛さんの深い境地は、到底望むべくもありません。けれども、この逸話によって、わたしたちは、咎めること、責めることにも勇気を必要とするかも知れないが、赦すこと、理解することのためには、その幾倍かの勇気が必要であり、また効果的であるということを知ることができます。
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 20代の頃の私は、「“咎めて責める”ことの実に上手な教師」であったと告白せざるを得ません。「悪いことをした子どもに、悪いと気づかせる指導は必要」であることには違いありませんが、気づかせる方法が咎めて責めるだけでは生徒が心の底から反省することはないと気づいたのは学級担任を“卒業”してからのことでした。残念の極みです。

 明磧先生は次の言葉で解題を締めくくられました。

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 越後出身の幕末の志士たちが、「越後の生んだ二人の英雄がある。それは、上杉謙信と良寛和尚である。」と称揚したようですが、たしかに、良寛さんこそ、現代が求める真の勇者であり、民主社会が求める英雄豪傑だと言わねばなりません。
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 明磧先生が執筆なさった「現代」から、すでに40年以上が過ぎていますが、2015年の「現代」でも、良寛和尚は、子育て真っ最中の母親、生徒を育てる教師、部下を育てる上司にとって、「最高のお手本」であり続けていると言ってもよいのではないでしょうか。

追記
 「川に落ちる」の逸話に登場した言葉を『国語大辞典 新装版』(小学館1988)で引いておきました。

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『良寛禅師奇話』の「奇話」
きわ【奇話】
珍しい話。不思議な話。奇談。珍談。

てんいむほう【天衣無縫】
(形動)
1 (「霊怪録」による)天人の着物に縫い目のような人工の跡がないこと。転じて、文章、詩歌などに技巧のあとが見えず、ごく自然にできあがっていてしかも完全で美しいこと。
2 人柄などが、天真爛漫であること。

「自由無碍」の「無碍」
むげ【無碍・無礙】
(形動)さしさわりのないこと。障害のないこと。さまたげられていないこと。とらわれることなく自由であること。「融通無碍」

「一切放下」の「放下」
ほうか(ハウ‥)【放下】
1 (―する)投げすてること。投げおろすこと。下におろすこと。ほうげ。*虎明本狂言・伯養「はかけのあしだぬぎすててはくやうなくて谷へほうかす」
2 (―する)捨て去ること。捨ててかえりみないこと。放棄。放置。ほうげ。*俳・芭蕉庵小文庫‐春「なほ放下して栖を去」
3 (もと、いっさいを放下した僧のある者が行ったところからという)中世・近世に行われた芸能の一つ。小切子(こきりこ)を打ちながら行う歌舞・手品・曲芸などの芸。また、それを専門に行う者。多くは僧形であったが、中には頭巾の上に烏帽子をかぶり、笹を背負った姿などで演ずるものもあった。放下師。放下僧。放家。放歌。
4 民俗芸能の一つ。大きな団扇(うちわ)を背負い、笛・太鼓・鉦などを鳴らしながら激しく動くもの。愛知県に分布。
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 「雙忘」は手元の辞書にはありませんでしたが、「執着を一切なくした」というような意味ではないかと推察しました。

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良寛さん[表紙・帯]

新装普及版 表

現代教養文庫版

 

私は現代教養文庫版が気に入っています。