2022年1月27日のリブログ。

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2018年1月27日のブログをリブログします。

「ドドンパ」は、さすがの三国八版にも立項されていません。

大辞林四版では次のように立項されました。

 

どどんぱ2
芸術・芸能音楽音楽全般
〔ドドンパと書く〕三拍子めを三連音符にしたダンス音楽の和製リズム。一九六〇年代に流行した。
[大辞林 第四版]

 

--ここからリブログ(2018年)

昨夜、BS-JAPAN『武田鉄矢の昭和は輝いていた』の「踊る昭和歌謡」を見ました。

番組では「ドドンパ」などのラテン系音楽を取り上げ、ゲストに渡辺マリさん、つのだひろさんが出演していました。

以前ブログでドドンパを取り上げました(現在は削除)が、つのださんが、「ドドンパは日本の〝音頭(おんど)〟がアレンジされたリズムである」と説明し、実際に楽器を演奏してくれ、私は深く納得させられました。

 

番組ホームページから昨夜の概要を転記させて頂きます。

--ここから

第207回 1月26日 「踊る昭和歌謡」
昭和の時代に一世を風靡した歌謡曲を「リズム」という視点で、ひも解いていく。昭和30年代、マンボの王様ペレス・プラードの「マンボNo.5」の世界的ヒットによって日本にもマンボブームが到来。マンボのリズムを取り入れた曲が次々と発売された。このブームを先取りし、大ヒットしたのが、美空ひばりの「お祭りマンボ」。そして、カリプソリズムのヒット曲、浜村美智子の「バナナ・ボート」。このように海外生まれのリズムが次々と入ってくる中、日本独自の進化を遂げたリズムを取り入れた曲も次々とヒットする。それが、ドドンパ!空前のドドンパブームを巻き起こした「東京ドドンパ娘」を歌った渡辺マリが語る、リズム歌謡の魅力とは!?また、つのだ☆ひろが様々な楽器を使って軽快なリズムを生演奏!さらに、小林旭「アキラでツイスト」、藤木孝「24000のキッス」、植木等「ハイそれまでョ」など貴重映像も!!思わず、歌って踊りたくなる1時間!

--ここまで

 

手持ちの辞書を引いてみました。(一部省略)

 

ウィキペディア(概要)

ドドンパの起源については諸説あるが、米国領時代のフィリピンで流行したマンボが源流であるとの説が有力である。フィリピンから大陸に渡ったフィリピン・マンボは、四拍子の2拍目にアクセントがある特徴があった。1960年、フィリピン・マンボの存在を知ったアイ・ジョージがジャズ・セッションなどで徐々にアレンジを加えてゆき、4拍目に三連符をおき、3拍目に空白を置くというリズムがとられる。これの4拍目、2拍目が「ドドン」「パ」と聞こえたため、曲調の名前がそのまま「ドドンパ」になった。

(略)

1961年1月、渡辺マリの「東京ドドンパ娘」の発売へと至る。これで全国規模のドドンパブームへと至った。この頃、ドドンパの起源を巡って渡辺のビクターとジョージのテイチクとの間で論争が起こった。
ジョージはドドンパを一つの編曲技法・ダンスリズムと捉えており、LP「ドドンパ誕生」「ドドンパ禁止」で、スタンダード楽曲のドドンパ編曲を発表した。そして実際に、ダンスホールやナイトクラブではドドンパ調の編曲がかけられ、ダンスが行われ、さらに楽曲の編曲もなされていた。さらにトリスウイスキーのCMへの楽曲提供(ジョージ自身が出演)は日本初のタイアップCMとされる。
同時期に全盛期を迎えていたロカビリーにおいても、永六輔がLPのジャケットを制作し、中村八大も自身のリサイタルでドドンパを大々的にフィーチャーするなど、積極的な関わりが見られた。その他、美空ひばりも「ひばりのドドンパ」(B面は「車屋さん」)」をシングル発売するなど、様々な歌手がドドンパと銘打った楽曲を発表し、映画のテーマにもなった。1962年発売の北原謙二「若いふたり」も代表曲である。「ドドンパ」の歌詞に合わせ脚を折り曲げ、腰を落とす踊りも流行した。
しかし、「東京ドドンパ娘」を超えるドドンパソングが登場しなかったこともあり、ドドンパブームは終息を迎えることとなる。
その後、1976年に桜たまこが「東京娘」を、1992年にモダンチョキチョキズが「ティーンエイジ・ドドンパ」(アルバム「ローリング・ドドイツ」に収録)を、2004年に氷川きよしが「きよしのドドンパ」を出しヒットとなるが、ドドンパブームの再来とまでは至っていない。
パチャンガ、スクスクと並ぶ3大流行ジャンルとなったこともあった。

--ここまで


大辞林は「和声リズム」と明示していて、国語大辞典は、複数の説を併記していました。広辞苑は「日本でできた」と断定していました。辞書によってずいぶん語釈が違っています。

私は国語大辞典の語釈が気に入っています。

ウィキペディアの概要は、非常に詳しく、(太字の部分が特に)番組内容に沿っていたように思いました。

久々に、知的興奮を味わえました。

--ここまでリブログ(2018年)