2016年3月23日のブログをリブログします。
数回リブログしています。
もうすぐ終わってしまう朝ドラ「あさが来た」を惜しむ素人学者です。白岡あさを演じる波留さんのギョロ目を見られなくなると思うと実に寂しい気持ちになります。
多くの視聴者はとっくに気づいていることだとは思いますが、ブログにメモとして残しておきたいことがあります。
「あさが来た」開始から数か月は、主題歌は前奏なしでいきなり歌が始まっていました。それが、いつの頃からか、朝8時ちょうどに主題歌が流れずにドラマが数分間進んだ後、切りの良い所で主題歌が始まるときに、主題歌に先んじて、十数秒、ドラマと重なりながら「旋律の無い前奏」が静かに流れるようになったのです。
この「旋律の無い前奏」が聞こえ出すと、「ああ、主題歌が始まるな」とか「今日の朝ドラはどんな展開になるのだろう」とか、私は期待感を膨らまされ、今では、あの「旋律の無い前奏」を楽しみにして「あさが来た」を観て、自分の朝も来るように感じています。
「旋律の無い前奏」とは奇妙な言い方ですが、音楽の専門家ではないので、こんな言い回しになってしまいました。
思いつくまま辞書を読んでみました。
国語大辞典(新装版)小学館 1988
ぜんそう【前奏】
1 先に奏すること。先ぶれをすること。また、その人。
2 声楽や器楽独奏などの伴奏の、冒頭で、導入として演奏される部分。
3 はじまり。物事のはじめの部分。
せんりつ【旋律】
(英melodyの訳語)あるリズムを伴って、歌うように展開する音の高低のまとまったつながり。節(ふし)。節回(ふしまわ)し。
大辞林 第三版 三省堂2006
つうそう ていおん [5] 【通奏低音】
(1) 与えられた数字付きの低音の上に即興で和音を補いながら伴奏声部を完成させる技法。ヨーロッパの一七,八世紀(バロック時代)に広く用いられた。数字付きバス。
(2) (比喩的に)表面にはあらわれないが一貫してその物事に影響を及ぼし続けている要素。
小学生の頃は笛吹少年、中学から大学、さらに30歳までは吹奏楽部・オーケストラのトランペット吹きをやっていたのですが、なにせ素人ですから、上記の辞書の語釈を読んでも、朝ドラの主題歌を導いている「旋律の無い前奏」にふさわしい、決定的な言葉がわかりません。
どなたか教えてください。