2015年の7月1日のブログをリブログします。

紙版文庫本は優秀な生徒にあげてしまいました。もう本書を輪読して逐条講義をする学齢の生徒は現れないだろうと思います。

紙版はなくなりましたが、電子書籍の合本版がkindle paperwhiteの中にあります。

 

この本が読めなくなったときが、仕事の終焉だと思っています。

その日が近づきつつある予感が、日々強まっています(苦笑)。

アマゾンの商品解説を引いておきます。

 

【考えるヒント】「良心」について、「平家物語」、「花見」…。さりげない語り口で始まるエッセイは、思いもかけない発想と徹底した思索で、読者を刺激し新たな発見を与える。永遠に読み継がれるべき名著。
【考えるヒント2】「私の書くものは随筆で、文字通り筆に随うまでの事で、物を書く前に、計画的に考えてみるという事を、私は、殆どした事がない。筆を動かしてみないと、考えは浮ばぬし、進展もしない…」と述べる著者が、展開した深い思索の過程が本書。もはや古典ともいえる歴史的名著の第二弾。
【考えるヒント3】戦後の混乱する思想界に衝撃を与えた「私の人生観」、柳田国男が目指した学問世界の意義を正確に読み解き、現代知識人の盲点を鋭くついた「信ずることと知ること」ほかの講演を収録、話し言葉による新しい批評表現の可能性を示した画期的な書。「知の巨人」の思索がたどり着いた到達点を示すシリーズ第三弾。
【考えるヒント4】文学史上の奇蹟と言われ、「途方もない歩行者」と評されるフランスの詩人アルチュール・ランボオ、日本の現代詩を語る上で忘れ得ぬ抒情詩人・中原中也。ランボオがこの著者にあたえた啓示が詩人の言葉を再生させ、また、中原と特異な交流を持ったうえでの洞察がいきいきと描かれる。詩人二人との関わり合いから生まれた著者若き日の凜然たるエッセイに、ランボオ詩作品の訳業の一部を収めた魅力的編集の「考えるヒント」シリーズ第四弾。

 

以下リブログです。

--ここから

 先月、裁判員制度の現状と課題について、複数のテレビ局が、多くの時間を割いて論じていました。そのとき、小林秀雄『考えるヒント』(文春文庫)に収められている「良心」という評論を思い出しました。
 これまでもブログに書いていますが、高3生のAくんと毎月2回、小林秀雄『考えるヒント』を読んでいて、前回の授業で「良心」を読了したのです。
 裁判員制度と小林の「良心」には直接の関連はありませんが、「人の心の動き」「良心」「道徳」という論点が、被告を裁く裁判員制度のニュースを観ていて、小林の「良心」を思い出させたのだと思います。

 小林秀雄の「良心」を読んで、面白いな、なるほどな、と思った部分を引用します。

--ここから
“この機械(ブログ筆者注/嘘発見器のこと)は、被疑者が、嘘をついているという自覚を持っている事を前提としなければ、意味をなさない。”

“この思想は、その昔、孟子が、これこそ最後のものと確信した思想に他ならない。”

“人間の良心に、外部から近づく道はない。無理にも近づこうとすれば、良心は消えてしまう。”

“良心の問題は、人間各自謎を秘めて生きねばならぬという絶対的な条件に、固く結ばれている。”

“能率的に考える事が、合理的に考える事だと思い違いしているように思われるからだ。当人は考えている積りだが、実は考える手間を省いている。”

“みんな考える手間を省きたがるから、道徳の命が脱落して了う。”

“道徳が、外部から来る権威の異名なら、道徳は破壊か屈従かの道を選ぶ他はあるまい。手間を省いて考えれば、道徳の問題は、力と力の争いの問題になり下る。”

“良心とは、理智ではなく情なのである。”

“良心の持つ内的な一種の感受性を、孟子は「心の官」と呼んだ。これが、生きるという根柢的な理由と結ばれているなら、これを悪と考えるわけには行かないので、彼は「性善」の考えに達したのである。私には、少しも古ぼけた考えとは思えない。彼の思想を、当時、荀子の性悪説は破り得なかったが、今日の唯物論も、やはりこれを論破する事は出来ない。”
--ここまで

 余談ですが、Aくんと私は、彼が中3生のときからの付き合いで、ずっと国語の読解が振るわず、高校入試のときも、最後まで国語の点数が合否の足を引っ張っていました。それが、足掛け4年目になる高2の終わり頃から、国語の成績がぐんぐんと伸び、今では国語の成績が一番よくなったと、Aくんの母親が喜んでいました。
 これは、私の指導力が作用しているとはまったく思いません。なにしろ月に2回の指導しかしていないからです。ただし、小林秀雄の『考えるヒント』を教材に使っていることが、彼の読解力向上につながっているとは思っています。
 「良い教材は生徒の頭脳を耕す」。これは本当のことだと実感しています。
--ここまで