先日、ブログのコメント欄で「相撲の起源」について問われたので、コトバンクで「相撲」と検索すると、ものすごい長文が出てきたので、起源に絞って転載します。私も知らないことがたくさんありました。

読みやすいように、適宜、改行しました。

 

--ここから

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
力技 (ちからわざ) による格闘技の一種で「角力」とも書く。
素手,まわし一枚の姿で土俵上に相対した競技者が相手と倒し合い,土俵外に出し合って勝敗を競う。
弥生時代 (前 300頃~後 300頃) の稲作に伴う農耕儀礼として発生し,庶民の間に発達した原始的な相撲の形式が,奈良朝の頃天皇家に取り上げられ年中行事として七夕の余興に行なうようになった。
平安時代に入ってその年の五穀豊穣を占う国占 (くにうら) の国家行事となり,重要な宮廷儀式の相撲節 (すまいのせち) として発達し,300年あまり続いた。
その間技は洗練され,固有の格闘技になった。
武家時代になり,相撲は戦場における武術の一つとして鍛練され,技術的に長い伝統をもち,独特の発達をとげ,江戸時代に勧進相撲として職業相撲の隆盛をみた。
以来各時代を通じてこの流れは今日にいたり,職業力士を擁する日本相撲協会とアマチュア相撲の日本相撲連盟の二つが本流として,それぞれの規則によって興行し,大会が催されている。
その他,各地に神社の奉納相撲がある。
近年,日本相撲協会による外国人力士の採用,海外巡業などから海外でも注目を集めている。

百科事典マイペディアの解説
日本の格闘技。土俵上で,〈まわし〉をつけただけの裸の2人が組み合い,素手で相手を倒すか土俵外に出すことによって勝負を競う競技。
《古事記》に建御雷(たけみかづち)神と建御名方(たけみなかた)神の力くらべにより国ゆずりが行われたとの記述があり,《日本書紀》にみえる垂仁天皇の代の当麻蹶速(たいまのけはや)と野見宿禰(のみのすくね)が対戦したという伝説は相撲の初めとして有名。
聖武天皇の時各地から相撲人(すまいびと)(力士)が集められ節会(せちえ)相撲が行われるようになり,のち300余年の間宮中の儀式(相撲節会(すまいのせちえ))として続いた。
室町末期になると職業力士が生まれ,土俵も考案され,江戸時代には勧進相撲の隆盛をみ,谷風,小野川,雷電らの大力士の活躍が人気を呼んだ。
明治以降競技化が進み,1909年国技館の開設を機に国技としての今日の相撲の基礎が確立。
現在,本場所は年6回,各15日間(幕下以下の取組は7日間)行われる。
--ここまで