このところ、NHK BSP「だれかに話したくなる山本周五郎日替わりドラマ」を楽しんでいます。全5話とのこと。

 

ふと、「時代小説」と「歴史小説」とは、どう違うのか、はたまた同じなのか、新明国では不明でしたので、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典」で比べてみました。

 

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時代小説(読み)じだいしょうせつ
じだいしょうせつ ‥セウセツじだいしょうせつ〔セウセツ〕
〘名〙 時代物の小説。古い時代の事件や人物などを素材としたロマンチックな筋の展開を主とする通俗小説。史実を重んじる歴史小説に対し、大衆小説の一分野として髷物(まげもの)、ちゃんばら物とも呼ばれる。
※小説神髄(1885‐86)〈坪内逍遙〉上「我国の小説は概(おほむ)ね往昔物語即ち時代小説(ジダイセウセツ)ならぬは稀なり」

歴史小説(読み)レキシショウセツ
れきししょうせつ ‥セウセツれきししょうせつ〔セウセツ〕
〘名〙 歴史上の事件・人物・風俗など、史実を素材として構成された小説。時代小説がロマンチックな筋の展開を主として通俗的興味に訴えるのに対して、史実に即した事件や人物の発展を通して歴史の本質を描写することをめざす。また、現代的主題を描くのに歴史的な素材を借りて構成した小説にもいう。歴史的小説。
※国民新聞‐明治三〇年(1897)一月三日「歴史小説としては、日々新聞に渋柿園の『伊達政宗』あり」
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なるほど、時代物を扱った通俗小説が「時代小説」で、史実に即した歴史を描いた小説が「歴史小説」ですか。

で、山本周五郎の小説はとちらでしょうか?

 

コトバンク〔日本大百科全書(ニッポニカ)〕には山本周五郎について、次のように書かれています。

 

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(略)
1932年(昭和7)5月号『キング』に時代小説『だゝら團兵衛』を発表して以後、大人向けの大衆娯楽雑誌を作品活動の舞台とするようになる。ために一般からは大衆作家とみなされ、新進、中堅時代には純文学作者や批評家からはほとんど黙殺された。だが山本は「文学には“純”も“不純”もなく、“大衆”も“少数”もない。ただ“よい小説”と“わるい小説”があるばかりだ」を信念とし、普遍妥当性をもつ人間像の造形を生涯の目的とした。山本はつねに日の当たらぬ庶民の側にたち、既成の権威に敢然と抵抗する態度を持し続けた。
(略)

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山本周五郎は、本物の「小説家」だったのですね!