本日ツイッターでつぶやいたことです。

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旺国。「平伏す」と「土下座」。プレッシャーはどちらが強いか? 語釈レベルでは「平伏す(ひれふす)」のほうが強そうだ。

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ツイッターは文字数が限られますから、少し捕捉します。

語釈が似ているだろうと考えた言葉、あるいは似ている言葉の語釈はどう違うかを旺国を引いて調べました。

 

ひれ-ふ・す【平伏す】(自五)サ(ソ)・シ・ス・ス・セ・セひたいがつくように体を平たくしてかしこまる。平伏へいふくする。「神前に―」

 

ど-げざ【土下座】(名・自スル)地面にひざまづいて礼をすること。「―してわびる」[参考]昔、大名や貴人の通行などの際に身分の低い者が行った。

 

なんだか、「平伏す」のほうが程度が強いような語釈に読めます。

 

ここで思い出したことがあります。

私が小学生から大学生までに習った「士農工商」という身分制度は、今ではとらえ方が変わったという話です。

ウィキペディアを引きます。

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士農工商(四民)は、古代中国から用いられた言葉で、紀元前1000年頃には既に見られる[注 1]。意味としては、漢書に「士農工商、四民に業あり」とあるように、「民」の職業は4種類に大別されるということになる。そして、これを連続して表記することで、「老若男女」のように、あらゆる職業の民、つまり「民全体」または「みんな」といった意味で使われる。
近世日本では、遅くとも17世紀半ばまでに「士」が武士を意味するように意味が改変されて受け入れられた。また、近代以降には「士農工商」が、近世の身分制度とその支配・上下関係を表す用語として認識されるようになった。
しかし、1990年代になると近世史の研究が進み、士農工商という身分制度や上下関係は存在しないことが、実証的研究から明らかとなり[2]、2000年代には「士農工商」の記述は、文部科学省検定済教科書から削除される様になった。これに関係して、「四民平等」も本来の意味(すべての民は平等)ではなく、「士農工商の身分制からの解放」という認識を前提に用いられたものであったため、教科書から消された[1]。 

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