大湾節子さんの『幻の旅路』の「序 旅のはじめに」の読後感を書きます。
序章の扉ページには、「霧のベニス サン・マルコ広場の船着き場(1980.10.29)」の写真が掲載されています。
私が読んで感動した大湾さんの文章には付箋を付けました。以下、太字は、その文章の引用です。
大湾さんは、42ページに次のようにお書きになりました。
--ここから
しばらく楽しい記憶に浸っていたが、ふとあることに気が付いて、はっとした。私の過去は24mm×36mmの小さなフレイムの中にすべて凝縮されている。この薄いアセチルセルロースに記録された画像が、若いころの全情熱と時間を注いだ証しなのだ。
--ここまで
なるほど、だから、「追憶の場所、旅の記録」に掲載されている素晴らしい写真の1つ1つが大湾さんの人生の大切な「証明」なのだ、と、理解しました。
--ここから
1969年、二十四歳のとき、南カリフォルニア大学院で映画の製作を勉強するためにアメリカに渡った。(42ページ)
--ここまで
だから大湾さんは写真撮影についてはプロフェッショナルだったのだ、と、わかりました。
--ここから
三十代、私はヨーロッパに恋し、ヨーロッパを旅していた。
旅をしながら、「自分のこと」「人生のこと」、そして「自分を取り巻く世界のこと」について考えていた。それを小さな手帳に書き記した。それがこの紀行文である。(43ページ)
--ここまで
私も、手帳愛好者として半世紀近く手帳を使っています。大湾さんの大著の発端も「小さな手帳に書き記し」た文章だったのですね。手帳って、ありがたいですね。記録って、大切ですね、本当に。
--ここから
旅先ではさまざまな出来事にであい、いろいろな経験をした。そして、何か人生の意味を悟ったような気がした。多種多様な人々との出会いの不思議さや楽しさも体験した。自分の恵まれた過去や環境に感謝することを学んだ。偏見も先入観もすべて人間が作り上げた表面的な基準で、人間の本質はそんな物差しで判断されるべきでないということも学んだ。生きることの美しさ、生命があることの素晴らしさも学んだような気がした。(44ページ)
--ここまで
改めて、本書が単純な旅行記ではなく、紀行文学であり、人生の哲学書でもあることを知りました。
--ここから
そんな旅をしていた若い頃の自分と、人生の下り坂に入った現在の自分とがどう結びついているのか、いつも不思議に思う。見知らぬ土地に辿り着いたとき、どうしてこんなところにいるのだろうと胸をついて出てきた自分への問いは、六十歳を過ぎたいまでも変わらない。(45ページ)
--ここまで
この文章を深く理解することは、今の私には困難ですが、数回読むにしたがって、少しわかってきたような気がしました。「どうしてこんなところにいるのだろう」という言葉はとても重い(意味がある)言葉だと思います。
大湾さんが訪問したヨーロッパの国々は、序章の章末に「私の訪れたヨーロッパの国々(首都)(1978年 ─ 1983年)」として詳細に記録されています。
そこには、フランス・イタリア・スペイン・ポルトガル・ドイツ・スイス・オーストリアなど略地図に都市名がぎっしりと記載されていました。
1978年と言えば、私は大学4年生、1983年と言えば、私は教職5年目になっていました。
つづく
序章の扉ページには、「霧のベニス サン・マルコ広場の船着き場(1980.10.29)」の写真が掲載されています。
私が読んで感動した大湾さんの文章には付箋を付けました。以下、太字は、その文章の引用です。
大湾さんは、42ページに次のようにお書きになりました。
--ここから
しばらく楽しい記憶に浸っていたが、ふとあることに気が付いて、はっとした。私の過去は24mm×36mmの小さなフレイムの中にすべて凝縮されている。この薄いアセチルセルロースに記録された画像が、若いころの全情熱と時間を注いだ証しなのだ。
--ここまで
なるほど、だから、「追憶の場所、旅の記録」に掲載されている素晴らしい写真の1つ1つが大湾さんの人生の大切な「証明」なのだ、と、理解しました。
--ここから
1969年、二十四歳のとき、南カリフォルニア大学院で映画の製作を勉強するためにアメリカに渡った。(42ページ)
--ここまで
だから大湾さんは写真撮影についてはプロフェッショナルだったのだ、と、わかりました。
--ここから
三十代、私はヨーロッパに恋し、ヨーロッパを旅していた。
旅をしながら、「自分のこと」「人生のこと」、そして「自分を取り巻く世界のこと」について考えていた。それを小さな手帳に書き記した。それがこの紀行文である。(43ページ)
--ここまで
私も、手帳愛好者として半世紀近く手帳を使っています。大湾さんの大著の発端も「小さな手帳に書き記し」た文章だったのですね。手帳って、ありがたいですね。記録って、大切ですね、本当に。
--ここから
旅先ではさまざまな出来事にであい、いろいろな経験をした。そして、何か人生の意味を悟ったような気がした。多種多様な人々との出会いの不思議さや楽しさも体験した。自分の恵まれた過去や環境に感謝することを学んだ。偏見も先入観もすべて人間が作り上げた表面的な基準で、人間の本質はそんな物差しで判断されるべきでないということも学んだ。生きることの美しさ、生命があることの素晴らしさも学んだような気がした。(44ページ)
--ここまで
改めて、本書が単純な旅行記ではなく、紀行文学であり、人生の哲学書でもあることを知りました。
--ここから
そんな旅をしていた若い頃の自分と、人生の下り坂に入った現在の自分とがどう結びついているのか、いつも不思議に思う。見知らぬ土地に辿り着いたとき、どうしてこんなところにいるのだろうと胸をついて出てきた自分への問いは、六十歳を過ぎたいまでも変わらない。(45ページ)
--ここまで
この文章を深く理解することは、今の私には困難ですが、数回読むにしたがって、少しわかってきたような気がしました。「どうしてこんなところにいるのだろう」という言葉はとても重い(意味がある)言葉だと思います。
大湾さんが訪問したヨーロッパの国々は、序章の章末に「私の訪れたヨーロッパの国々(首都)(1978年 ─ 1983年)」として詳細に記録されています。
そこには、フランス・イタリア・スペイン・ポルトガル・ドイツ・スイス・オーストリアなど略地図に都市名がぎっしりと記載されていました。
1978年と言えば、私は大学4年生、1983年と言えば、私は教職5年目になっていました。
つづく