植野明磧先生の名著『良寛さん』の読後感を書かせていただいています。今回は巻末「良寛さんの生涯」の8つめの章「乙子おとごの庵居」の後半です。ブログ筆者が改行を加えています。
乙子おとごの庵居 つづき
草の庵いおに寝ても醒さめても申すこと
南無阿弥陀仏なむあみだぶつ南無阿弥陀仏
自力じりきの行道ぎょうどうを本旨とする曹洞そうとう禅の良寛さんが、またこのように、浄土の信仰を讃たたえました。しかし、あらゆる仏典に対する深い研究と、仏道の体験を極めた良寛さんには、すべての教義が釈尊しゃくそんの尊い教えであるということにおいて一つでした。
真実の仏法の前には宗旨も宗派もありません。信仰の本然の姿を求めた良寛さんは、己の宗派を絶対のものとして他の宗派を誹謗ひぼうし、己の宗派を他に押しつけるには、余りにも心が広くて温かく、その宗教的良心が許しませんでした。
禅浄一如いちにょの法悦に到達した良寛さんの阿弥陀仏は、良寛さんに同化した阿弥陀さんであって、醜い一派に利用される阿弥陀仏ではありません。
さらにまた、僧侶の身であっても、神社に詣もうで、頼まれるままに神号を書いても、決して不自然とは思わなかったのです。
良寛さんは、宗派や、宗教的な因襲を超越して、ひたすら、素朴な民衆の、いつわらない生活と直結した信仰を、そのまま大切にしようとしました。
そして常不軽菩薩じょうふきょうぼさつと同じく、常に里に出て人々の仏性ぶっしょうを拝み、遊びと談笑のなかで、人間に心の安らいと、生きることへの意志を与え、友情と信頼と創語の理解に導いたのであります。
「良寛さんの生涯」を読み進んでいく中で、著者 植野明磧先生の名解説によって、だんだんと、少しずつ、良寛和尚という行者・求道者のすごさが身に染みてきたように思います。特に、本編で、「良寛和尚とはこういう人」という本質を、明磧先生はまとめられたのだな、と感じました。
学問や教養として仏教を学んだだけでは、自分の所属する宗派の外を覗くことはできなかったでしょう。
私自身の人生の最晩年(終わりはそう遠くないと思うので)に名著『良寛さん』を読むことができて、本当にありがたかったなぁ、と、思うこの頃です。
「乙子の庵居」の章 おわり
乙子おとごの庵居 つづき
草の庵いおに寝ても醒さめても申すこと
南無阿弥陀仏なむあみだぶつ南無阿弥陀仏
自力じりきの行道ぎょうどうを本旨とする曹洞そうとう禅の良寛さんが、またこのように、浄土の信仰を讃たたえました。しかし、あらゆる仏典に対する深い研究と、仏道の体験を極めた良寛さんには、すべての教義が釈尊しゃくそんの尊い教えであるということにおいて一つでした。
真実の仏法の前には宗旨も宗派もありません。信仰の本然の姿を求めた良寛さんは、己の宗派を絶対のものとして他の宗派を誹謗ひぼうし、己の宗派を他に押しつけるには、余りにも心が広くて温かく、その宗教的良心が許しませんでした。
禅浄一如いちにょの法悦に到達した良寛さんの阿弥陀仏は、良寛さんに同化した阿弥陀さんであって、醜い一派に利用される阿弥陀仏ではありません。
さらにまた、僧侶の身であっても、神社に詣もうで、頼まれるままに神号を書いても、決して不自然とは思わなかったのです。
良寛さんは、宗派や、宗教的な因襲を超越して、ひたすら、素朴な民衆の、いつわらない生活と直結した信仰を、そのまま大切にしようとしました。
そして常不軽菩薩じょうふきょうぼさつと同じく、常に里に出て人々の仏性ぶっしょうを拝み、遊びと談笑のなかで、人間に心の安らいと、生きることへの意志を与え、友情と信頼と創語の理解に導いたのであります。
「良寛さんの生涯」を読み進んでいく中で、著者 植野明磧先生の名解説によって、だんだんと、少しずつ、良寛和尚という行者・求道者のすごさが身に染みてきたように思います。特に、本編で、「良寛和尚とはこういう人」という本質を、明磧先生はまとめられたのだな、と感じました。
学問や教養として仏教を学んだだけでは、自分の所属する宗派の外を覗くことはできなかったでしょう。
私自身の人生の最晩年(終わりはそう遠くないと思うので)に名著『良寛さん』を読むことができて、本当にありがたかったなぁ、と、思うこの頃です。
「乙子の庵居」の章 おわり