子どもたちと良寛和尚が手まりつきに興じる場面は次のように続きます。
--ここから
「こんだ、良寛さまがつく番だよ」
「そうか、よしよし」
順番が来るのを待ち構えていた良寛さんは、さっそく、袂(たもと)のなかから手まりを取り出して、得意になってつき始めました。子どもたちはかん高い声を張り上げてうたいます。良寛さんは夢中になってつきます。こうして、良寛さんと子どもたちが、かわるがわる手まりをつき、かわるがわる手まり歌をうたって、時の経(た)つのも忘れていくのでした。
けれども、良寛さんも、子どもたちも、自然の摂理に逆らうことは許されません。やがて、うららかな春の陽光も西の彼方(かなた)に沈んで、烏(からす)が二、三羽、夕やけの空を森の塒(ねぐらへ帰って行くのが見えます。すると、国上寺(くがみやま)の鐘の音が、ゴーン、ゴーンと鳴り響いてくるのです・・・・・・。
「おお、もう日が暮れたわい、しかたがないのう」
「良寛さま、もっとだよ」
「いやいや、父さんや母さんが、待っとるからのう」
「うーん、そのかわり、またあしただよ」
「ああ、よしよし」
「きっとだよ、良寛さま」
「ああ、よしよし」
ようやく納得した子どもたちは、残念そうに帰って行きました。良寛さんは、子どもたちの姿が見えなくなるまで、じいっと見護(みまも)っていました。そして、淋(さび)しそうに山の庵(いおり)へ帰って行くのでした。
--ここまで
夕暮れが近づいたときの良寛和尚と子どもたちの会話を読みますと、なんだか胸が切なくなります。明日、また遊べるとわかっていても、別れ際は寂しいものなのですよね。
「別れ際は淋しい」で思い出してしまったことがあります。
40年も前のことです。大学に入学してしばらく経つと、仲のよい男友達が数名でき、お互いのアパートで代わる代わる飲み会を開くことが通例となりました。
私のアパート(4月29日のブログ参照)の番が来て、いつものように、明け方近くまで飲み明かし、六畳一間のボロアパートに6~7人が雑魚寝して、翌日の授業に出て行くという展開で飲み会は終わりました。
友達たちが去った六畳一間には、飲みかけのコップや空になったスナック菓子の袋、安酒の一升瓶、ビールの空き缶が散乱しています。昨夜の楽しかった記憶が思い出され、「飲み会の跡を見ることがこんなに寂しいものか」と、堪えられない思いに胸が痺れたものでした。
良寛和尚の尊い逸話と二十歳前後の飲み会を同列に語ることはできませんが、おそらく、当時、私が感じた「飲み会の跡を見ることがこんなにも寂しいものか」という感覚と、「子どもたちの姿が見えなくなるまで、じいっと見護っていた」ときの良寛和尚の気持ちとは通じるものがあると思うのですが・・・。
今日のブログでは辞書は読みませんでした。
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「こんだ、良寛さまがつく番だよ」
「そうか、よしよし」
順番が来るのを待ち構えていた良寛さんは、さっそく、袂(たもと)のなかから手まりを取り出して、得意になってつき始めました。子どもたちはかん高い声を張り上げてうたいます。良寛さんは夢中になってつきます。こうして、良寛さんと子どもたちが、かわるがわる手まりをつき、かわるがわる手まり歌をうたって、時の経(た)つのも忘れていくのでした。
子どもらと手まりつきつつこの里に遊ぶ春日は暮れずともよし
けれども、良寛さんも、子どもたちも、自然の摂理に逆らうことは許されません。やがて、うららかな春の陽光も西の彼方(かなた)に沈んで、烏(からす)が二、三羽、夕やけの空を森の塒(ねぐらへ帰って行くのが見えます。すると、国上寺(くがみやま)の鐘の音が、ゴーン、ゴーンと鳴り響いてくるのです・・・・・・。
「おお、もう日が暮れたわい、しかたがないのう」
「良寛さま、もっとだよ」
「いやいや、父さんや母さんが、待っとるからのう」
「うーん、そのかわり、またあしただよ」
「ああ、よしよし」
「きっとだよ、良寛さま」
「ああ、よしよし」
ようやく納得した子どもたちは、残念そうに帰って行きました。良寛さんは、子どもたちの姿が見えなくなるまで、じいっと見護(みまも)っていました。そして、淋(さび)しそうに山の庵(いおり)へ帰って行くのでした。
--ここまで
夕暮れが近づいたときの良寛和尚と子どもたちの会話を読みますと、なんだか胸が切なくなります。明日、また遊べるとわかっていても、別れ際は寂しいものなのですよね。
「別れ際は淋しい」で思い出してしまったことがあります。
40年も前のことです。大学に入学してしばらく経つと、仲のよい男友達が数名でき、お互いのアパートで代わる代わる飲み会を開くことが通例となりました。
私のアパート(4月29日のブログ参照)の番が来て、いつものように、明け方近くまで飲み明かし、六畳一間のボロアパートに6~7人が雑魚寝して、翌日の授業に出て行くという展開で飲み会は終わりました。
友達たちが去った六畳一間には、飲みかけのコップや空になったスナック菓子の袋、安酒の一升瓶、ビールの空き缶が散乱しています。昨夜の楽しかった記憶が思い出され、「飲み会の跡を見ることがこんなに寂しいものか」と、堪えられない思いに胸が痺れたものでした。
良寛和尚の尊い逸話と二十歳前後の飲み会を同列に語ることはできませんが、おそらく、当時、私が感じた「飲み会の跡を見ることがこんなにも寂しいものか」という感覚と、「子どもたちの姿が見えなくなるまで、じいっと見護っていた」ときの良寛和尚の気持ちとは通じるものがあると思うのですが・・・。
今日のブログでは辞書は読みませんでした。
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